坂巻幸雄 会員(1932年4月8日生まれ,86歳)
坂巻幸雄会員は,1956年に東京大学理学部地質学科を卒業し,同年に通商産業省工業技術院地質調査所に入所された.以後,37年の長きに渡り,核原料鉱物資源探査や休廃止鉱山の環境影響評価と重金属汚染の抑制手法,および地質標本管理等の研究に従事された.同調査所定年退職された後は,1994年から2年間,JICA長期派遣専門家のプロジェクトリーダーとして,モンゴル国地質鉱物資源研究所に勤務し,地質学を通じて,同国の鉱物資源開発に携わるなど国際的な貢献を行った.
地質調査所では,含ウラン二次鉱物の形成機構に着目し,表流水・地下水を用いる一般的な地球化学探査法を基礎として,ウラン鉱床に適用可能な手法を開発した.また,重金属はそのまま汚染物質の指標でもあることや,人為的な汚染の発生を試料水の導電率測定から判別する手法などを応用し,休廃止鉱山や廃棄物処分場に由来する汚染状況を効率良く判定する手法を開発し,効果的な対策に結びつけた.
こうした経験を基に,地質学的な解明が遅れがちであった環境汚染問題に積極的に関与するようになった.特に冨山平野で発生したイタイイタイ病問題に対しては,金沢高裁で被害者側が勝訴した1972年以降,住民側の選任科学者として協力を行い,2012年までの延べ40年間,発生源・岐阜県神岡鉱山への立入調査を系統的に実施し,多くの研究者とともにカドミウム汚染のメカニズムの把握やそれに見合った抑制策を提示した.この取り組みの帰結として,現在重金属類の流出はほぼ自然界レベルにまで抑制することができるようになった.また,環境汚染問題の実績が被害者住民団体の間で評価され,東京都日の出町谷戸沢・二つ塚処分場をはじめとして,敦賀市樫曲,富津市田倉,旭市海上などの廃棄物処分場の汚染水漏洩問題に関与し,現地観察に基づく主張の相当部分は,裁判所によって採用された.
2007年以降は,東京都江東区の豊洲中央卸売市場予定地で,かつて操業していた都市ガス工場によって引き起こされた深刻な土壌・地下水汚染や液状化―流動化現象に対し,環境地質学的視点からの問題提起と批判を展開し,一般の注意を喚起するなど,地質汚染問題のパイオニアとして活動を継続している.
このような長年にわたる地質学に関する研究,教育,普及への顕著な貢献に鑑み,坂巻幸雄会員を日本地質学会名誉会員に推薦する.
寺岡易司 会員(1934年1月20日生まれ,84歳)
寺岡易司会員は,1958年に広島大学理学部地学科を卒業し,同年,通産省工業技術院地質調査所地質部に採用された.海外資源特別研究官,地質部層序構造課長,首席研究官,地質部長などを歴任され,1965年には「九州大野川盆地付近の白亜系」の研究で,理学博士(広島大学)を取得された.1992年に地質調査所を退職された後,1992〜1997年に広島大学学校教育学部で教授として勤務され,2014年まで地質調査総合センターの客員研究員として勤務された.
地質調査所では,主に地質図幅調査に従事し,北部北上山地,北海道北東部,中国地方,四国九州などを対象とし,1/5万図幅を15葉,1/20万図幅を4葉,1/50万図幅を2葉作成した.また1/100万日本地質図(第2, 3版)の編纂を行い,日本地質アトラス(第2版)を編纂委員長として出版し,Geology of Japan(1960, 1977地調発行)の執筆も務めた.1973年からは,1年間,西ドイツ連邦地質調査所に交換研究員として派遣され,学会活動では地質学雑誌の編集委員も務めた.
また国際協力事業団専門家として,タイ,フィリピン,モンゴル(3回)などで,現地の大学や研究機関との共同研究を実施した.国際プロジェクトである環太平洋北面区画の地質図やテクトニックマップEATARトランセクトIV(日本−韓国)などの編纂を行った.さらに2000年以降,東アジア,中央アジアおよびアジア広域の地質図,同区画の鉱物資源や東アジア地震・火山災害図の作成も行った.
