宮澤賢治の知的背景を示す地質学史資料

金 光男・山田直利・鈴木尉元・加藤碵一・盛岡科学史資料調査団

 

 
 第1図.岩手大学図書館の所蔵する古図幅類

2009年10月「予察地質図」ほかの図幅類と多くの貴重な古書籍群が,国立大学法人岩手大学に所蔵されることが明らかとなった.それらの発見に至るまでの経緯と意義について簡単に報告する.

宮澤賢治の作品中にあらわれるハイレベルな地質学的・鉱物学的知識体系が盛岡高等農林学校時代に構築されたことはほぼ確実であろうと誰もが考えることであるが,他方においてその根拠をわれわれは示せずにいた.このたび,盛岡高等農林学校の後身である岩手大学の書庫内から,貴重な科学史資料が再発見されるに至った.そしてそれらは賢治の知的背景を裏付けるものばかりだったのである.

予察地質図については極めて重要な最近の発見があった.故 今井 功本会名誉会員は,1998年の秋,それまで誰も見たことのなかった「予察地質図東北部(英文版)」が岩手県の釜石鉱山に保管されていることを知り,その特徴と意義について詳報した(今井, 1999a,b,c).

今井 功博士は日本地質調査所(現 産総研地質調査総合センター)の地質部に永年在籍し,“地質調査所が発行したすべての縮尺の地質図の作成者として名を連ねた唯一の図幅調査者”として知られる(金2007).その今井が岩手大学に出向した後,そのまま盛岡に居住したことにより,初めて「予察地質図東北部(英文版)」が発見されるに至った.「予察地質図東北部(英文版)」は100年ものあいだその姿を隠し,自らの真の価値を理解する人の訪れを心待ちにしていたのであろう.

予察地質図については山田(2008,2009,2010)が詳しい.山田(2008)によれば,『…予察地質図は発行元の産総研地質調査情報センター地質資料管理室にも全部は揃っていない…今井は「予察東北部地質図」が岩手県釜石鉱山に所蔵されていることを知ってそれを実見し,ナウマンが「日本全土の地質図の一部であることを意識して,地質時代と岩質による客観的な区分をした」と述べている…20万分の1地質図幅作成に先行して進められた予察地質図の作成は,日本列島主要部の地質を縮尺40万分の1の地図5葉に分割,図示しようとするものであり,その第1号「東北部」がナウマン自身の調査旅行に基づいて作られたことは特筆すべきことである…本図によって,東北地方の東半部(北上山地)が中・古生界および深成岩類から,西半部(奥羽山脈・出羽丘陵)が第三系および火山岩類からなるという基本的な帯状構造が明らかにされた…のちに「東北弧」が非火山性外弧と火山性内弧からなる典型的な島弧として認識される予兆は,本図の中にあった…』と概説される.

明治年間,しばしば発生した凶作によって東北の農村が著しく荒廃し,その克服が大きな社会問題となっていた頃,明治政府が冷害に打ち克つ新たな農業の基礎をつくり地域の農業指導者を育成することによって東北の農業を振興させることが広い意味での日本農業の底辺拡大につながる道であると考え,1902(明治35)年日本最初の農業専門学校すなわち官立盛岡高等農林学校が創設された.これが岩手大学の前身のひとつとなる.

その盛岡高等農林学校に宮澤賢治(1896-1933)が入学し,東京帝国大学農科大学を卒業した 関 豊太郎教授(1868-1955)から地質学・鉱物学・土壌学などの指導を受けたことは良く知られる史実である.地学者としての賢治についての論考はこれまで少なからず発表されてきた.最近,加藤碵一会員(産総研)が『宮澤賢治の地的世界』(2006)を上梓し,賢治の作品中にあらわれる鉱物(学)・地質(学)に関する記述について,当時の日本地質学界の情況を明らかにすることによって賢治の時代における鉱物学・地質学知識に基づいて再検討するという新たな手法により,賢治作品を正しく解釈しようとした.

第2図.岩手大学図書館の所蔵する古書籍群(一部)

これまでの,主に文学者たちによる賢治研究には,地学や外国語についての基本的な知識がないままになされたため数多くの誤りが内在していた.例えば,賢治が作品中においてカタカナ表記した鉱物や物質が一体何であったのか? それを正確に確認しないまま彼らは賢治の作品についてしばしば誤った評価を下した.科学知識の欠如による弊害ともいえるだろう.それは学問的に間違っているとされる以前に,賢治の多用した地学的・物質的隠喩を吟味する上でも重大な障害として残された.加藤会員はその障害を取り除くべく,地質学者として賢治作品に肉薄したのである(金,2010; Kato, 2010).

