中教審の答申「知の総和」とレイトスペシャライゼーションへの対応策

 
坂口有人(山口大学)

今回の答申・問題提起

 中央教育審議会から「我が国の「知の総和」向上の未来像 〜高等教育システムの再構築〜 (答申)」が2月21日に公表された(以下,今回の答申と呼ぶ).今回の答申の特徴は,学生一人一人の能力を高める質の向上,18歳人口減に伴う大学規模適正化,高等教育へのアクセス確保などがあり,それらを実現する手段として文理融合のレイトスペシャライゼーション(以降LSと呼ぶ)が強調されている.本稿はこのLSを中心に論じる.
これまでの大学教育では,学部の卒業要件の約120単位のうち,約40単位分を教養教育に,約80単位分を専門教育に充てるという専門教育主体の教育であった.これに対してLSは学部教育のほとんどを教養教育に充て,専門教育は大学院で行うというものである.すなわち学部の専門教育の大幅削減を意味する.
 2040年には大学入学者が現状よりも3割近く減少すると見込まれている(文部科学省,2025).おそらく各大学の交付金・助成金もこれに合わせて大幅にカットされ,それぞれの大学内において選択と集中が進むと予想される.その際に文系と理系を統合した大規模な学部がつくられ,4年間を幅広い教養教育だけが行われれば,各分野の教員は少数で事足りるため,かなりの人員削減を進める事が可能になる.このプロセスにおいて学内で地質学の必要性が十分に理解されていなければ地質系学科・コースの消滅が危惧される.
 

ここに至る経緯

 1990年代以降の大学改革において,大学には「社会ニーズを踏まえた高等教育」「第三者評価による質の保証」「国際通用性」が求められ続けてきた.そして従来の専門教育に対して批判が繰り返されてきたが,基本的には専門教育の立て直しが主題であった.しかし,ここ10年ほどの間に文理融合のLSという考えが前面に出てくるようになった.
 ここ最近の動きとしては,AIの急速な発展が見込まれて,多くの仕事がなくなるという推定や(Frey and Osborne, 2013),子供たちの65%が今はまだ存在しない新しい仕事に就くという議論が提起された(Davidson, 2011).「Society5.0 時代に向けた人材育成大臣懇談会」(文部科学省,2018)では,機械が人の仕事を代替して互いに複雑かつ高度に関係し合う社会において,サイエンスや数学,そして分析的に思考する力と全体をシステムとしてデザインする力が必要とされた.そしてAIにできない力として,現実世界を意味あるものと理解して新たなものを生み出していく力とされ,そのためには従来の専門教育ではなく,文理分断からの脱却が謳われた.しかし,その後,AIが仕事を奪うという議論に対して,AIはあらゆる職種に入り込むが職種を消失させないという反論が出された(Arntz et al., 2016).また,子供たちは未だない仕事に就くと提起したDavidson教授自身が「全ての仕事が変化した」と表現を変えるなど(BBC, 2017)トーンダウンしていった.
 これに代わって,第5期科学技術基本計画(内閣府,2016)では,Society 5.0というビジョンが打ち出された.これはAIの発達に伴う社会の大変革が起こりうることを前提としている.そのような社会では,高度な専門知識を持ちつつ普遍的な見方のできる能力が求められ,専攻分野の専門性だけではなく,思考力,判断力,俯瞰力,表現力,教養を身に付け,高い公共性・倫理性,論理的思考力を持つ必要があると議論された(文部科学省,2018).そのためには既存の専門教育ではなく,文理横断型の教育に移行するべきだと論じられるようになった(文部科学省,2018).
 2020年に科学技術基本法が改正された.この法律にはかつて「科学技術(人文科学のみに係るものを除く)」との一文があった.しかし,人間や社会の在り方と科学技術・イノベーションとの関係が密接不可分になっていることを鑑み,人文科学を排除するという一文が削除された.この改正の過程では,専門家主義がたこツボを作り,それが社会に災厄をもたらしかねない,たこツボの間を動き回り通訳する人間が10%程度必要,という議論も含みつつ,あらゆる分野の知見を総合的に活用して社会課題に対応していくという方針が示された(制度課題ワーキンググループ,2020).法律改正を受けて内閣府から「「総合知」の基本的考え方及び戦略的に推進する方策 中間とりまとめ」が公表された(内閣府,2022).ここでは,人文・社会科学と自然科学を含むあらゆる「知」の融合による「総合知」により,⼈間や社会の総合的理解と課題解決を目指している.ただし,専門知を疎かにするものではない,とも明記されている.そして2025年の今回の答申に至るが,そこでも,専門知そのものの深掘り・広がりとともに,専門知を持ち寄って知の活力を生み出すとされており,専門知そのものは否定されていない.しかし専門知の深さと併せて,俯瞰的・横断的な視野を持つために文理融合のLS導入が必要と結論づけられており,学部における専門教育の重要性は顧みられていない.
 この10年の間に,AIにできない人間の役割のためであったり,将来が見通せないからであったり,もしくは細分化した学問分野を俯瞰するためであったりと,理由はいろいろと変化してきたが,従来の専門教育には問題があり,学部では文理融合教育を導入すべきという結論は同じであった.
 

