陸前高田市立博物館地質標本救済事業報告

岩手県立博物館 大石雅之
(News誌2012年5月号掲載)

 
1 はじめに
   平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の津波により被災した陸前高田市立博物館所蔵の地質標本について,「陸前高田市立博物館地質標本救済事業」を実施したので報告する.
   陸前高田市立博物館は,昭和34年に東北地方で最初に登録された公立博物館であり,地域の文化史から自然史にわたる約15万点の資料を保有していた.同館はこのたびの津波災害により壊滅的な被害を受け(図1),6人の職員全員が死亡または行方不明となった.このため同市立海と貝のミュージアムや市教育委員会の職員が岩手県内の博物館等の協力を得て資料救出を行い(図2),再生のための作業を進めてきた.この事業は,文化庁の被災文化財等救援委員会による事業の中に位置づけられ,陸前高田市の要請により岩手県教育委員会主導のもとに4月当初から岩手県立博物館が中心となって進めてきたものである.なお,岩手県全体の自然史資料救援の状況については,鈴木・大石(2011),大石(2011)が概要を述べている.

図1 陸前高田市立博物館の玄関付近に集積した瓦礫.自動車1台と花崗岩のモニュメントも玄関に押し寄せた.2011年3月25日撮影. 図2 陸前高田市立博物館地質展示コーナー付近.落ちた天井と瓦礫の下に隠れていた自動車がこの日までに引き出されていた.50cmほどの砂泥の堆積がまだ残されている.2011年4月27日撮影.

 
2 実施事業の概要
   陸前高田市立博物館から救出された資料は,4月から5月にかけて市内矢作町の山間部にある旧陸前高田市立生出小学校に自衛隊の協力により運搬され(図3),海と貝のミュージアムの熊谷 賢氏や市立博物館元館長本多文人氏を中心とした市職員が他機関職員の協力を得ながら洗浄等の作業を進めてきた.
   地質標本については,校舎軒下にブルーシートに包まれて保管された状態から本事業の作業が始められた.事業は,岩手県立博物館が企画し,標本管理に熟達した全国の地質系学芸員等の参加を募って8月と10月に行われた.この事業は,同定,台帳・データベース再構築作業のための第1次的段階とし,地質標本を洗浄,乾燥させて整理し,室内で扱うことができるようにすることを目的とした.協力支援は日本地質学会(8月)のほかに,日本古生物学会(10月)からいただいた.また,東北地質調査業協会からも支援の申し出をいただいた.

図3 旧生出小学校校舎軒下に運搬される地質標本.2011年5月7日撮影.

 
(1)実施期日
   第1次作業は平成23年8月1日〜4日に,第2次作業は10月4日〜7日に実施した.また,補足作業は8月29日〜31日,11月16日,12月7日,13日に行った.
(2)実施場所
   作業は,上記の旧生出小学校で実施した.なお,被災地は宿泊場所の確保が困難であったため,当初は寝袋持参で旧生出小学校に宿泊することも検討したが,被災資料にともなう夏場のカビの発生などによる住環境の悪化が心配されるようになっていた.しかし,第1次,第2次作業のいずれについても作業場所にほど近い「ホロタイの郷『炭の家』陸前高田市交流促進センター」を宿泊場所として確保できた.この施設は素泊まりであったので,事業参加者による買い出しと自炊(係と当番)も作業の一環として位置づけた.
(3)事業参加者
   原則として地質系の博物館学芸員と大学の地質系教員に地学系学芸員メーリングリスト(8月)と日本古生物学会のメーリングリスト(10月)で参加を呼びかけた.また,公務の出張での参加を原則としたが,休暇で自費の参加者などの場合は,一括して盛岡市社会福祉協議会でボランティア活動保険に加入した.保険料は補助があって無料であった.参加者は,24機関からの33名であった(付記).
   本事業は,岩手県教育委員会から文化庁の被災文化財等救援委員会へ依頼して,救援委員会から県外の機関等へ依頼するしくみになっていることから,参加依頼についてはそのような手続きで進めた.自家用車参加の希望者には,岩手県教育委員会生涯学習文化課より災害派遣等従事車両証明書を発行し,高速道路通行料金無料での参加ができるように手配した.
(4)作業対象標本の概要
   陸前高田市立博物館所蔵地質標本の大半は陸前高田市内から採集されたものである.陸前高田市は南部北上山地に位置し,主として先シルル紀の花崗岩や変成岩,上部古生界,白亜紀花崗岩が分布する.日本の中・古生界の大部分は大型化石に乏しい付加体からなるのに対して,南部北上山地の古生界は化石の豊富な浅海成の正常堆積物からなり,その分布はわが国で最も広い.陸前高田市は,古生界の中でも石炭系やペルム系が広く分布し,これらの地層はわが国のこの時代の地史を明らかにする上で重要な位置を占めている.このため,陸前高田市立博物館所蔵の標本は地質学的にたいへん貴重である.
   なお,気仙隕石と関連資料はミュージアムパーク茨城県自然博物館の特別展のために貸出し中であったので被災せず,9月に岩手県立博物館を通して陸前高田市立博物館に返却された.
(5)作業の方法
   旧生出小学校校舎軒下に仮置された樹脂製コンテナ等131箱の標本について作業を進めた.次亜塩素酸ナトリウムによる除菌の手順などは,先行して進められていた海水損文化財の安定化処理方法を参考にした.作業開始前に樹脂製コンテナに通し番号をつけた.作業中はゴム手袋や防塵マスクなどを着用した.
a 樹脂製コンテナの詰め替え 収蔵庫で樹脂製コンテナなどに収納されていた標本のほかに,砂泥が堆積した博物館内で拾い集められた標本もあり,コンテナによっては多くの標本が詰め込まれた状態になっていたので,これを数箱に分配し,新たなコンテナに枝番号をつける.
b 資料情報の記録 標本ラベルに記録されている標本番号・学名・産地・採集者名などの資料情報を必要に応じて転記し,ラベルや標本の紛失・混入を防ぐ.
c 洗浄(1)土砂を歯ブラシやタワシなどを使って水道水でざっと落とす.コンテナ内にあるメモや袋等をできるだけ元の標本と一緒に扱う(図4).
d 除菌 標本とラベルを次亜塩素酸ナトリウム400倍希釈水溶液に2〜3分浸ける.紙,袋類もあわせて除菌する.
e 洗浄(2)残った砂や泥の汚れを水道水で落とす.細かな隙間の汚れは,歯ブラシなどを使って除去する.ヘドロや油分を含む場合は,中性洗剤水溶液を使って取り除く.
f 乾燥 水分を拭き取り,水切りかごなどで乾燥させる.ラベルはキッチンペーパーの上に置いてアイロンがけをする.乾燥には1日または数日かける.
g 収納・整理 乾燥後,チャック付きポリ袋にラベルと標本を別々に収納し,さらにそれらを大きな袋にまとめて収納する.もとのコンテナと同じ標本構成で収納し,同じ箱に入っていたものを一か所にまとめておく(図5).
h 樹脂製コンテナごとの撮影・記録 コンテナごとに写真撮影を行い,標本の種類の概要と点数を1枚のカード(A4)に略記する.この作業は,上記「f 乾燥」「g 収納・整理」と前後することもある.

