2006 年集中豪雨災害についての緊急調査報告

参加者:小坂共栄,鈴木啓助,三宅康幸,原山 智,公文富士夫,大塚 勉,村越直美

(文責:公文富士夫)

経過・日程

7月21 日(金)
土砂災害の実態を知り,緊急調査の打ち合わせ
・長野県土木課への事情聞き込みと調査団による調査の申し入れ
・岡谷市への調査の申し入れ
7月22 日(土)
・9:00 信州大学理学部出発(松本市)6名
小坂,三宅,鈴木,原山,公文,大塚,村越
・10:00 岡谷市湊の災害現地本部へ到着
現地本部の首脳陣は,行方不明者の捜索を再開するかどうか,という相談と現地視察のために留守であった.電話で連絡を取ってもらい,1時間余待機するも,捜索活動の妨げになることと危険性が去らないという理由で,調査を見合わせるように指示された.湊での調査は後回しにして,別の場所での調査を行うことにした.・11:00 前日地滑りの「おそれ」が報じられた岡谷市花岡地区の西側斜面で地滑り調査.
・13:40〜14:30 昼食・休憩
・14:50〜18:00 岡谷市川岸地区での災害調査
・19:00 松本着
簡単なまとめ行った.行方不明者が発見され,天候にも問題がなければ,翌日も原山・大塚・村越が調査にでることにした.

調査結果の概要

1.岡谷市花岡地区の「地滑り」の有無

21 日夜に地滑りの恐れがあるということから住民が避難した花岡地区の西側の山塊を調査した.航空写真や地形図では地滑り地形が認められたからである.地滑りのトレースに直行する方向で尾根に沿って地表での亀裂や滑落崖の存在をチェックしたが,新しい亀裂等は見いだされなかった.1〜3mほどの比高をもつ滑落崖様の微地形は何段も認められた(その一部は戦中・戦争直後につくられた段々畑の跡という指摘あり)が,新期の活動を示すものはなかった.
花岡地区の山裾につくられた畑の斜面(土手)の崩壊が1ヶ所でみられ(花岡1の手前のブルーシートの部分),表層地滑りのミニチュアとしても,興味深いものがあった

2.岡谷市川岸地区の「土石流」

比較的広い集水域を持つ谷でるにも関わらず,出口が狭く絞り込まれていることが,この谷の地形的特徴である.おもに2つの経路を流れてきた流水が,谷の出口にある狭窄部(高速道路の橋脚のある位置)で収斂して勢いを増加させ,その周囲および下流側に襲いかかったものと思われる.川岸地区では1名の方が亡くなられたが,その狭隘部分にある住宅で被害を受けられた.流路に橋が架かり,暗渠になった部分が埋積され,詰まったことも要因の一つであろう.
本流では流路からはみ出したような流れの跡が見られないこと,流れが慣性力をもって運動した痕跡がないこと,傾斜の変換点や平な場所で横に広がった流れ(flood flow)にすぐに転換していることなどの点からみて,厳密な意味の土石流と言うよりは,洪水流と見た方が良いと思われる.

写真3

洪水時には芦ノ沢側の雨水が左側の道路を流れ下り(路面の浸食状態から見てかなりの水量と流速があったはず),その一方で本流側の水路(水田の向側の凹みで重機が動いているところ)を多量の洪水流が流れ下った(ただし,水路から溢れ出すほどではなかった).

写真4

両者が合流したのが赤い自動車の先にある橋の部分(今も水が流れている部分).合流部の右手の家屋が大きな被害を受けた.また,その下流側へも多量の土砂を運び出し,多くの家屋に土砂が侵入した.