2008年度名誉会員

 

増田 孝一郎 会員(1927-2013)


増田会員は,1951年東北大学理学部地質学古生物学教室を卒業された.卒業直後に東北大学教育教養部に助手として採用され,同大学教育学部助教授を経たのち,宮城教育大学助教授,教授を歴任され,1992年に宮城教育大学名誉教授になられた.
増田会員は学生時代から地質学や貝類化石に関心を寄せられ,東北大学理学部の卒業論文として能登半島北部東院内層の調査をされて以来,地質学的古生物学的研究に邁進された.研究初期の成果は,仙台市付近の地質調査,特に七北田層の地質学的古生物学的研究としてまとめられ, Miyagipecten matsumoriensisの新属新種の発見提唱として知られている.その後の研究は,第三紀貝類,特に二枚貝類Pectinidsの時空分布に関する生層序学的研究に発展し,日本各地の貝類化石群の記載報告,動物地理学的検討を重ねた研究成果は1961年に博士論文「Tertiary Pectinidae of Japan」としてまとめられ,地質学雑誌や日本古生物学会の学会誌等に多数発表された.
これらの成果は,1968年の日本古生物学会研究奨励賞(学術賞)あるいは1972年の日本古生物学会論文賞を受賞し,高く評価されている.増田会員の研究は日本周辺にとどまらず,1969〜1970年に文部省海外研究員としてアメリカ・スタンフォード大学およびスミソニアン国立自然史博物館での日米貝類化石群の比較研究に発展し,地質学的生層序学的視点から環太平洋域の新生代貝類化石群の起源と移動に関して膨大な情報が整理され,今日の日本の新生代地質学古生物学研究の発展に大いなる貢献を重ねて来られた.
増田会員の研究で培われた多くの経験と成果は,地質学古生物学の教育と普及においても大いに生かされてきた.東北大学・宮城教育大学はもとより非常勤講師を勤められた筑波大学,静岡大学,千葉大学,秋田大学等において同僚や後進に研究・教育活動としてさまざまな指針を与え続け,多数の教科書や普及書の執筆,出版を通じて地質学古生物学の普及に大いに尽力された.これまでに指導された多数の学生は,大学・研究所や企業の第一線で活躍しており,増田会員の地質学古生物学への深い理解と情熱は世代を越えて揺らぐことなく存分に引継がれている.また,増田会員は,1975年から齋藤報恩会自然史博物館の学芸員を,1986年には宮城教育大学付属養護学校校長を併任され,1989年には宮城県特殊教育研究会長,東北特殊教育研究会長,1997年〜2001年には仙台市科学館友の会会長として,学校および博物館においても,教育や運営・発展に大いに寄与され,大きな功績を残された.これらの功績の一部は,「地学教育の現状と問題点,教育学部における地学教育のありかた」(地質学雑誌,1982),「教育学部における地学教育の問題点」(地質学論集,1985)として公表されている.さらに,増田会員は,1992〜93年には国立台湾大学客員教授として国を越えて地学教育の普及に尽力されている.
以上のように,地質学古生物の普及発展に,長年にわたり大きな貢献をされた増田孝一郎会員を,名誉会員として推薦する.

(2013年1月8日逝去)

 

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石田 志朗 会員


石田会員は1953年に京都大学理学部を卒業し,同大学大学院に進み,京都大学理学博士の学位を取得された.1959年京都大学理学部助手に採用され,同大学理学部助教授を経て,1989年山口大学理学部教授に昇任され,1994年定年退官された.
石田会員の研究は,初期の新生界新第三系の層序・地質学的研究,古植物学的研究,その後の大阪層群相当層を主とした第四系地質学的研究,そして考古学における地質学的研究で大きな業績を残されている.
新生界第三系層序・地質学的研究は,特に北陸地域・能登半島の調査にはじまり,古地理構造発達史の研究のまとめとともに,古植物学的研究でも大きな成果をあげ,これらの研究で,京都大学理学博士の学位を授与された.大阪層群相当層の第四系地質学研究は,1960年代から開始され,従来からの詳細な火山灰・内湾海成粘土層を鍵とした層序学的研究のフィールドをひろげるとともに,当時最新の年代測定手法や古地磁気層序学的手法を導入し,日本列島の第四系層序の詳細対比に大きな貢献をされ,西南日本の古地理・地質構造発達史の研究に大きな進展をもたらした.これらの研究とともに,考古学への自然科学的(地質学的)手法の導入に積極的に取り組み,考古学における堆積学的・古環境学的見地からの研究へのさきがけとなった.このように考古学・地質学の学際融合型の研究を進展させ,他分野への地質学的手法の活用を具体的に提示されたことは特筆に価する.
石田会員は長年にわたって多くの学生や研究者を育てた.また,応用地質学や農林地質学の方面を含めて,幅広い地質学の発展につくされた.それらの成果は各種の地質図幅や国土利用基本調査報告等にまとめられている.最近では重要な地質露頭や地形などの現状をまとめる調査を継続されるなど,長年にわたり日本の地質学の発展に尽くされた.石田会員のこのような研究業績と地質学や第四紀地質学への多大な貢献に鑑み,日本地質学会の名誉会員に推薦する.

