2022年度 名誉会員

 

板⾕ 徹丸(いたや てつまる)会員
(1946年9⽉4⽇⽣ 75歳、特定非営利活動法人地球年代学ネットワーク 理事長)

 板⾕徹丸会員は、1974年に早稲⽥⼤学を卒業後、1976年に⾦沢⼤学⼤学院修⼠課程を修了、1979年に東北⼤学⼤学院博⼠課程を修了して理学博⼠を得た。その後、東北⼤学で研究⽣と⽇本学術振興会奨励研究員を経たのち、1981年に岡⼭理科⼤学蒜⼭研究所(のちの⾃然科学研究所)講師に就任し、1987年助教授、1998年教授を経て、2016年の退職まで岡⼭を拠点に約40年間、研究と教育に従事した。
 板⾕会員のこれまでの研究は多岐にわたり、三波川変成岩等においてFe-Ti-O-S系鉱物の組成共⽣関係を明らかにし、不透明鉱物に着⽬した流体相の挙動を論じた。また、温度上昇に伴う⾼圧および接触変成岩中の炭質物の結晶構造・化学組成・反射率を検討し、炭質物の⽯墨化の傾向を明らかにした。
 岡⼭理科⼤学では、共同研究者らとともにK-Ar年代測定⽤の希ガス同位体質量分析計を製作するとともに、同機器を⽤いて地質・岩⽯・鉱床の年代学的研究を開始した。その結果、年代測定の精度と頻度を向上させ、国内外の様々な地質事象の解明に貢献した。代表例としては、⻄南⽇本の古⽣代・中⽣代の⾼圧変成帯と弱変成付加体についての年代測定マッピングによって、地質構造単元の境界を明らかにしたことが挙げられ、K-Ar年代測定による⽇本の新しい地体構造論の確⽴に⼤きな役割を果たした。また、分析技術を向上させることにより、第四紀⽕⼭岩のK-Ar年代測定を可能にして、時間分解能を⼤きく向上させた。これらの業績が認められ、1999年には⽇本地質学会賞を、2011年には⽇本鉱物科学会賞をそれぞれ受賞した。
 板⾕会員は2014年に特定⾮営利活動法⼈地球年代学ネットワークを⽴ち上げ、岡⼭理科⼤学退職後に同法⼈の理事⻑として岡⼭県⾚磐市と研究教育連携協定を締結して地球史研究所を設⽴した。同法⼈では、地球年代学に携わる国内外の研究者と技術者が協働して先端技術の研究開発を⾏いながら、防災と資源開発等の社会的な課題に貢献できる次世代の⼈材育成を⽬指している。また、地球史研究所では⼈類紀精密年代測定法の開発研究の他、地質試料の所蔵とアーカイブ化などが進められており、板⾕会員はそれぞれの組織において中⼼的な役割を果たしている。
 ⽇本地質学会においては、1996年から2002年および2004年の約7年間評議員を、1996年から1999年まで各賞選考委員会委員をそれぞれ務め、2000年には各賞検討委員会委員⻑の重責を担っている。
 以上のように、板⾕徹丸会員の地質学における学術研究、教育、普及、そして⽇本地質学会の運営への多⼤な貢献は、⽇本地質学会の名誉会員として相応しいものと判断し、ここに推薦する。


 

平 朝彦(たいら あさひこ)会員
(1946年5⽉30⽇⽣ 76歳、東京⼤学名誉教授/独⽴⾏政法⼈海洋研究開発機構 顧問/東海⼤学海洋研究所 所⻑)