図4 本事業の地質標本洗浄作業.旧生出小学校で2011年8月2日撮影. 図5 本事業の地質標本整理作業.旧生出小学校で2011年10月6日撮影.

 
3 事業実施結果
   本事業開始当初は,作業対象地質標本は樹脂製コンテナ等131箱であったが,コンテナの詰め替えや他分野の資料に混入していたものも追加されたことから,樹脂製コンテナは255箱に増えた.収納された標本は3,260点あり,コンテナに収納されていない大型岩塊23点を含む標本実数は3,283点となった.
   標本にはラベルが保存されていないものが少なからずあり,今後の標本整理に支障をきたすことも予想される.しかし,ラベルがなくとも母岩の岩質や化石の産状などによりある程度産地が推定できるものもあり,とくに陸前高田市矢作町飯森(いも)のペルム紀化石が比較的多いことがわかっている.また,市内の石炭系から産出したと思われるサンゴ化石を含む石灰岩も多い.新第三紀の化石,岩石・鉱物も多数含まれる.
   なお,本事業ではペルム紀化石産地の見学と被災地の視察も行った.本事業の活動状況については,すでにいくつかの紹介記事(兼子, 2011; 川端, 2012; 間嶋, 2012; 平田, 2012)が発表されているので,参照されたい.

4 地質標本救済事業の意義と自然史標本に関する問題
   津波によって被災した標本にかかわる作業は誰しもはじめての経験であったので,作業の手順は試行錯誤の要素が強かった.しかし,日常的に地質標本を扱っている専門家一人ひとりが自ら方法を考え,参加者同士相談しながら作業にあたったことで,大きな支障もなく事業が進められたといえる.このように,異なった機関の専門家が共同してひとつの作業を行うことになったわけだが,大規模な研究プロジェクトでもないこうした地道な事業としては,画期的なことだったといえる.
   前述したように,本事業は文化庁の被災文化財等救援委員会の「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業」の枠組みの中で実施されたが,その要項には自然史標本が救援の対象として明示されていない.当初から「被災文化財等」の「等」で自然史標本も対象にしているという情報があったが,このことで若干の混乱がみられた.もともと文化財と自然史標本との両方の分野にまたがる議論が従来ほとんどされてこなかったこと,つまり両分野それぞれの中で議論が終始していたことが,今回の震災を契機にしてあらためて浮き彫りにされたということかもしれない.
   そもそも自然史標本と文化財との関係はどうなっているのだろうか.自然史標本は,母集団(自然界)にはたくさんあるので,もともとはあまり価値を有さないともいえる.一方,「文化財」とは『広辞苑』で「文化活動の客観的所産としての諸事象または諸事物で文化価値を有するもの」といわれる.もともと価値を有さない自然史標本は,学術活動があって価値が生ずると考えられるが,そのことは当該学術コミュニティの中では重要視されても,その外側ではそういった情報は共有されてこなかったのではないか.
   自然史標本の意義に関しては,自然史博物館の重要性の再認識と自然史標本の公的保護制度についての議論がはじまっており(斎藤ほか,2011; 西田,2012),この問題は今後大いに議論されるべきだと考えられる.