 

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杉崎 隆一 会員


杉崎会員は,1954年に名古屋大学理学部地球科学科を卒業し,同大学助手・助教授を経て,1989年に名古屋大学理学部教授となり,1995年に定年退職となった.この間,杉崎会員は,鋭い直感力に基づき研究テーマを設定し,地球化学的手法を駆使して,地球化学・構造地質学・堆積学・地震学・応用地質学など地球科学全般にわたって多くの未解決問題にチャレンジし,新しい地球科学観を提案してきた.その主要なものは地下水の研究から始まる.まず,地下水中の溶存ガス存在度から地下水の流動方向と流速の定量化を行った.次に,シャールスタイン(輝緑凝灰岩)と呼ばれていた我が国の中・古生代緑色岩の研究に取り組んだ.緑色岩の化学組成に基づき,緑色岩の形成場とテクトニクスの解明を行い,1970年代初頭の地質学・構造地質学に大きなインパクトを与えた.勇躍,珪質堆積岩の堆積環境の研究に着手し,層状チャート・頁岩・マンガンノジュールの化学組成の特徴から,本邦中・古生代層状チャート,ジュラ紀マンガンノジュール,オーストラリアの始生代チャートの堆積環境を明らかにし,次々とNature等の国際誌に発表した.これらの研究結果は,チャート=深海性堆積物という当時一般的になりつつあった考えとは大きく異なるもので,学界に大きなインパクトを与えるとともに国際的にも注目されたことは記憶に新しい.さらに,堆積岩の研究と並行して,地震予知を目的とした地下ガス組成の観測とそれに関連する実験的研究を行い,最近では,火成岩中に存在する有機物の発見とその起源に関する研究へと発展させたのである.
杉崎会員は,これらの研究によって得られた地質学・地球化学・地球物理学に関する新たな知見に基づいて,これらの分野の“常識”を打ち破る柔軟な考え方を提示し,国内外の地球科学者に大きな影響を与えた.杉崎会員の論文は特に外国で高く評価され,日本の地質学のレベルの高さを世界に知らしめた上で重要である.
また,杉崎会員は研究と同時に後継者の育成にも全力で取り組み,多くの優れた研究者を養成した.さらに,長年,多くの大学における地球科学の集中講義で次世代の若者に地球化学・地質学・フィールドワークの魅力を伝えた功績も大きい.その意味で,日本地質学会に対する貢献度も極めて高いと言える.
以上の理由により,杉崎隆一会員を日本地質学会名誉会員候補者として推薦する.

 

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沖村 雄二 会員


沖村会員は,1955年広島大学理学部地学科を卒業後,同大学大学院修士・博士課程を経て,広島大学助手,助教授,教授を歴任されるとともに,11国立大学において非常勤講師を務められ,平成8年の定年退職時に名誉教授となった.この間,地質学関連の学会活動に寄与され,日本地質学会西日本支部企画委員(1971〜72年),同幹事(1992〜95年),日本地質学会広島大会運営委員(1980年および1995年),日本地質学会評議員(1994〜95年度)等を務めている.また,国,地方公共機関・団体から委託された,成羽川流域および益田地域の広域調査委員,中国地域非金属資源対策委員長,中国山地国定公園の学術調査等にも従事された.
沖村会員は堆積学と古生物学の分野で多くの業績を残された.特に,日本における最初の石灰岩に関する本格的な教科書として,1982年に出版された著書「石灰岩」は,国内外での広範な研究成果を,多数の引用とともに平易に解説したものであり,日本の炭酸塩岩堆積学の目覚ましい発展の礎となっている.また,広島大学在職時を通して関わってきた中国地方の石炭〜ペルム系石灰岩の研究では,堆積学と化石(小型有孔虫・紡錘虫)についての深い見識を駆使した地道な研究成果を,多数の論文として執筆されている.
さらに,これらの経験を生かして,多数の海外学術調査(インド・パキスタン・イラン・トルコ・ギリシャ・スバールバール諸島など)に参加し,石炭〜ペルム紀における微化石の進化と絶滅,ペルム紀〜トリアス紀の堆積相と環境変動に関する研究を行い,その成果は著書「Tethys - Her Paleogeography and Paleobiogeography from Paleozoic to Mesozoic」および国際誌を含む論文として公表されている.これらの研究成果は東南アジア・中近東・ヒマラヤ前縁地帯の地質学・古生物学に大きく貢献したものであり,国際的にも広く引用されている.
沖村会員は良き師でもあり,広島大学では多数の学生・留学生に広範な知識と地道な研究姿勢を伝授し,今日の地質学を担う後進を育成している.また,現在でも東広島市自然研究会(会員160名,会報1〜38号)の会長として,地域地質学・環境学の啓蒙と進展を目指した教育・普及活動に活躍されている. 以上,沖村会員の,その真摯な研究活動による学術的貢献,および熱心な育成・普及活動による教育的貢献から,日本地質学会の名誉会員にふさわしいものと考え推薦する.