『宮澤賢治の地的世界』を上梓した頃,加藤会員は岩手大学の農業教育資料館(重要文化財 盛岡高等農林学校本館)を訪れた.賢治が直接採集したとされる岩石標本を見学し,その発見者である溝田智俊岩手大学農学部教授に会うためだった.その折,当時の農業教育資料館 若尾紀夫館長から,賢治らが学んだ岩石鉱物標本類が未整理状態になっているが人手も専門知識もないまま放置されていると聞かされ,後日改めて産総研地質標本館 青木正博館長(当時)らと再訪し,標本のクリーニングと整理にあたった.そこにはかつて賢治が在籍した(旧農学部農学科)土壌学教室を1970〜1980年代において主導した故井上克弘教授の夫人が勤務していて,夫人は加藤に盛岡高等農林学校時代に所蔵され,現在は岩手大学情報メディアセンター図書館(以下,岩手大学図書館とする)に移管された古い蔵書目録を示した.加藤はその中に「予察地質図」や貴重古書籍が含まれることを見出し,さっそく2009年6月に開催された地質学史懇話会の2009年例会において,山田直利会員が「予察地質図 (1886-1895)を読む−ナウマンから原田・巨智部へ−」と題して講演した際,討論の場において報告した.

2009年10月14日,地質学史懇話会より鈴木尉元本会名誉会員,山田直利本会名誉会員,加藤碵一本会会員,日本地質学会地質学史アーカイブス委員会より金 光男,さらに岩手県立博物館より大石雅之学芸第一課長,吉田裕生学芸第二課長の6名が盛岡駅に集合して「盛岡科学史合同調査団」を組織し,岩手大学図書館へと向かった.調査団には現地において同大農学部土壌学教室溝田智俊教授のほか,農業教育資料館より亀井 茂,さらに同大教育学部地学教室土谷信高会員が合流した.

調査団は,多くの図幅類と古書籍類を実見した.現在それは研究の途上にあるが,図幅類30葉以上(第1図),和書80冊以上(第2図右),洋書110冊以上(第2図左)の存在がこれまでに確認されている.古書籍には原田豊吉の“Die Japanischen Inseln”(1890 明治23年刊)をはじめとする,明治期〜大正期の地質学〜地球科学に関する貴重書籍が含まれる.

第3図.「予察地質図」を精査する 山田直利 加藤碵一 土谷信高会員

岩手大学に保存されていた「予察地質図」は3葉(東北部,東部,中部)で,同図の改訂版は7葉に及んだ(第3図). いっぽう,古書籍には稀少本が多数含まれ,「玉利」の印の押されるものがある.これは 玉利喜造(1856−1931)初代校長の蔵書印に他ならない.盛岡高等農林学校の開校当時,土壌学教室を主導した関 豊太郎教授は,自らがドイツ留学時代に購入したクランツ社製鉱物標本や専門書,さらに偏光顕微鏡などを学校に寄贈して学生の指導にあたったとされる.岩手大学図書館に保管される古書をみる限り,関教授とともに玉利校長が当時貴重とされた内外の専門書を,多数,学校に寄贈したことが推定されよう.宮澤賢治に代表される当時の学生たちは,玉利と関の献身に強い感銘を受け,猛勉強を展開したとされる.

盛岡は震災や戦争による空襲を被験しなかった幸運に恵まれ,これらの貴重史料はほとんど痛むことなく長期間保存された.東京にあった地質調査所や東京大学などは,いずれの災難をも被むり,貴重資料を次々と失った苦い歴史を有する.かつてこの世から失われたのではないかと考えられていた「予察地質図東北部(英文版)」は今井 功の手により,1998年,岩手の地で奇跡的に発見された.そしてこのたびの,岩手大学科学史資料の出現である.調査団のメンバーたちは,このような貴重史料が『古い学校があって,空襲と震災を履歴していない土地』,たとえば大学や旧制高校・高等専門学校のあった,松本・金沢・新潟・山形・秋田・弘前・札幌などに代表されるような,地方の拠点都市などに,人知れず所蔵されているのではないかと想像している.

これら科学史資料は,今後,岩手を代表する素晴らしい社会遺産となるであろう.そして今後の宮澤賢治研究に多大な影響を与える貴重資料となるであろう.「盛岡科学史資料」についての詳細は,Kato(2010)および金(2010)を参照されたい.

【文献】

今井 功(1999a)ナウマンの足跡 最古の東北地方地質図.河北新報,1999年3月13日〔(1)地質学的貢献〕,同14日〔(2)予察地質図(上)〕,同17日〔(3)予察地質図(下)〕,同18日〔(4)釜石鉱山〕.

今井 功(1999b)日本最古の東北地方地質図.地質学史懇話会会報.no.12,13.

今井 功(1999c)ナウマンの東北地方地質図〔1/40万予察地質図「東北部」(1886)〕.地質学史懇話会会報.no.13,11-14.

加藤碵一(2006)宮澤賢治の地的世界.愛智出版.142p.

Kato, H.(2010) Kenji MIYAZAWA –A fusion of Literature and geology. JAHIGEO Newsletter, no.12, 2-7.

金 光男(2007)名著『黎明期の日本地質学』(ラティス,1966).地質学史懇話会会報.no.29,11-13.

金 光男(2010)2009年10月 盛岡科学史資料調査(予報).地質学史懇話会会報.no.34, 32-39.

山田直利(2008)ナウマンの「予察東北部地質図」—予察地質図シリーズの紹介 その1—.地質ニュース,no.652,31-40.

山田直利(2009)原田豊吉編「予察東部地質図」—予察地質図シリーズの紹介 その2—.地質ニュース,no.660,32-47.

山田直利(2010)原田豊吉編「予察中部地質図」—予察地質図シリーズの紹介 その3—.地質ニュース,no.668,15-28.