ライマン「日本蝦夷地質要略之図」彩色指定稿

 

ライマン「日本蝦夷地質要略之図」彩色指定稿:The B.S.Lyman’s Color Index Manuscript‘Geological Sketch Map of the Island of Yesso,Japan’(10th May,1876)

北海道大学附属図書館 所蔵
 解説:金 光男(自然地質環境研究所

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写真3

 

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解説:

日本地質学の偉大な恩人B.S. Lyman(Benjamin Smith Lyman:1835.12.11-1920.8.30;以下ライマンとする)は,1873(明治6)年1月17日来日(副見1990)すると,東京 芝に創設されたばかりの開拓使仮学校(札幌農学校−北海道大学の前身)において教鞭をとる.それから間もない同年4月17日,彼は当時未開地とされた蝦夷(北海道)へ向け横浜を出航すると,以後門弟たちとともに言語に絶する艱難辛苦を重ねている(今井1966,Suzuki & Kim 2003,金・菅原2007など).

3年におよぶ北海道全島調査は,その名目こそ地質調査であったが,地形測量すなわち地図作成という難行をともなう“道無き道を進む”苛烈なものだった.多くの困難を乗り越え彼らはそれを完遂すると,新生明治日本の将来に順風を送る幌内炭田群(石狩炭田)の発見報告などとともに,1876(明治9)年5月10日,日本最初の広域地質図幅「日本蝦夷地質要略之図」を刊行して日本地質学史に金字塔をうちたてる.

本図発刊日である5月10日は,2007年3月13日をもって「地質の日」に制定された. 本地質図について,今井(1963)は「それぞれの分布はきわめて大まかで,いろいろと問題はあるが,限られた踏査路線から複雑な北海道の地質の大勢をよく把握していることに感心させられる」と評価した.

2005年12月,筆者は北海道大学に残されるライマン資料を調査し,日本蝦夷地質要略之図の彩色指定稿が残されることを見出した.北海道大学附属図書館に日本蝦夷地質要略之図は全9葉保存される.その中には福士成豊の所有していたものなど希少資料が含まれる. 日本蝦夷地質要略之図は「日本の地質学100年」(日本地質学会1993)に,ライマンと彼の門弟たちの集合写真とともに掲載されるが,この機会に,このたび撮影した新画像(写真1)を,ライマンの彩色指定稿(写真2)と併せ紹介する.

ライマン彩色指定稿の台紙は39cm×48cm大,刊行された地質図の台紙よりひとまわり小さいが,図そのものの大きさは変わらない.台紙の紙質は粗悪で,薄く,縦横方向にそれぞれ三折にされる.英文個所は全て空白.黒色インクにより印刷された原図に,ライマンが手描き彩色している.多くの部位において彼の筆タッチが見てとれる. 本稿の発見により黒色版が和文・英文の計二刷あったことが明らかとなった.日本蝦夷地質要略之図は層序表記のため七色使用されることから,少なくとも九刷という,かなり複雑な工程を経て印刷されたものであることが想定される.

日本には多色刷り地質図を作成した実績がなかったため,ライマンは当初米国での印刷を希望していたが,試し刷りが届けられ,維新後石版印刷に登用されていた“最後の浮世絵師”たちの仕事振りを実見し,彼は大いに驚かされたのでなかろうか.ライミンは試し刷り原図に彩色指示を入れると,英文原稿をあわせて,いそぎ印刷所に送った.和英併記による微細な地名印刷を黒インク二度刷りにより精確に仕上げた職人たちこそ,かつて髪の毛一本までをも彫り,そして刷りあげた,江戸−明治期異色技能者たちだったのである.

日本蝦夷地質要略之図発刊後,本稿は開拓使に返却され,それが開拓使仮学校→札幌農学校→北海道帝国大学→北海道大学とリレーされ奇跡的に保存された.その間携わったであろう多くの図書館司書の皆様に,ひとりの科学史研究者として深甚なる謝意を贈りたい. 日本蝦夷地質要略之図タイトルの部分画像を紹介する(写真3).「Geological Survey of Hokkaido」の記載にライマンのプライドが輝く.彼が成果を独り占めすることなく全ての調査者を明記したことは,まさにライマンの人柄を示す史実だろう.筆者が米国で初めて本図を手にしたとき,余りの美しさに一瞬にして心奪われたことを思い出す.浮世絵師たちの精緻な仕事振りもさることながら,ライマンの地質記載,とりわけブレーク,パンペリー,アンチセル,モンローらの文献を丁寧に並べ,未開地北海道を調査した先達に対する真摯な表敬記載(写真4)にも心打たれるものがある.

本稿作成に当たりご指導いただいた大森昌衛名誉会員に深謝する.


文 献

副見恭子(1990)ライマン雑記.地質ニュース,427,54-57.
今井 功(1963)地質調査事業の先覚者たち(4)炭田・油田開発の貢献者−ライマン−.地質ニュース,101,29-35.
今井 功(1966)黎明期の日本地質学.ラティス社(丸善),193p.
金 光男・菅原明雅(2007)ライマン鹿角を行く.秋田県博研究紀要,32,1-18.
日本地質学会(1993)日本の地質学100年.706p.
Suzuki & Kim(2003)Lyman’s Contributions to Japan….JAHIGEO Newsletter.5,2-5.