 

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加藤 誠 会員


加藤会員は,1954年に金沢大学理学部を卒業し,北海道大学大学院に進んだ.1961年北海道大学理学部助手になり,北海道大学より1962年理学博士を取得された.1970年同大学理学部助教授,1981年同大学理学部教授となり,1995年定年退官後は北海道大学名誉教授となられている. 加藤会員は,中・古生代の地質,とくにサンゴ化石の古生物学研究で多大な業績をあげ,国内的にも国際的にも高く評価されている.論文などで公表されたサンゴ化石は多数におよび,古くはシルル紀,デボン紀,主に石炭紀〜ペルム紀,さらには中生代三畳紀まで幅広い.これらの研究では,日本列島の中・古生代の地質の理解を促し,日本古生物学会学術賞(1970年)・日本地質学会小藤賞(1980年)・日本地質学会論文賞(1988年)を受賞している.加藤会員の研究業績は国内にとどまらない.公表されたサンゴ化石の産出地点も,本邦や朝鮮半島の各地から,広くテーチス海の地質が分布するインド〜トルコにおよんでいる.とくに,デボン−石炭系の境界や石炭−ペルム系境界の策定に関する議論ではその中心的な役割を担い,IUGSペルム系層位委員会委員・国際古生物協会事務局長・国際石炭系会議常任委員会委員などを歴任した. 加藤会員は,長年にわたって多くの学生や研究者を育て,国レベルでは文部省学術審議会専門委員をはじめ,日本学術会議地質学研究連絡委員会や古生物学研究連絡委員会の委員を務めた.学会活動としては,日本地質学会評議員や日本地質学会北海道支部長を歴任し,日本地質学会地質学雑誌編集委員などを通して日本地質学会の発展に尽くされたことはよく知られている.また,地質学の社会貢献についても高い識見をもち,北海道防災会議の専門委員として地盤問題や地質災害に関する応用地質分野や防災行政に貢献した.さらに,北海道大学学内委員として長期間務めた資料館専門委員や北海道地区自然災害資料センター運営委員の活動は,大学総合博物館の実現に道を開いたこととして特筆されよう. 加藤会員は,「日本の地質1『北海道地方』」(共立出版)の代表編集委員を務め,最近では朝倉書店「日本地方地質誌『北海道地方』」の編集に力を注ぎ,主に地質学の成果を後世に残すための仕事を今もなお精力的に進めておられることも強調しておきたい. 以上,加藤 誠会員の古生物学分野の研究業績と日本の地質学への多大な貢献に鑑み,日本地質学会の名誉会員に推薦する.

 

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柴田 賢 会員


柴田会員は1955年に名古屋大学理学部地球科学科を卒業,同大学大学院に進学後の1956年11月に工業技術院地質調査所に採用され,首席研究官,地殻化学部長を経て,1993年に名古屋大学理学部教授に就任された.1996年同大学定年退官後,名古屋文理短期大学教授,1999年から2003年まで名古屋文理大学情報文化学部教授を歴任された.この間,名古屋大学年代測定資料研究センター長,名古屋文理大学図書館長を兼務され,学会をリードする地質年代学の研究に邁進しながら後進の育成にも全力投球された.また,日本学術会議地球化学・宇宙化学研究連絡委員会委員,地質学研究連絡委員会地質年代小委員会委員長,Chemical Geology 編集委員,地質年代学・宇宙年代学・同位体地学国際会議の組織委員,学術審議会専門委員などを通じて,日本の地質学に大きく貢献してこられた.さらに,国際協力事業団専門家としてフィリピンやベネズエラへの技術援助にも参画された.専門の地質年代学の業績は高く評価され,1983年に日本地質学会賞「放射年代の測定」を,1988年には工業技術院長表彰を受けられた.
柴田会員は,1960年から1年間ケンブリッジ大学に留学し,また1967年から2年間カナダ地質調査所に出張してK-Ar系とRb-Sr系の同位体年代学を研鑽され,日本における同位体年代学分野の創設に先駆的かつ指導的役割を果たされると共に,地質調査所で日本列島を網羅する多数の試料を組織的に年代測定してこられた.1990年までに公表された日本の同位体地質年代の過半は柴田会員が測定されたものである.年代測定の対象は多岐にわたっており,それぞれの成果が日本列島の発達史の解析研究を大きく前進させた.とりわけ,美濃帯上麻生礫岩中の花崗片麻岩礫の年代研究,飛騨山地や南部北上山地の基盤岩類の年代研究,美濃帯堆積岩の微化石年代と同位体年代の比較研究,断層の活動を評価するガウジの年代研究は顕著な研究業績として特筆される.また,ペルム紀のSr同位体初生値の低いM−タイプの花崗岩と白亜紀前期のSr同位体初生値のやや高い花崗岩類や高温型変成岩が関東山地から九州まで点在することを明らかにし,領家帯と三波川帯の間に構造的に挟まれた地質帯の存在を提唱された.この古陸復元モデルは日本列島地帯構造の再検討を促したものとして高い評価を得ている.
柴田会員の以上のような世界的研究業績と地質学や地質年代学への多大な貢献に鑑み,名誉会員として推薦する.

 

(以上6名)