5 おわりに
   博物館資料の救済事業は,地域のアイデンティティの物的証拠の復活を意味し,関連学問分野のありようも問うていると考えられる(真鍋,2011a, b).陸前高田市立博物館の地質標本の救済事業は,今後も多くの作業を必要としている.とくにこれからは,標本の大分類とコンテナの組み替え,専門家による標本の鑑定・同定と産地推定などが必要である.そしてデータベース化やラベルの出力により博物館資料として活用できる標本群へと再生させる必要がある.なお,平成24年4月1日をもって海と貝のミュージアムは廃止となり,陸前高田市立博物館は旧生出小学校において本多文人新館長のもとに再出発した.
   報告の最後に,本事業について「東日本大震災対応作業部会報告書に係る研究・調査事業プラン」により助成をしていただいた日本地質学会に深謝の意を表する.また,本多文人氏・熊谷 賢氏ほか市職員,遠野市立博物館前川さおり氏,現地でご助言をいただいた神奈川県立生命の星・地球博物館斎藤靖二館長と平田大二氏をはじめ,本事業にかかわったすべての方々と機関に厚く御礼申し上げる.

6 文献

平田大二(2012)陸前高田市立博物館の地質標本レスキュー作業にかかわって.神奈川県博物館協会会報,(83), 59-67.

兼子尚知(2011)陸前高田市立博物館の地質標本レスキュー事業参加報告. GSJ Newsletter, (84), 3-4.

川端清司(2012)「東北地方太平洋沖地震及び津波」で被災した陸前高田市立博物館の地質資料レスキュー. Nature Study, 58(3), 5-7.

真鍋 真(2011a)東日本大震災:学術コミュニティが取り組むべき現在と未来. 全科協ニュース, 41(5), 5-7.

真鍋 真(2011b)地域の記憶を継承する場としての博物館. 海洋と生物, 33(5), 395-402.

間嶋隆一(2012)日本古生物学会博物館レスキュー活動に参加して. 化石, (91), 56-59.

西田治文(2012)標本レスキュー,過去を未来へ-自然界の文化財を守り伝えることの意義-. 岩槻邦男・堂本暁子(監修)災害と生物多様性〜災害から学ぶ,私たちの社会と未来〜, 70-73.

大石雅之(2011)岩手県における被災自然史標本の救済活動.学術の動向, 2011.12, 38-39.

斎藤靖二・西田治文・真鍋 真(2011)公開シンポジウム「緊急集会:被災した自然史標本と博物館の復旧・復興にむけて-学術コミュニティは何をすべきか?」を開催して. 学術の動向, 2011.12, 56-59.

鈴木まほろ・大石雅之(2011)津波被災標本を救う〜つながる博物館をめざして〜.生物の科学遺伝, 65(6), 2-6.

 
付記 陸前高田市立博物館地質標本救済事業参加者一覧(24機関33名)
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第1次作業参加者(8月1日〜8月4日)15機関20名
大石雅之・吉田 充(岩手県博),永広昌之(東北大総合学術博),遠藤大介(筑波大博士後期課程1年),兼子尚知(産総研地質標本館),小池 渉・細谷正夫(茨城県自然博),奥村よほ子(佐野市葛生化石館),横山一巳(国科博),立澤富朗((有)ジオプランニング),佐藤たまき(東京学芸大),加藤久佳(千葉県中央博),大島光春・佐藤哲哉・樽 創(神奈川県生命の星・地球博),河本和朗(大鹿村中央構造線博),川端清司(大阪市自然史博),先山 徹・松原 尚志(兵庫県人と自然博),澤田結基(福山市大)
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第1次補足作業参加者(8月29日〜8月31日)4機関5名
大石雅之,真鍋 真(国科博),伊左治鎭司・加藤久佳(千葉県中央博),高橋みどり(静岡科学館)
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第2次作業参加者(10月4日〜10月7日)13機関16名
加納 学(三笠市博),小林快次(北海道大総合博),大石雅之・吉田 充,永広昌之,川村寿郎(宮城教育大),菊池佳子(同大修士課程1年),千葉和昌(同大4年),兼子尚知,奥村よほ子,高桑祐司(群馬県自然史博),川辺文久(文科省初等中等教育局),間嶋隆一(横浜国大),大路樹生(名古屋大博),松原尚志,大橋智之(北九州市自然史・歴史博)
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第2次補足作業参加者(11月16日,12月7日,12月13日)1機関2名
大石雅之・吉田 充
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(2012/4/25)