宮下純夫(新潟大学)
新年も明けてまもない1月7日(木),オマーンオフィオライトのワジ・ジジ地域におけるジオサイトツアーが,在オマーン日本大使館とオマーン・日本友好協会の主催の下に開催された.このツアーには,森元大使を初めとした大使館員とその家族や在留日本人に加えて,オマーン人も10名ほどが参加した,案内者は現地で地質調査を行っていた新潟大学の宮下研究室のメンバー10名があたり,総勢で50名以上,マイクロバスを含めて車13台を連ねた壮観な見学会となった(写真1).
写真1.シート状岩脈群の前での記念集合写真 |
このジオサイトツアーは,一年前の現地での調査の折りに宮下が日本大使館を訪問して森元大使とオマーンの地質資源・景観の素晴らしさやジオパークに関する話をしたところ,大使が深く興味を示され,オマーンの人々との交流推進も合わせて,大使館としてジオサイトツアーを企画することとなったものである.ツアーの数日前には現地の英語新聞にも予告が掲載された.
今回のツアーでは,マイクロバスや乗用車も参加するとのことで,舗装道路すぐ近くのサイトを中心に4ヶ所を回った.参加者は早朝に首都マスカットを出発し,集合地のソハール近郊のホテル前に到着したのは午前10時すぎであった.
第1見学地点としては「枕状溶岩の巨大露頭:一億年前の深海底に噴出したマグマの化石」と題して,地質学雑誌の表紙を飾ったこともある海洋地殻上部の溶岩層の大露頭に案内した.この露頭はジオタイムズに掲載された事から有名となってジオタイムズユニットと呼ばれるようになったいわく付きの露頭で,「ここを訪問する地質研究者は一億年前に海底に流出したとはとても思えないほど生々しい枕状溶岩層の美しさにため息をつく!」と案内書に記したのだが,地質とは全く縁のない大使館員や商社の方々にとっても,この露頭の生々しさは驚きであったようである.枕状構造の垂れ下がりや溶岩の流走方向の判定などにかんしても解説し,こうした露頭から読み取れるマグマの流動の様子などをイメージしてもらった.
第2見学地点は第1地点から1 kmほど離れた場所に露出している,溶岩層のマグマを供給した通路の化石ともいえるシート状岩脈群で,海洋底拡大説と大陸移動説とが合わさってプレートテクトニクスが提唱され,地球科学界が騒然たる状況となったときに,海洋底拡大の証拠を示している現場として世界中の地質科学界から注目を集めた場であることを解説した.ここでは,地殻が引っ張られて海嶺軸と平行に割れ目が周期的に形成され,板状の岩脈が形成され続けて100%岩脈群となったことや,マグマが冷却・固結するときの様子を観察した.この観察地点では,橋の下の日陰で主催者の準備した軽食や飲み物などをとり,日本人参加者同士やオマーン人との交流も行われた.
写真2.マントルかんらん岩と地殻下部(層状斑れい岩)の境界部,モホ不連続面の遠景.右側の斜面上方には層状斑れい岩が,その下側にはマントルハルツバージャイトが露出している.手前側にはオフィオライトの下盤側のハワシナ層もここでは見られる. |
第3見学地点は地殻—マントルの境界であるモホ不連続面と,衝上したオフィオライトの前面にあった著しく褶曲したチャート層からなるハワシナ層の遠望を観察した.オマーンの普通の集落のすぐ裏山に,我々の足下に存在している地球の成層構造の第一級の不連続面の実体が露に見れること,そして,海洋底の深部にあったモホ不連続面が出現するまでの地球のダイナミックな運動に思いを馳せてもらった(写真2).
第4見学地点は,オマーンの考古学にとっても重要な遺跡であるラセイル鉱山を訪れた.古代メソポタミアの碑文に,「マガンという地に産出する銅・・・」という一文があり,そのマガンとは現在のオマーンのラセイル鉱山付近と見られている.ここでは古代の採掘時に用いられていた坑道の入り口が記念にアーチ状に残されており,その周辺には古代の精練による鉱滓が散在している(写真3).ここでは,1990年代に銅の採掘が大規模に行われたことによって形成された巨大な陥没穴や,激しい熱水循環によって毒々しい赤や黄色などに変色した変質帯(ゴッサン)を見学した,参加者は古代文明までさかのぼるオマーンの歴史に思いを馳せたことであろう.なお,このラセイル鉱山の近くにある同様な鉱山からは世界で初めてチューブワームの化石が報告されている.
写真3.ラセイル鉱山の西暦前2000年頃の採掘時の坑道入り口を残したアーチ |
ツアーは午後2時半に終了したが,多くの参加者からは,オマーンの各地を旅行する際の目が大きく変化したことや,壮大な露頭に秘められている過去の変動を感じとれたなどの感想が寄せられていた.このツアーの様子はオマーンの英語新聞Oman Tribuneにも写真付きで紹介された.また,オマーン人への説明を買って出てくれたのは,オマーン商工省鉱物局のDurair博士である.
最後にオマーンという国について少し紹介しょう.オマーンが近代国家として歩み始めたのは1970年に現在の国王が即位してそれまでの鎖国を解いてからで,それまでは未開の地であった.例えば,その当時オマーン全土に学校は3つしかなく,満足な道路やテレビ放送なども全くなかった.いわば,中世から脱却して以来まだ40年しか経ていない.国土面積は日本よりも少し小さいが,そこに外国人労働者も含めて230万人程度の人口しかいない.国土の大半が砂漠や岩砂漠であり,荒涼とした風景はまさにアラビア半島の厳しい自然環境を表しているが,世界遺産となっているファラージシステム(灌漑システム)がワジ(枯れ川)にそって張りめぐされている.興味深いことに,マントルと地殻の境界部付近には泉が湧出していることが多く,緑豊かなオアシスとなっており,その付近には集落も多い.首都マスカットや北部の拠点都市であるソハールは,近代的な向上やビル,新しい高速道路や空港の建設など,劇的な変貌が現在も進行している.オマーンには石油の産出量はそれほど多くはないが,脱石油を掲げて様々な産業振興や観光産業の育成に努めている.高級ホテルの建設ラッシュも続いており,アラビア半島の情緒を味わえる中近東ではもっとも安全な地として欧米人を中心とした旅行者に人気を集めている.
今回のジオサイトツアーはオフィオライトを中心に行なったが,近隣の山岳地帯にはオフィオライトの下盤に露出するプレカンブリアンの地層や,その上を不整合に覆う二畳紀から白亜紀の陸棚堆積層,高圧変成帯などが壮大に全面露出している.地質学徒にとって素晴らしい研究・巡検地場であるばかりでなく,一般旅行客にとっても地球の魅力的な場所となる可能性を秘めている.
本ジオサイトツアーの報告は下記の在オマーン日本大使館のホームページにも掲載されている.
http://www.oman.emb-japan.go.jp/japanese/20100107geoparktour_j.htm
大使短信:
http://www.oman.emb-japan.go.jp/japanese/5-003-013_j.htm