東日本の太平洋沿岸各市町村の2011.3.11津波による人的被害について

石渡 明(東北大学東北アジア研究センター)

 

 

東日本の太平洋沿岸部の各市町村における今年3月11日の大震災(主に津波)による死者・行方不明者の統計(表1)を見て気がついたこと述べ,今後の防災や土地利用計画の参考に供したい.資料は河北新報と朝日新聞の記事及び河北新報社の「東日本大震災全記録」(2011.8.5発行)に基づく.

1.死者・行方不明者が最も多かったのは宮城県石巻市(4043人)であり,岩手県陸前高田市(2122人)がこれに次ぐ.石巻市は津波の浸水面積が最大であり(73km2),陸前高田市では18mの高さの津波が市街を襲った.死者・行方不明者が1000人以上に達するのは岩手県大槌町から宮城県東松島市までの6つの市町村であり,500人以上は岩手県宮古市から福島県南相馬市までの14の市町村である.この他に福島県最南部のいわき市でも347人,千葉県旭市でも13人の死者・不明者が出た.複数の死者が出た青森県水沢市から千葉県旭市まで(表1の範囲)は直線距離で560kmあり,これはほぼ今回の地震の余震域の長さに対応する.

2.死者・行方不明者の人口比が最も高かったのは宮城県女川町,岩手県大槌町,陸前高田市で,各自治体の人口の8〜9%(津波浸水域の人口の12〜13%)が亡くなった.死者数が最多の石巻市の人口比は2.5%(浸水域人口の3.6%)であった.北は岩手県野田村から南は福島県大熊町までの25の市町村で人口比0.2%以上の死者・行方不明者が出た.

3.津波による被害が大きかった沿岸部の範囲内でも,岩手県普代村,岩泉町,宮城県松島町,利府町,塩釜市では特に人的被害が小さかった.普代村から岩泉町にかけては20mを超える高さの津波が襲来したが,普代村では高い防潮堤が津波を防ぎ,住民を守った.岩泉町は海岸に平野がほとんどなく,低地に住む人が少なかったことが被害を小さく抑えたと思われる.松島町・利府町・塩釜市は,入口が狭くて多くの島や半島に守られた湾の奥にあるという地形的な利点が幸いしたと思われる.

4.深刻な津波被害を受けた岩手県宮古市から宮城県東松島市までの範囲内では,岩手県大船渡市の人的被害が比較的小さかったことが目立つ.同市綾里(りょうり)の白浜では津波の高さが26.7mに達し,これは宮古市田老の37.9mに次ぐ高さであり,大船渡港にも10mを超える高さの津波が来ていて,これは山田町や釜石,気仙沼と同程度である.死者・行方不明者の数(448人)においても,その人口比(1.0%)においても,大船渡市の被害が周辺市町村に比べて顕著に少なかった理由については,(1)市街地や集落が他の市町村よりも標高の高いところにある,(2)防災教育が徹底していて多くの人が早く高所に避難した,(3)津波の破壊力(流速)が弱かった,などいくつかの可能性が考えられる.大船渡市は,1960年のチリ地震津波で最も人的被害が多かったため(死者53人,全国の死者・行方不明者142人の1/3以上),他の市町村より津波被害の記憶が鮮明で,住宅の高台移転や防災教育に熱心だった.市役所,学校,病院,警察なども高台にあり,低地は商業ビルや工場として利用されていた.郊外でも,大船渡市吉浜では集落を高台に移転し低地は水田にしたため,今回の津波でも人的被害が少なかった(行方不明1人のみ).また,チリ地震後に世界最大級の湾口防波堤が建設され,今回の津波で破壊されたものの,津波の勢いを弱め,市街への到達を遅らせて避難の時間を稼ぐ上で一定の効果があったと考えられる.つまり,津波対策を考えた土地利用,住宅の高台への移転,湾口防波堤の設置などが人命を救ったことがはっきりと数字に表れているわけで,大船渡市は他の三陸市町村の今後の防災・土地利用計画のモデルとなるだろう.

5.東北最大の沿岸都市である仙台は,海岸平野部で多数の死者・行方不明者を出し,津波浸水地域の面積(52km2)では石巻(73km2)に次ぐが,2番目の大都市である福島県いわき市(15km2)よりも人的被害の人口比がやや小さかった.津波の高さは仙台港で7m程度(ただし若林区荒浜では12m以上),いわき市江名港でも7m程度であった.仙台の市街地は内陸の台地や丘陵地に発達し,海岸平野は主に水田や商工業施設,公共施設などに使われている.台地や丘陵地にある都市は坂が多くて生活に不便であるが,津波や洪水に対する防災上は有利であり,この土地利用が仙台市全体の人的被害を軽減したと思われる.これには,伊達政宗が44歳の時に発生した1611年12月2日(旧暦10月28日)の慶長津波の経験が生きているのかもしれない.この時の仙台〜岩沼の津波の高さは7m程度,伊達領内の死者は1783人とされる.政宗はその2年後の1613年に慶長遣欧使節を派遣しており,復興は早かったようだ.沿岸市町村では,津波被害軽減のために今後もこのような土地利用に努めるべきだと思う.しかし,浸水域人口比では仙台の方がいわき市の2倍以上の被害があり,これは避難が遅れたことや浸水域内またはその直近に避難場所が少なかったことが原因と思われる.海岸平野の犠牲者を少しでも減らすために, 十分な高さの丈夫な津波避難ビルや高架道路などの建設,避難路や警報機の整備,避難訓練の定期的な実施などが望まれる.そしてこれは,南海トラフ沿いや日本海側を含め,海岸線をもつ全ての市町村が緊急に行うべきことだと思う.

粗稿を読んで貴重なコメントをいただいた(社)日本石材産業協会技術顧問(元地質調査所)の服部 仁氏,住鉱資源開発(株)の田代寿春氏(大船渡出身),(株)地圏総合コンサルタントの棚瀬充史氏に感謝する.末筆ながら,今回の地震・津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし,被災された方々にお見舞い申し上げる.


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