 平 朝彦会員は、1970年に東北⼤学理学部を卒業し、1971年にテキサス⼤学ダラス校地球科学科に進学後、1976年に同⼤学よりPh.D.を授与された。1977年に⾼知⼤学⽂理学部助⼿、1978年に同⼤学理学部の助教授、1985年に東京⼤学海洋研究所の教授にそれぞれ就任した。2002年に独⽴⾏政法⼈海洋研究開発機構地球深部探査センターの初代センター⻑に就任し、2007年に東京⼤学名誉教授の称号を授与された。2007年に海洋研究開発機構の理事に就任し、2012年から2019年までの約7年間同機構の理事⻑を務めた。同機構の理事⻑を退任後は、顧問に就任し、2020年から東海⼤学海洋研究所所⻑にも就任した。
 平会員は、⾼知⼤学在任中に四万⼗帯が海洋プレート上の枕状溶岩・遠洋性堆積物および海溝充填堆積物の付加により形成された地質帯であることを明らかしに、⽇本列島における付加体研究を先導した。東京⼤学赴任後は、⽩鳳丸などを⽤い、四国沖トラフ底の乱泥流堆積物が主に富⼠川起源であることを明らかにして、南海トラフの海洋地質学的研究を推進させた。
 1994年から国際深海掘削計画(ODP)理事会委員を務め、海洋研究開発機構に赴任後は地球深部探査船「ちきゅう」の建造・運⽤に尽⼒するとともに、統合国際深海掘削計画(IODP)の推進など世界の深海掘削研究に⼤きく貢献した。この功績が認められ、2014年に⽶国地球物理学連合では、平会員の名前を冠した「平朝彦国際深海科学掘削研究賞」が創設された。
平会員は国内外での学術活動に関する⼤きな貢献により、1974年にアメリカ地質学会ペンローズ研究奨励賞、2006年に⽇本地質学会賞、2007年に「プレート沈み込み帯における付加作⽤の研究」により⽇本学⼠院賞をそれぞれ受賞した。また、2018年に⽇仏の学術協⼒などの功績によりフランス政府レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章した。さらに、1994年にアメリカ地質学会フェロー、1996年にフランス科学アカデミー招待教授、1997年に⽂部省学術審議会委員、2002年に国際リソスフェアプログラム会⻑を歴任した。
 ⽇本地質学会においては、1986年から1994年および1997年から1999年までの約10年間評議員を、2000年から2002年に副会⻑を、そして2002年から2004年に会⻑をそれぞれ務め、本学会活動に多⼤な貢献をしてきた。
 以上のように、平 朝彦会員の地質学における学術研究、教育、普及、そして⽇本地質学会の運営への多⼤な貢献は、⽇本地質学会の名誉会員として相応しいものと判断し、ここに推薦する。


 

⼋尾 昭(やお あきら)会員
(1944年12⽉14⽇⽣ 77歳、⼤阪市⽴⼤学名誉教授)

 ⼋尾 昭会員は、1967年に奈良教育⼤学教育学部を卒業後、1969年に⼤阪市⽴⼤学⼤学院理学研究科修⼠課程(地質学専攻)を修了し、1972年に同博⼠課程を単位取得退学後、1973年に同⼤学理学部助⼿に就任した。その後、講師、助教授を経て1993年に教授に昇任したのち、2008年に同⼤学を定年退職した。この間、1983年に⼤阪市⽴⼤学より理学博⼠の学位を取得し、2008年には⼤阪市⽴⼤学の名誉教授を授与された。
 ⼋尾会員は、主に⻄南⽇本の基盤地質体の野外調査と放散⾍⽣層序学的研究を主軸にして中・古⽣界の層序・構造の解明に尽⼒した。特に1960年代末から1980年代前半にかけて,秩⽗帯や丹波-美濃-⾜尾帯において三畳系-ジュラ系放散⾍⽣層序の⼤綱を打ち⽴て、かつていわゆる古⽣代後期の地向斜堆積物とされた地層の多くが,メランジュやスラストパイル構造などを呈するジュラ紀付加体であることをいち早く解明した。これらの研究成果は、⽇本列島における中・古⽣代の地史を⼤きく書き換えた「放散⾍⾰命」に重要な役割を果たすこととなった。
 1980年代後半から2008年までの間は、⽇本だけでなく中国の中・古⽣界を対象にした共同研究などにより、多くの⽣層序学的成果をあげた。2008年以降は複数の⼤学で⾮常勤講師を務め、地学教育関係者や市⺠を対象とする講演を⾏うとともに、国内や中国をはじめとする海外において地質巡検を実施するなど、地質学教育および普及に尽⼒してきた。
⼋尾会員は、1994年から1999年に⽇本学術会議地質学研究連絡委員会委員を、2000年から2002年に同古⽣物学研究連絡委員会委員をそれぞれ務め、地質関連学界の発展に携わった。さらに,2003年から2009年に⽇本地質学会編⽇本地⽅地質誌『近畿地⽅』の編集委員⻑を、1991年から1994年に国際放散⾍研究者会議(INTERRAD)議⻑をそれぞれ務めるなど、国内外における地質学の発展および普及に尽⼒した。また、2011年からは奈良県⾃然環境保全審議会委員・温泉部会⻑に就任して、地⽅⾏政に貢献している。
 ⽇本地質学会においては、1973年から1989年に関⻄⽀部幹事を、1996年から1998年に同⽀部⻑を、2006年から2008年に近畿⽀部⻑をそれぞれ務めた。また、1987年から1996年に地質学雑誌編集委員会委員を、1991年から1998年の約7年間に評議員をそれぞれ務め、学会運営に⼤きく貢献した。
 以上のように、⼋尾 昭会員の地質学における学術研究、教育、普及、そして⽇本地質学会の運営への多⼤な貢献は、⽇本地質学会の名誉会員として相応しいものと判断し、ここに推薦する。