専門教育批判の背景

 専門知は重要としながらもLSを推進して学部での専門科目の単位を減らすというのは,一見矛盾しているようにも見えるが,これは従来の専門教育に対する批判であり,大学教育そのものに対する不信感が背景にあるのかもしれない.
 今から60年も前から既に「学生が勉強しないし大学もさせない」といった議論が国会でなされ(衆議院文教委員会,1966),「大学とは何か」(文部科学省,1998)といった根源的な問いかけや,「日本の学士がいかなる能力を証明するものであるのか」(文部科学省,2008)といった痛烈な批判が繰り替えされてきた.そして大学教員に対しても,社会のニーズを顧みずに「個々の教員が教えたい内容を教えている」(文部科学省,2018)という不信感が表明されてきた.これらに対して大学側は,シラバスや3ポリシーの整備,情報公開などに取り組んできたが,まだまだ不信感の払拭には至っていない.

 

今回の答申の弱点

 その一方で今回の答申は,1990年代以降の大学改革における「社会ニーズを踏まえた高等教育」「第三者評価による質の保証」「国際通用性」という,長年の課題に対して踏み込みが甘いと感じる部分がある.
 これまでは,各分野において社会ニーズを汲み取った卒業生像を描き,そして卒業時までに身に付ける知識や技能・資質,そしてその定量的な水準を詳細かつ具体的に示したディプロマ・ポリシーを定め,それを実現するためのカリキュラムを組み立てるように求められてきた(文部科学省,2016).例えば目指すべき卒業生像を地質技術者とすれば,岩石学,鉱物学,堆積学,地史学,構造地質学といった基礎知識,野外での地質調査能力,研究成果をまとめる能力といった技能などを,身に付けるべきものとして挙げることができる.
 これに対して今回の答申では,専門知を組み合わせた総合知を社会ニーズと定めているため,主体性,リーダーシップ,創造力,課題設定・解決能力,論理的思考力,表現力,集中力,粘り強さ,コミュニケーション能力,人間力などを身に付けるべきとしている(文部科学省,2025).そして,これを実現するために文理融合教育のLSが重要と説いている(文部科学省,2025).今回の答申におけるこれらの社会ニーズ,到達目標,そして身に付けるべき知識・技能・資質は,いずれも抽象的で漠然としていると言わざるを得ない.そしてまた,達成すべき水準についても,今回の答申では在学中にどれくらい力を伸ばすことができたのか,といった定性評価の導入が議論されている.これも従来の議論から大きく後退している.やはり定量評価できる基準を定め,それに適合しているかどうかによって個々の授業の単位が厳格に認定され,そして規定のカリキュラムを履修することで,目指すべき卒業生像に至ると考えられる.これは特に国家資格と連動している教育プログラムには重要なポイントであるし,また卒業生を受け入れる社会にとっても,その学科・コースの学士がいかなる能力を証明するものであるのかを示す重要な指針になるであろう.
 今回の答申では専門教育は大学院が担い,質の高い博士人材により高度専門人材が賄われることになっているので(文部科学省,2025),学部の到達目標や水準は抽象的でも良いというロジックかもしれない.しかし,高度専門人材を博士だけで担うのは容易ではない.日本地質学会の調査では,全国の大学から毎年約200名の卒業生・修了生が地質技術職に就いている(佐々木,2025).それでも業界では人手不足との声が根強いので,地質技術職に対する社会ニーズはこれよりも多いのであろう.それに対して博士の修了者は年間に40名程度にすぎず,その半数以上が研究職に就いている(佐々木,2025).地質技術者の需要だけでも現状の5倍以上の博士が必要になり,とても現実的ではない.やはり学部から専門教育を行い,多くの卒・修了生が専門職に就くようにしなければ社会ニーズに応える事はできない.
 大学教育に対する第三者評価も大学改革の長年のテーマである.現状では,第三者評価として大学全体を対象とした機関別認証評価が行われ,学部や学科,コース等の授業内容や単位認定基準などの詳細は自己点検でカバーする内部質保証が行われている.この内部質保証ですら今回の答申は負担が重いと捉えている.そもそもこの内部質保証は,かなり不十分なやり方である.その現状を学術論文の査読制度に例えると,出版社の健全性は確認するが,そこの雑誌に掲載される論文のひとつひとつは査読しない,という状態である.やはり論文のひとつひとつについて査読は行われるべきであり,そのことによって論文の質と信頼性が向上する.同様に,大学教育の質保証として,教育主体である学科やコースを対象とした詳細な第三者ピアレビューを積極的に受け入れるべきである.そういった大学教育の審査機関として,医学分野では日本医学教育評価機構(JACME),看護学分野では日本看護学教育評価機構(JABNE),理工農情報分野では日本技術者教育認定機構(JABEE)などが整備されており,これらへの受審率を向上させていくことが筋であろう.
 国際通用性は今回の答申でも重要と強調され,国際的な大学間連携やデジタル学習履歴証明が対応策として挙げられている.しかし,特定の大学間のみでしか通用しない状態や,卒業生が学修履歴でもって自らの能力・資質・水準を説明しなければならない状態というのは,大学の国際通用性として十分とは言えない.大学教育においても国際認証制度が運用されている分野があり,そういった分野では学科・コース単位で国際認証を受けることで国際通用性が確保されている.地質学分野では幸いなことにJABEEがワシントンアコードの協定加盟団体であるため,JABEEの認定を受けている学科・コース等の教育は国際的同質性が保証されている.これは留学生の大学選びや,卒業生が海外での業務に携わる場合にも重要であるが,その学科・コースの学士がいかなる能力を証明するものであるのか,という大学の価値そのものを国際的に証明するものでもあり,大学の国際認証はきわめて重要である.

