2010年度名誉会員

 

町田 洋 会員


町田 洋会員は1957年に東京大学理学部地学科地理学専攻を卒業され,さらに同大学院理学系研究科地理学専攻修士課程を1959年に修了し,同年,東京都立大学理学部地理学科に助手として赴任された.1962年に「最近数十年〜数百年間の山地斜面と谷の浸食史」で理学博士の学位を取得された.都立大学では1968年に助教授,1978年に教授に昇任され,1996年同大学を定年退職し,同時に東京都立大学名誉教授の称号を授与された.
時間指標としてのテフラの重要性に早くより認識され,まず,富士山を中心にテフラを用いた火山発達史,周辺地域の地形発達史の研究に取り組まれた.研究対象はさらに箱根火山とその東側の大磯丘陵,南関東に広がり,激しい地殻変動を受けたこの地域の複雑な地形発達史を,富士・箱根火山のテフラを時間指標として海水準変化・気候変化と関係付けながら明らかにされている.町田会員の特筆すべき業績の一つは,広域テフラの発見である.約3万年前に南九州で発生し大規模なシラス台地を作った巨大噴火 (入戸火砕流) は,その降下テフラ(姶良−丹沢火山灰AT)が日本全国のみならず朝鮮半島や大陸沿岸と周辺海域を含む広域を覆ったことを,1976年に故新井房夫と共に,堆積物の記載岩石学的な特徴による同定・対比を取り入れて明らかにされた.その後,鬼界−アカホヤ火山灰(K-Ah),Aso4火山灰など第四紀中後期の広域テフラを次々に発見し,第四紀における同一時間面をシャープに示す時間指標としてのテフラの位置を確立された.この成果は,地形発達史や微化石,堆積物層序研究と深く結びついて,日本列島とその周辺における高分解能の海水準変化,気候変化,環境変化の復元に大きく活用されている.さらに,ATやK-Ahは考古学においても旧石器〜縄文時代の重要な時間指標として日本のみならず東アジアの遺跡の編年解明に活用されている.広域テフラ研究の成果は1992年に「火山灰アトラス」としてまとめられ,日本の第四紀研究に不可欠な資料として現在も活用されている.
町田 洋会員はこのように日本におけるテフラ研究の第一人者であり,その成果と功績は海外においても高く評価され,1987年から1995年まで国際第四紀学会(INQUA)のCommission on tephrochronology (COT) の副委員長及び委員長に推挙された.また,1991年〜2002年まで連続して学術会議の第四紀研連の委員及び委員長を歴任され,2003年〜2005年には日本学術会議会員・地質科学総合研連委員長を務められた.また,2005年〜2008年には日本第四紀学会会長を務められ,2009年には同学会より学会賞を受賞された.1996年以降早稲田大学エクステンションセンターのオープンカレッジ講師を務められ,第四紀学,地質学や地形学の普及に努力されている.また,2008年から日本ジオパーク委員会の副委員長として,ジオパークの普及・啓発にご尽力されている.
テフラ研究の対象を第四紀の前半にも発展させ,その成果に基づいて,近年は日本アルプスの隆起開始時期解明等の日本列島の構造発達史に関わる研究にも取り組んでおられる.これら長期にわたるテフラ研究分野での世界的な研究成果と日本の第四紀地質学に対する多大な貢献により町田 洋会員を名誉会員として推薦する.

 

