2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による仙台地域の墓石転倒率について

石渡 明・宮本 毅・平野直人(東北大学東北アジア研究センター)

 

主な結論

(1)今回の巨大地震による墓石転倒率は1978年宮城県沖地震より低い。

(2)墓石の転倒率が高い地域は沿岸部と内陸部の2列になっている。

 

仙台地域の墓地129ヶ所において、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(M9.0)による墓石の転倒率を3月13日から4月4日にかけて調査し、1978年6月12日の宮城県沖地震による墓石転倒率分布と比較した。調査範囲は5万分の1地形図「仙台」の全体と「岩沼」の北半部及び「白石」の北東端部にわたる東西約30 km、 南北約30 kmの地域で、仙台を中心として北東は利府、西は愛子(あやし)、南西は村田、南は岩沼を含む。

この調査は、形状ができるだけ一定した物体に対する地震波の影響を評価するため、標準型の墓石(図1:縦長の直方体で断面がほぼ正方形のもの、いわゆる棹石(さおいし))のみについて、転倒しているものと転倒していないものを数えた(図1は大きく変位しているが倒れていない)。横長や不定形の墓石、五輪塔などは計数から除外した。また、統計的有意性に配慮して墓石の全数が30基以上の墓地についてのみ計数した。墓石の新旧や耐震施工の有無は計数において考慮しなかった。これらは、見ただけでは判断が難しく、厳密さを追及すると調査の能率が著しく悪くなるためである。耐震施工されている新しい墓石は倒れにくいはずであるが、実際に揺れが強かった墓地ではそのような墓石も倒れており、見回った印象では耐震施工により墓石転倒率が低減される程度は恐らく10%前後であろう。津波の被害を受けた沿岸部については、墓石が地震で倒れたのか津波で倒れたのか判断が難しい墓地(図2)は除外したが、津波の影響が少ないと判断される墓地のデータは採用した。

第1図.大きく変位した標準型の墓石。この型の墓石のみを数えた。 第2図.津波で水深2 m以上冠水した墓地。ここのデータは採用しなかった。

 

第3図.2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による仙台地域の墓石転倒率分布(今回の調査結果に基づく)。
第4図.1978年6月12日の宮城県沖地震による仙台地域の墓石転倒率分布。東北大学理学部地質学古生物学教室(1979)のデータに基づいて作図。

今回の巨大地震による仙台地域の墓石転倒率分布を図3に、1978年宮城県沖地震の際の墓石転倒率分布図(同縮尺、同図法で描き直したもの)を図4に示す。これら2つの地震による墓石転倒率とその分布が非常に異なることは一目瞭然であり、それらの特徴をまとめると次のようになる。


(1)1978年宮城県沖地震に比べて今回の地震は規模が大きかったにも関わらず、墓石の転倒率は地域全体で低く、特に仙台市中心部で墓石の転倒が非常に少なかった。1978年の地震では仙台市東部の海岸平野を中心に墓石転倒率が80%以上の墓地が17ヶ所もあったが、今回はそのような高転倒率の墓地は全くなく、転倒率68%の墓地が1ヶ所あったが(図5)、他はいずれも50%以下であった。

(2)1978年宮城県沖地震の墓石転倒率の分布をみると、仙台市東部の海岸平野中心部で転倒率が最も高く、その周辺に向かって転倒率が低くなる同心円状の分布が顕著だったが、今回の地震では山側の広い地域にも墓石の転倒が拡がっており、転倒率が比較的高い地域は海岸線と平行な2列の帯状に分布しているようにみえる。ただし、1978年の地震については山側の墓地の調査が行われておらず、1978年の地震による山側の高転倒率地域の有無は断言できない。


 

第5図.今回の調査で最大の墓石転倒率を示した仙台市の墓地の様子。

 

