岩手・宮城内陸地震 墓石転倒率分布調査 結果所見

2008年6月30日
 
東北大学東北アジア研究センター  教授 石渡 明
東北大学大学院理学研究科地学専攻 院生 小栗尚樹
東北大学理学部地球惑星物質科学科 学生 原田佳和
 



 

調査概要


 

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この調査は、今回の地震による揺れの強さの詳しい分布を明らかにすることを目的として、地震後10日〜15日の期間に4日間行った。北は岩手県奥州市水沢から南は宮城県大崎市古川まで、南北約60 km、東西約30 kmの範囲の墓地53ヶ所において、墓石の転倒率(墓石の全数に対して何本の転倒したか)を数えた。墓石は、上部の棹石(さおいし)の断面が正方形に近くて縦長のもののみを数え、横長のもの、平板状のもの、五輪塔その他の不規則な形状のものは数えなかった。典型的な棹石は底辺が30〜40 cm、高さが60〜90 cmである。棹石が完全に落下している場合のみを「転倒」とし、ずれたり回転したりしていても台の上に残っている場合は「不転倒」とした。なお、地震発生から調査までかなり日数が経過したために、墓石が復元されている場合も多かったが、墓石の傷、欠け、周囲の痕跡などで地震時に転倒したと判断されるものは「転倒」とし、この判断に迷う場合は「不転倒」とした。傷や欠けの見落としもあると思うので、今回の調査による転倒率は、地震直後に計数した場合に比べてやや低い可能性がある。
 

 

所見


 

1.墓石転倒率が最も高いのは、岩手県奥州市胆沢町萩森の公葬地と同市衣川村野崎の大原公葬地で、どちらも52〜53%の墓石が転倒している。これら2地点は、調査した墓地の中で震央に最も近い(約10 km)距離にある。このことは、震央の近くで最も地震の揺れが強かったことを示している。今回の地震による、墓石の転倒率が50%を越える地域の範囲は、2007年3月25日の能登半島地震の場合と同程度であり、2000年10月6日の鳥取県西部地震や2004年10月23日の中越地震(いずれも半径20 km程度)に比べるとやや狭い。

 

2.転倒率が20〜50%の墓地は4ヶ所あり、奥州市胆沢町大原付近から一関市厳美町地区を経て宮城県栗原市栗駒町鳥沢地区へ南北に並んでいる。転倒率が10〜20%の墓地は宮城県栗原市・大崎市にかけて、震央から南へ向かって40 km程度の範囲に拡がっており、震央から約50 km離れた大崎市古川市街の墓地でも1%以上の墓石が転倒している。一方、震央の東側に当たる岩手県奥州市水沢から平泉を経て一関市に至る北上川沿いの平野部では、震央から20 km程度しか離れていないのに、転倒率が10%を超える墓地はなかった。また、震央の南西側にある鳴子温泉や川渡温泉の墓地では、灯籠や碑板など、棹石に比べて不安定なものも倒れておらず、棹石のずれもほとんど見られなかった。これらのことは、今回の地震の強い揺れが主に南〜南東の方向へ拡がったことを示している。

 

以上