 

対応案

 文理融合のLSが本格的に導入されると専門教育および地質系の学科・コース等が大幅に削減される可能性があり,何らかの手立てが必要になる.ひとつの案として,大学改革の長年の課題である「社会ニーズを踏まえた高等教育」「第三者評価による質の保証」「国際通用性」に正面から取り組み,今回の答申の更に先を行く教育像を示すのも生き残り戦略としてあり得るのではないだろうか.
 大学において基礎研究や真理探究を行うという事と,社会と向き合うというという事は何ら矛盾するものではない.むしろ地質関連の業界から「学部段階から,地史学,堆積学,岩石学,鉱物学,古生物学,構造地質学,地質調査法,野外巡検などをしっかり教えてください」と要望してもらえればありがたい.今回の答申では特に地域社会ニーズが強調されているので,たとえば各都道府県の地質調査業協会などに協力を依頼する方法もあるだろう.また,学内での選択と集中においても,顔が見えるレベルの地元業界から専門教育の継続を要望してもらえれば力強い援護になるだろう.
 そして今回の答申が提言している定性的な評価に取って代わる質保証に積極的に取り組む事も重要であろう.論文の査読制度が研究の質保証の重要な一翼であるのと同様に,教育にも学科・コース単位での第三者ピアレビューを受け入れて,授業一つ一つのレベルにまで外部の目が入り得るようにすべきである.地質学分野にはJABEEがあるので,この審査を受けるのが良いだろう.JABEEは大学の質保証に既に25年以上も取り組んでおり,ピアレビューによる大学教育向上のノウハウを十分に有している.また,JABEEから認定されれば,同時に国際認証を得る事になる.国際認証は今回の答申を上回る明確な国際通用性となる.

 

まとめ

 18歳人口の減少に連動して交付金や助成金が大幅にカットされる可能性がある.そうなれば各大学の学内での選択と集中が進むだろう.その際に文理融合のLSは定員削減のツールになる危険性がある.専門教育を守るために,今回の答申よりも先進的な高等教育像を示すという手もあるだろう.例えば,地質業界から専門教育に対する要望を受け,社会ニーズを踏まえた具体的な到達目標を掲げ,それを具現化する教育を行い,第三者ピアレビューでその質を保証し,国際認証を取得して国際通用性を確立し,多くの卒業生たちを専門職種に送り出すというアプローチもあるだろう.
 これが唯一解ではないだろうが,いずれにしても全国の多くの地質系の学科・コースが今後も維持発展されていくことを願っている.大学自らが,より積極的に教育の質保証を図り,国民から信頼されるように努力することが,学問の自由を守るために重要なのではないだろうか.
 

引用文献