 この調査結果についての考察は、次のようである。

(1)気象庁の発表資料などによると、今回の地震と1978年の宮城県沖地震の震央は近接していて、いずれも仙台市東方170 kmほどの場所であるが、震源の深さは今回が24 kmであるのに対し、宮城県沖地震は40 kmとかなり深かった。今回は震源が浅かったために断層のずれが海底に大きく現れ、波高10 m以上の大きな津波を引き起こしたと考えられる。宮城県沖地震の津波の高さは数10 cmだった。このことは、今回の地震を発生させた断層が全体として比較的浅いところで動いたことを意味し、1978年宮城県沖地震の場合に比べて断層の周囲の岩石がより脆弱であったと考えられ、そのために比較的長周期の地震波が卓越し、地震の規模が大きかった割には、墓石を効果的に転倒させるような短周期の地震波があまり発生しなかったことを示唆する。

第6図.仙台市の丘陵部の墓地における小規模な地すべり。
第7図.仙台市の丘陵部における住宅地の斜面崩壊。
第8図.仙台市の丘陵部における舗装道路の損壊。
第9図.仙台市の東北大学東北アジア研究センターの建物の損壊。

(2)宮城県沖地震以後の33年間で、墓石の耐震化が進んだので、今回の墓石転倒率は、耐震化以前の状態よりも全体として10%程度低くなっている可能性がある。しかし、このことは広域的な転倒率分布のパターンにはあまり影響しないであろう。

(3)今回と同様に転倒率の高い地域が数列の帯状になった場合として、1993年の釧路沖地震がある。この地震は釧路沖約20 km, 深さ107 kmを震源とする深い場所で起きた地震であり、震央に近い海岸沿いでは比較的転倒率が低く、震央から離れた場所に転倒率の高い地域がまだら状に現れた(田近ほか, 1994)。内陸直下型地震では通常、震央を中心とする同心円状の転倒率分布になるが(石渡ほか, 2009)、ときどき震央から離れた場所に比較的転倒率が高い「異常震域」が現れることがある。例えば2007年能登半島地震の場合は、震央から約30 km離れた七尾市の丘陵部に異常震域が現れた(野村, 2007)。異常震域が発生する詳しいメカニズムはわからないが、一般論としては、いろいろな経路を通ってきた地震波がある地域で干渉し合って振幅が大きくなる場合が考えられる。今回のように震源が遠い海溝型地震の場合は、揺れの強い地域と弱い地域が干渉縞のように何回も繰り返し現れることが考えられる。因みに、今回の地震で最大震度を記録したのは海岸沿いではなく、内陸の栗原市であった。なお、地震波の位相のずれによっては、逆に干渉し合って振幅が小さくなることもあるはずで、今回仙台市中心部で墓石転倒率が低かったのはそのような理由によるのかもしれない。

 墓地の調査の過程で、丘陵地の小規模な斜面崩壊や地すべりを多数の地点で目撃した(図6,図7)。平野部での液状化はあまり目撃しなかったが、恐らく津波の被害を受けた沿岸部では液状化も発生していたと考えられる。道路の舗装の破壊や陥没も至るところで見られた(図8)。コンクリート製の建物の地震による損壊は少なかったが、我々の東北アジア研究センターの建物は上部が大きく損壊し(図9)、危険度判定の結果立ち入り禁止になっている。

今回の地震は、この調査が一段落した4月初めの時点で、既に死者が1万人を超え、行方不明者と合わせて27,000人以上が犠牲になった大災害である。末筆ではあるが、犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げる。そして、今回の調査にご協力いただいた寺院や霊園の関係者の方々や墓参中の一般の方々にお礼申し上げる。また、貴重なコメントをいただいた吉田武義教授に感謝する。


 

文献

石渡明・小栗尚樹・原田佳和 (2009) 岩手・宮城内陸地震(2008)の墓石転倒率分布とその地質学的考察.東北アジア研究, 13, 1-16.

野村正純 (2007) 能登半島地震;旧七尾市における建造物の被害。地球科学, 61, 255-263.

東北大学理学部地質学古生物学教室(1979) 1978年宮城県沖地震に伴う地盤現象と災害について. 東北大学理学部地質学古生物学教室研究邦文報告, 80, 1-97.

田近 淳・深見浩司・岡崎紀俊・小澤聡・遠藤祐司・黒沢邦彦・大津 直・荻野 激・石丸 聡・秋田藤夫(1994) 1993年釧路沖地震による地盤現象と災害.北海道立地下資源調査所調査研究報告, 23.

(2011/4/5)