主な研究業績としては,九州東部の大野川層群に関する研究が挙げられ,層相変化に富み,莫大な層厚をもつ変動期の堆積物である本層群の地層について,詳細な層相・古流系・構造解析を行い,その堆積・変形史を明らかにし,臼杵−八代構造線の左横ずれ活動に関連づけて論述した.その際,中央構造線の西方延長,西南日本中軸帯の地体構造,和泉層群との関連にも言及した.これと並行し,四万十帯の地層群の調査を共同研究者と行い,層序・構造・変成作用を解明するとともに,砂岩モード組成,砂岩・泥岩化学組成,砕屑性ザクロ石の検討も行った.その結果,四万十帯の地層群は白亜系と古第三系−新第三系下部に大別され,前者は2つの亜層群に区分できるようになった.これらの地層群は,砕屑岩組成に違いがあり,広域にわたる層序・構造区分の枠組みが確立された.また砕屑性ザクロ石の研究では,対象を西南日本内帯から外帯にかけての上部古生界−新生界まで拡大し,砕屑性ザクロ石の化学組成をレーダーダイアグラムやMn-Mg-Ca三角図で示し,砕屑性ザクロ石のタイプ分けと各タイプの時代的・地域的消長を論じた.この手法により,アジア大陸の先カンブリア紀変成岩をはじめとする古期岩類からの砕屑物が,上記堆積岩類に多量に含まれていることを明示した.
このような長年にわたる地質学に関する研究,教育,普及への顕著な貢献に鑑み,寺岡易司会員を日本地質学会名誉会員に推薦する.
徳岡隆夫 会員(1938年3月14日生まれ,80歳)
徳岡隆夫会員は,1965年に京都大学大学院理学研究科博士課程を修了し,1967年に同大学理学部に助手として赴任された.その後,1980年に新設と なった島根大学理工学部に助教授として赴任され,1987年に同大学理学部教授に昇任された.2001年に同大学を定年退職され,島根大学名誉教授を授与 された.また1992〜2000年には島根大学汽水域研究センター長を併任された.
この間,初期には,四万十帯の前弧海盆の堆積学的研究を推し 進められ,紀伊半島の古第三系(音無川帯〜牟婁帯)を中心に,古流向解析をいち早く取り入れた堆積盆解析,礫岩・砂岩の砕屑物組成からの後背地解析で先駆 的な成果を上げ,四万十帯の堆積学的研究を先導した.また,P-T 境界についての国際的な層序学的研究,ヒマラヤ衝突帯についての共同研究,および中国帯の中・古生界の研究に貢献した.
島根大学へ異動後は,汽 水湖を対象とした研究に積極的に取り組まれ,宍道湖や中海の環境変遷を解明するとともに,全国的な海跡湖研究の推進に努め,その成果は2つの地質学論集 (nos. 36 & 39)に結実した.また,宍道湖・中海の自然環境の変遷を解明する研究を通して明らかにされた大根島玄武岩の三次元的な分布は,当時大きな社会問題となっ ていた中海干拓事業を中止に導く実質的な根拠となった.島根大学の他分野研究者とも協力して汽水域研究センターの設立に尽力し,この分野の国際的な拠点と して重要な役割を果たしつつある現在のエスチュアリ研究センターの基礎をつくった.韓国およびネパールにおける海外調査の実績を生かして,留学生を受け入 れる受け皿として大学院特別コースを島根大学に設置するなど,地質学の国際交流にも貢献された.
島根大学定年退職後も中海・宍道湖の自然保護に活躍され,2006 年には環境修復のためのNPO法人「自然再生センター」を立ち上げ,汽水環境の特性と地質学の重要性を訴えつつ,市民とともに活動を続けられている.
地質学会評議員を8期(16 年),副会長を2期(4年半)務められた.副会長在職時の1998〜2001 年は地質学会の法人化をめぐる議論の最中であり,法人化調査検討委員会委員長も務められ,学会の法人化への道筋をつけることに尽力された.また,学生の教 育・研究の指導にも卓越した力量を発揮して,多くの若手後継者の育成に成果を上げた.
このような長年にわたる地質学の研究,教育,普及への顕著な貢献に鑑み,徳岡隆夫会員を日本地質学会名誉会員に推薦する.