2015年ネパール地震のテクトニクスとカトマンズの極軟弱地盤

京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻 酒井治孝


 2015年4月24日,現地時間午前11時41分に中央ネパール西部で発生したM 7.8の地震は,人口密度の高い首都カトマンズを初め, レッサーヒマラヤの山岳地帯の住民に大きな被害をもたらした。本地震の震源は北緯28.147度,東経84.708度,震度15.0 kmであり(アメリカ地質調査所による), その余震は現在もまだ続いている。この地震による死者は日毎に増加し,5月1日現在6000名を超えているが,震源域となったゴルカ地方一帯の山間部の被害状況に関する情報がまだ届いてないので, さらに死者数,被災者数は増えるものと思われる。
  本稿ではこの地震が発生したテクトニクスについて地質学的観点から解説すると同時に,本震の震源から離れたカトマンズ盆地に震災が何故集中したのかについて,カトマンズ盆地の地下地質構造の観点から考察する。
 
 震源地域の地質構造
 ヒマラヤ山脈の南斜面からガンジス平原の北縁に至る幅200kmの地帯は,インドプレートとユーラシアプレートが衝突するプレート境界に成っており,3本の主要な大断層がヒマラヤ弧に平行に走っている。ガンジス平原の北縁を走っているのがヒマラヤ前縁断層(HFT: Himalayan Frontal Thrust), レッサーヒマラヤ南麓の主境界断層(MBT: Main Boundary Thrust), そして一番北側のグレートヒマラヤ南麓の主中央断層(MCT: Main Central Thrust)である(図1&2)いずれも低角度で北に傾斜した逆断層(スラスト)である。

図1.ネパールの地質帯区分と2015年4月25日に中央ネパールで発生したM 7.8
の地震の震央の位置.(Sakai et al., 2013を改変)


図2.カトマンズを南北に横断する地質断面図に投影した,M 7.8の地震の震源,(Pandey et al., 1999を改変)


 HFTからMBTまでの幅最大90 kmの地帯はシワリーク帯と呼ばれる丘陵地帯であり,ヒマラヤが侵食され,土砂が運搬・堆積した河川の堆積物から成る。MBTからMCTの間の幅約80〜120 kmの地帯はレッサーヒマラヤと呼ばれ,厚さ10 km程度の19億年前〜約1600万年前にわたる堆積岩から構成されている。レッサーヒマラヤの堆積物の上には,MCTに沿って高ヒマラヤ変成岩類が衝上しており,その一部はレッサーヒマラヤの堆積物を南北約100 kmにわたって,ほぼ水平に覆ってナップと成っている。カトマンズは丁度,北方に位置するランタンヒマラヤから南にのびるカトマンズ・ナップの中心に位置している(図1& 2)。 
 これら3つの断層の活動時期は北から南に向かって若くなっている。すなわち,一番北側のMCTは約2200万年前から約1000万年前に活動し,MBTは約1000万年前から現在まで活動が続いている。そして一番南のHFTは約250万年前に活動が始まったと推定されている。これら3つの断層は, 地下では1本のプレート境界断層である主ヒマラヤ断層(MHT: Main Himalayan Thrust)に収束しているものと考えられている。
  今回のネパール地震の震央はMCTに伴われる巨大な断層帯,MCTゾーン(厚さ1〜3 km)の真上に位置している。その地下15 kmは丁度レッサーヒマラヤ堆積物の基底近くに相当し,主ヒマラヤ断層(MHT)の位置とほぼ一致する。従って今回の地震は,グレートヒマラヤ直下のユーラシアプレートとインドプレートの境界断層面上で破壊と滑りが生じ,上盤側のユーラシアプレートがインドプレートの上に滑り上がったものと判断される。
 本地震の余震はカトマンズの北方や東方にまで広がっており,これまでに観測された余震の分布に基づき,東大地震研究所は165 km×105 kmの震源断層を推定している。また地震波のインバージョンによる解析に基づき,断層破壊が震源から東南東方向に進み,その滑りはカトマンズ盆地周辺で最大4.3mに達している。この地域は1934年に発生したM 8.0のビハール-ネパール地震(Sapkota et. al., 2013)や1988年のM 6.6のウダイプール地震(Ghimire & Kasahara, 2008)でも大きな被害を被ったが,その震源はインド大陸との衝突の最前線に位置するMBTやHFTと推定されており,本地震とは異なる。ネパールでは1994年以降,フランスやアメリカの支援のもと地質鉱山局に国立地震センターが開設され,微小地震が観測されるようになった。そのデータによると本地震発生以前にも,本震の震央周辺とその東の地域では活発な微小地震が発生していることが報告されている(Pandey et al., 1999)。
 