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石原 舜三 会員


石原舜三会員は1956年広島大学理学部地学科を卒業後,地質調査所に入所,ウラン鉱床探査に従事,1961年に米国に渡り,コロラド鉱山大学およびコロンビア大学の大学院に学び,ニューメキシコ州Questa鉱山のモリブデン鉱床の研究により修士号を授与された.その後ドイツに遊学された後1964年に地質調査所に復帰された.モリブデン鉱床を始めとする花崗岩類に伴う鉱床の研究を続け,1970年には東京大学から博士号を授与された.1978年に鉱床部鉱床研究課長に,1985年には鉱床部長を歴任された.1978年から2年間,東北工業試験所長,1989年から地質調査所所長,1991年から工業技術院院長という行政の要職に従事された,さらに,北海道大学教授として念願の研究に復帰されている.現在は産業技術総合研究所特別顧問として後輩の指導に務められている.
石原舜三会員の最も特筆すべき業績は花崗岩系列と鉱化作用の関連性について新しい理論を確立したことである.花崗岩類の岩石化学的変化に対する従来の支配的な考え方はマグマの結晶分化作用によるものであったが,石原舜三会員は花崗岩類が磁鉄鉱系列とチタン鉄鉱系列に大別でき,両者の違いは主として酸素分圧の相違に基づくマグマの差によるものであり,それぞれの花崗岩類には特有の金属鉱床が付帯することを明確にした.この学説は金属鉱床探査の上で,非常に有効なもので,帯磁率の測定は鉱床探査の折に必ず実施されている.
これらの多大なる石原舜三会員の業績が認められ,1984年に日本鉱山地質学会の加藤武夫賞,1988年には日本地質学会賞,1989年にSociety of Economic GeologistsのSilver Medalを受賞されている.また2009年にはオーストラリアのタウンズビルで開催された第10回鉱床地質学会(The Society for Geology Applied to Mineral Deposits(SGA))大会において,「花崗岩における金属鉱床の成因に関する科学的貢献」のためにSGA-ニューモント-ゴールドメダルを受賞されている.さらに中国地質科学院名誉フェロー,米国地質学会名誉フェロー,ロシア科学アカデミー在外会員などにも選出されている.
石原舜三会員はSociety of Economic Geologistsのアジア地域代表の副会長として貢献され,また日本鉱山地質学会(現資源地質学会)の編集長,会長として学会の運営に携わってこられた.黒鉱鉱床に関する最初の総括的な書籍である「Geology of Kuroko Deposits」(1974年,鉱山地質特別号)の編集など多くの特別号の編集もされている.
石原舜三会員は「地質に対するあくなき好奇心と研究魂」を後進に示し続けておられる.現在もなお年間で数回にわたる国内・海外の調査,数編の論文を執筆,シンポジウムの企画・実行をされている.この固体地球の研究に立ち向かう旺盛な精神こそ私達は見習う必要がある.これら石原会員の長年にわたる岩石・鉱床学分野の研究業績と地質学の発展に対する世界的な貢献により石原舜三会員を名誉会員として推薦する.

 

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藤田 崇 会員


藤田 崇会員は,1958年に大阪市立大学理工学部地学科を卒業され,1971年9月に大阪市立大学から理学博士の学位を取得されている.大学卒業後,すぐに原子燃料公社(現日本原子力研究開発機構)に入社され,人形峠でウラン鉱床の探査に従事されている.1973年には大阪工業大学工学部助手として着任され,その後講師・助教授を経て,1975年に教授に昇進されている.2001年3月に退職され,名誉教授となられている.
藤田 崇会員は,応用地質学・環境地質学が専門で,ことに自然災害科学の分野で多大な功績をあげられた.なかんずく,斜面災害の分野における地質学的研究は,亀の瀬地すべりの研究をはじめ,四国三波川変成帯や新第三系の地すべりの発生機構の解明に大きな貢献をされた.各地域での地すべりの地質学的研究から,地質規制(岩相規制と地質構造規制)の概念を提唱し,地すべりの地質学的研究を体系化された.さらに,地すべりの発生年代の研究から,地すべりの発生が第四紀変動による山地の上昇と密接に関連していることを示された.当時,このことを理解した研究者は少なかったが,故藤田和夫名誉会員はこの成果を高く評価された.最近になって,このような研究が増えていることは藤田 崇会員の先見性が実証されつつあることの証左である.
地すべり研究における藤田 崇会員の特徴は,地質・地形データの融合である.地質的特性を定量的に表すために,地形学の手法を取り入れ,これにより地すべりと地質との関連を,定量的な評価ができる手法を開発した.この手法を用いて,地質体ごとの地すべりの特性を明確にすることが可能となった.この研究成果に対し,1996年に日本地すべり学会から論文賞が与えられた.
1986年に,地質学論集28号として「斜面崩壊」が刊行された.その編集責任者は藤田 崇会員である.本書は半年で完売し,追加印刷をしたが,これも完売となり,地質学論集始まって以来の出来事となった.また,地質学会100周年事業委員として活躍されたほか,当時の将来検討委員会の応用地質分会委員長を務められた.さらに,日本地形学連合では運営委員となり,会長も務められた.
多くの論文の他,編著書の多くが好評で,「地すべり−山地災害の地質学」(共立出版),「地すべりと地質学」(古今書院)は,環境地質学・応用地質学にとっても名著であり,両者ともロングセラーである.また,日本応用地質学会刊行の「斜面地質学」は,地すべり研究者の必携書とされ,完売となった.
官公庁などの委員を数多く務められ,斜面災害対策における地質学的アプローチの重要性を他の分野の研究者,技術者,さらには行政担当者(とくに当時の建設省の技官)などに強く認識させたことはきわめて重要な貢献である.
藤田 崇会員は山地災害が自然環境の破壊をもたらした様相の詳細な観察,それに基づく地質学的要因の解明など,長年の災害研究を通して環境地質学の発展に多大な貢献をされた.以上の功績により藤田 崇会員を日本地質学会の名誉会員として推薦する.

 

(以上3名)