水垣桂子

産総研地質調査総合センターの会員、水垣桂子です。

産総研つくばセンターも建物や実験機器類がかなり損傷し、本震から数日間は自宅待機となりました。その期間にたまたま見かけた被害状況を報告いたします。本震の震源(破壊開始点)からは離れた内陸部での被害の一例となればと思います。

場所は茨城県龍ケ崎市飛び地、女化稲荷神社です。

調査日は本震から3日後の3月14日で、倒れたものなどは既に整理されており、落下方向などはわからなくなっていました。

写真の位置および撮影方向を図に示します。



写真1: 神社本殿前の鳥居で、最上部の横木(正しくは笠木+島木)と額束が落ちていました。周囲は危険なためロープを張って立入禁止となっていました。鳥居の両側にある台座にも何か乗っていたものと思われますが、周辺にそれらしいものは見当たらず、地震以前から撤去されていたものかどうかはわかりません。
写真2:同じ鳥居を正面から撮影したもの。鳥居下の石畳の損傷状況から推測すると、「女化神社」と書かれた額束はほぼ真下に落下したのではないかと思われます。本殿にはこれといった被害は無いようでした。
写真3:稲荷社であるため、本殿までの参道に何本か鳥居があります。その中締め(?)とも言える位置にあるのがこの鳥居です。こちらは横方向の笠木および貫がすべて落下してしまい、縦の柱2本だけとなっていました。落ちた笠木等は片側に集められており、落下方向はわかりません。

写真1と写真3の間の参道には複数の鳥居があり、形式や材質も様々ですが、これらには特に大きな損傷は無いようでした。

写真4:境内にある灯籠が崩れていました。これも片づけられているため、落下した方向等はわかりません。この写真の左奥が写真1の鳥居、右奥が本殿となります。

なお、この周辺の住宅では、外見からわかるほどの大きな被害は認められなかった模様です。

牛久の市街地では、住宅の瓦が落ちてビニールシートで覆ってあるのを何軒か見かけました。

(2011/5/17)

新沼正彦

岩手県大船渡市末崎町細浦在住の会員「新沼正彦」です。

大船渡や陸前高田の津波浸水域について報告します。大船渡市南部の湾口近くにある細浦港に自宅があります。全壊流失しました。

特に被災調査というわけではなく、自分の避難生活や身内の安否確認で大船渡市や陸前高田市街を被災3日後に回りました。

津波の浸水域は、概ね標高13mラインまでのようです。高いところで15mほど低いところで10mといったところです。

そのため、行政の設定した一時避難場所(明治三陸津波が基準)避難場所ごと流された事例が多かったようです。特に陸前高田市では。

大船渡市でも同様です。

自宅裏の高台(標高10mほど)が避難場所に指定されていたのですが、津波はそれを3〜4m超える高さで来たようです。地元の地形を知っている住民が、とっさの判断で避難者をさらに高台に誘導したため近所にいた住民や勤め人に犠牲者がなかったようです。

自宅周辺には、明治や昭和の津波到達位置を示す石碑が数か所設置されておりますが、いずれもこれを数m超えています。

津波を目撃した叔母は、「最初は海水面が静かに上昇し、数mの高さになって家々を飲み込みんだあと一気に壁のように海面が高く競り上がり、波頭が砕けた。」と言っておりました。

(2011/4/6)

大槻憲四郎

宮城県女川町で行っていた温泉水ラドン・炭酸ガス濃度観測の機器を撤収するため、4月5日女川町を訪れた。災害調査を予定しておられる方のため、石巻−女川の交通状況等をお知らせする。

三陸自動車道は、すくなくとも石巻河南インターチェンジまでは支障なく利用できた。ここで高速道路を下り、108号線に沿って石巻市街地を東に向かった。冠水の形跡が残っているのは貞山堀を過ぎた所からで、壁等に残っている水位の跡は1.5m程度である。道路脇には少量の泥と浮遊物の残骸が集められていたが、警察官による交通整理のためもあり、自動車の流れはスムースであった。旧北上川に架かる石巻大橋は、軽微な損傷を受けているものの、交通に支障はなかった。その先の牧山トンネルは冠水しなかったようである。このトンネルを出て398号線との交差点あたりから状況は一変し、木造家屋のほとんどは全壊し、津波で流された自動車などが散乱していた。その様な津波被害の状況は石巻線渡波駅・県立水産高校あたりまで続いた。残骸の山は道路の両側に寄せられており、自動車は支障なく通ることができた。より東の万石浦小学校やイオンあたりから万石浦北岸を走る398号沿いでは、一部が浅く冠水しただけで、家屋の破壊状況は軽微のようであり、このような状況は湾奥の石巻線浦宿駅あたりまで続いていた。万石浦沿岸の被害が比較的軽微なのは、狭い湾口に押し寄せた強い津波の流れが、広い湾内に流入することで弱まったためであろう。

女川町主要部に入る峠からは女川湾を望むことができるが、被害状況は惨憺たるものであった。標高20mほどの高台に建つ町立病院と女川港の南端にあるマリンパルの茶色の鉄筋コンクリート建物のみが残っているだけで、木造家屋はもちろんのこと、モルタル造りや鉄筋コンクリート製の建物もほとんどが全壊の状況であった。地盤が沈下し、マリンパルの建物近くの埠頭は浅く冠水していた。残骸は脇に寄せられていて、市街地の道路は通行できた。石巻線女川の駅舎は残っていたが、駅前広場と温泉施設「ゆぽっぽ」の2階部分は跡かたも無くなっていた。その裏の4階建の建物は3階までは津波で壊されており、数m高い位置にある3階建ての女川町役場も骨格を残すのみとなっていて、エントランスには自動車が突っ込んでいた。女川湾北西角から北に延びる谷にある清水町も、跡形も無くなっていた。

町の災害対策本部は旧市街地北側裏手の高台にある女川第二小学校に設けられ、役場もここに移転している。この地続きには広大な女川運動公園があり、体育館が避難所として使われていた。野球場には自衛隊が宿営し、テニスコートには風呂が開設されていた。小生は温泉施設「ゆぽっぽ」の源泉を利用させてもらってラドンと炭酸ガス濃度変化を観測させて頂いていたが、この源泉もこの高台の片隅にある。貯湯タンクが地震動で壊れ、観測機器類は水漬になっていた。

帰路は石巻市街地ではなく、240号線・日和大橋、海岸の工場地帯を通った。この一帯は津波にまともに晒された所で、工場群と住宅は壊滅状態であった。

(2011/4/6)

【初出時、白山神社はかろうじて浸水を免れたとの記述がありましたが、誤りでした。白山神社は拝殿、幣殿、本殿ともに浸水被害を受け、現在白山神社再建委員会が組織され再建に向けた活動を行なっているとのことです。関係者の皆様に謹んでお詫び申し上げ、ここに訂正いたします。(2012/2/20)】