 カトマンズ盆地の脆弱な地下地質
 カトマンズ盆地は標高1500 mから2800 mの山々に取り囲まれた,南北約30 km, 東西約25 kmの山間盆地であり,盆地底の平均標高は1340 mである。カトマンズ盆地の地下地質は, 主に地表地質調査とボーリング調査,重力探査の結果,三層構造をしていることが分かっている。下部はレッサーヒマラヤの現地性の変堆積岩類から成り,その上をMCTに沿ってグレートヒマラヤから100 km余り南に前進してきたカトマンズ・ナップが覆っている(図2)。両者は複向斜構造を成し,その主軸はカトマンズ盆地の南に位置するフルチョウキ山を通っている。基盤を成すこの2つの地層の上には, 約100万年前から現在に至る期間に,河川と湖で堆積した地層が厚く堆積している。
 このカトマンズ盆地を埋めて堆積した地層はカトマンズ盆地層群と呼ばれ,次の三層からなる:下部の網状河川堆積物,中部の泥質湖成堆積物,上部の湖成デルタと河川の堆積物。その全層厚は最大600 mに達するが,何れも半固結〜未固結である。軟弱な地盤として特に注意すべきは中部の湖成層であり,盆地中心部では平均層厚は約200 mに達するが,側方に薄層化し盆地縁辺部では尖滅し,デルタや河川の堆積物に移化する。この湖成層の主体を成すのが現地でカリマティ(Kalimati)と呼ばれる,黒色で有機質なシルトまじりの粘土層である。100万年前から1.1万年前まで存在した古カトマンズ湖の周囲に繁茂していた植物片と湖に生息していた珪藻遺骸が,北側の花崗岩質の岩石の風化によってできた粘土層と混じった特異な地層である。
 私達の研究グループは,中央ヒマラヤ地域のインドモンスーンの変動史を復原する目的で,カリマティ層を貫通する学術ボーリングを2000〜2003年に行なった(Sakai et al. 2001)。その時,最初の試掘をトリブバン大学トリチャンドラ・キャンパスの時計台の下で行なった。この時計台は1934年のビハール-ネパール地震の時に崩壊し,建て直されたものである。掘削して驚いたのは,上部40〜50 mの地層の脆弱さであった。最上部の砂層は10〜15 mで,粗粒な花崗岩質な粒子からなり含水率が高く,未固結状態であった(図3)。その下には深度40〜45 mまで軟弱なカリマティ層が広がっていた。含水率が高い上にメタンを主成分とする天然ガスを含み,掘削されたコアが地上に上がってきてしばらくは,小さな泡が発生していた。コアは簡単に自重で崩壊してしまう程度の強度しかなかった。深度45 m以深になるとコアは次第に固結し,100 m以深では半固結状になった。
 時計台の位置は,今回多くの建造物が倒壊したカトマンズの旧王宮とその周囲の市街地の直ぐ北東に位置しており,地下構造に変わりはないものと思われる。地下10〜20 mに広く分布する最上部の砂層とカリマティ粘土層の境界付近には,地下水を貯留した帯水層が分布しており,カトマンズのあちこちで自噴し,昔からドウンゲ・ダーラ(石の水道)として利用されてきた。この地層境界付近の脆弱な地層が,地震の揺れを増幅し,多くの建物を倒壊させた原因の一つであることは間違いない。

図3. カトマンズ市街地の中心部に位置するトリブバン大学トリチャンドラ・キャンパスの時計台横のボーリング調査によって判明した軟弱な地下地質.(Sakai et al.,2001を改変)


今後の防災事業に対する提言
 
 私達が2000年に実施した古カトマンズ湖掘削プロジェクトによって,首都があるカトマンズ盆地の地下地質は脆弱であり,大きな建造物を建てる際には深くまで基礎工事をする必要があることが分かった。そこで,この事実をネパール国民に広く知ってもらい,注意喚起を促すために,ネパールの新聞やテレビでも報道してもらった。テレビ放送の翌日には,建設省の元事務次官と言う人物が私達のキャンプを訪問し,軟弱なコアを見て私達の主張に納得されたようであった。しかし,その後ネパールでは内戦状態が続くなど国情が不安定で,そんな警告にはお構いなしに,高層ビルが建てられてきた。まずは政府が建築の基準を見直すことから始める必要があるだろう。
 またこれまで地下構造について地震波探査が行なわれていないので,上部の半固結〜未固結堆積物の深度分布や基盤高度の情報が極めて乏しい。人口密集地なので爆破地震探査をすることは難しいだろうが,バイブロサイズなどの人工震源を使った地下構造探査が必要である。また地震動に対する地層の挙動を知るためには,コアの物性について,採取したその場で測定したデータが必要である。また,野外調査に基づくカトマンズ盆地の地質図や液状化予想図,および盆地内を走っている活断層についての詳細な調査が必要であろう。
 
文献
Ghimire, S. and Kasahara, M., 2008, Source process of the Ms=6.6, Udayapur
  earthquake of Nepal-India border and its tectonic implication. J. Asian Earth Sci., 31,  
  128-138.
Pandey, M, R., Tandukar, R.P., Avouac, J.P and Heritier Th., 1999, Seismotectonics of     
  the Nepal Himalaya from a local seismic network. J. Asian Earth Sci., 17, 703-712.
Sakai, H., Fujii, R., Kuwahara, Y., Upreti, B. N. and Shrestha, S., 2001, Core drilling of  
  the basin-fill sediments in the Kathmandu Valley for paleoclimatic study: preliminary 
  results. J. Nepal Geol. Soc., 25, Special Issue, 9-18.
Sakai, H., 2001, Stratigraphic division and sedimentary facies of the Kthmandu Baisn
  Group, central Nepal. J. Nepal Geol. Soc., 25, Special Issue, 19-32.
Sapkota, S.N., Bollinger, L., Klinger, Y., Tapponnier, P., Gaudemer, Y. and Tiwari, D., 
  2012, Primary surface ruptures of the great Himalayan earthquakes in 1934 and 1225. 
  Nature Geoscience, 6, 71-76.
東大地震研究所の情報が掲載されたホームページのURL は以下の通り: 
www.eri.u-tokyo.ac.jp/

(2015.5.7掲載.2015.5.15一部修正)