2009年度名誉会員

 

須鎗 和巳 会員(1926-2011)


須鎗和巳会員は1948年に東北大学理学部地質学古生物学教室を卒業された.同年,東北大学理学部副手として採用され,1949年理学部文部教官三級を経て,1950年に徳島大学学芸学部助手に転任,1952年同講師,1960年同助教授に昇任,1965年徳島大学教養部助教授に配置換えの後,1966年に徳島大学教養部教授になられた.
四国赴任後の須鎗会員は,秩父累帯の層序と生層序の研究に着手,その成果を1961年に東北大学博士論文「Geological and paleontological studies in central and eastern Shikoku, Japan」としてまとめるとともに,黒瀬川構造帯の一連の共同研究を推進された.その後,和泉層群の堆積学的研究にも着手,北縁部の浅海相と中軸部タービダイト相の指交関係や,阿讃山脈の地質構造の解析に貢献された.須鎗会員は,地の利を生かした野外調査を基本とする研究を推進し,その領域は,秩父累帯,領家帯和泉層群,四万十帯,室戸半島第四系,中央構造線と吉野川平野の鮮新-更新統,御荷鉾帯・三波川帯の原岩堆積年代ほかに大別できるように,古生代から第四紀まで,四国の全ての地質体に及んでいる.中でも御荷鉾帯と三波川帯の源岩堆積年代の解析は,同会員がその探求に特に情熱を注いだ感のある共同研究であり,「四国西部三波川帯主部よりの後期三畳紀コノドントの発見」(須鎗ほか,1980)により,日本地質学会小藤賞を授与された.
教育面では東北大学,徳島大学はもとより,非常勤講師を勤められた高知大学,愛媛大学等においても,同僚や後進にさまざまな指針を与え,教科書「地球科学概論」(朝倉書店,1984)をはじめとする執筆出版を通じて,地球科学の普及に大いに尽力された.指導を受けた多数の学生は,大学・研究所や教育機関に留まらず,社会の第一線で活躍しており,須鎗会員の教育・研究に対する深い理解と熱意は,世代を超えて受け継がれている.また須鎗会員は1970〜72年には徳島大学教養部長,その前後の1969〜77年には同評議員を歴任,大学行政と教育・研究の発展にも尽力された.
また,須鎗会員は「日本の地質8 四国地方」(共立出版,1991)の代表編集委員を務め,20万分の1四国地方表層地質図(高知営林局,1977)の編纂や,土地分類基本調査など,地質学の成果を世に広め,後世に残すための仕事にも力を注がれた.
以上の理由により,須鎗和巳会員を名誉会員として推薦する.

(2011年4月2日逝去)

 

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飯山 敏道 会員(1927-2012)


飯山敏道会員は,1957年から20年間にわたってフランスで活躍され,帰国後は地質学全般にわたる活発な教育研究活動や日仏交流のキーパーソンとして多大な貢献をされている.
飯山会員の研究は広範囲にわたるが,本領は実験といえよう.フランス滞在中に行った鉱物と熱水溶液間のイオン交換平衡を用いた元素の分配や固溶体の熱力学的性質に関する研究は今でも高い評価を受けている.自ら装置を設計されたばかりでなく旋盤で金属を加工するなど技術的な面にも造詣が深く,内熱型高温高圧実験装置を東京大学や千葉大学に先駆的に導入して多くの成果をあげるなど,熱水実験の意義を広く認識させた功績も大きい.
1976年に東京大学地質学教室の第三講座(鉱床学)の教授として帰国されてからは,スカルンを中心とする鉱床の研究や交代作用の研究,花崗岩の研究,社会問題ともなったセメントのアルカリ骨材反応の研究など,さらに広い分野の研究に取り組まれたことは多くの人々の知るところである.
1984年に開始された日仏KAIKO計画における日本側計画代表としての活躍も特筆される.同計画は潜水艇による潜行調査や海底探査,広範囲の地質調査など海陸を統合する大規模なプロジェクトであり,飯山会員はフランスとの結びつきを生かして計画の実現に尽力し,島弧海溝系の理解と日本のテクトニクスの解明にインパクトを与えたことは記憶に新しい.
これらの業績に対して,フランス政府はフランス国家功労賞騎士号,同士官号などを授与し,飯山会員を称えている.また,飯山会員は熱水実験を中心に鉱床学,鉱物学,地球化学など幅広い分野において第一線で活動している後進を数多く育成された.
1981年の日本地質学会第88年学術大会に際しては,1968年以来の懸案であった東京大学開催を大会準備委員会の責任者として成功裏に実現させた.1992年に京都で開催された第29回万国地質会議に関しては,世界的に活躍する諸外国の研究者との深い連携を背景に準備段階から組織委員として活躍され,同会議が大きな成果をあげるよう尽力された.これらは広く学界への貢献として特筆されるべきことである.
さらに,1984年に東京大学理学部助手の福山博之氏と柵山雅則氏(両名とも日本地質学会員)と学生1名がアイスランド調査中の事故で亡くなった際には,飯山会員は東京大学評議員として公務災害認定のために学内外で奔走された.公務災害適用への道を切り開かれたことは危険と隣り合わせで調査する地質学研究者とその家族を保護する上で歴史的な意味があったといえよう.
大学を辞められても今なお,房総地学会の活動に積極的に関わるなど地質学の普及教育に尽していると伺っている.
以上のような長年の地質学に対する貢献により,飯山敏道会員を名誉会員に推薦する.

(2012年9月15日逝去)

 

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相原 安津夫 会員


相原安津夫会員は1954年に東京教育大学理学部地質鉱物学科を卒業後,三井鉱山(動力炉・核燃料開発事業団およびサンコーコンサルタント出向)を経て,1974年に九州大学理学部地質学科石炭地質学講座の助教授として着任された.1987年に教授昇任,学内では石炭研究資料センター委員や自然災害科学西部地区部会事務局などを務め,1994年に退職後はダイヤコンサルタント顧問,国際協力事業団のインドネシア派遣専門家,福岡教育大学非常勤講師などを歴任されている.
相原会員は,石炭地質学分野で地質学に重要な貢献を残した.とりわけビトリナイト反射率を用いた有機埋没変成史と古地熱環境の情報から,九州・北海道などの堆積盆発達史や付加体テクトニクスなどに多くの知見をもたらしたことは周知のとおりである.教育面においては,九州大学在職中の20年間で理学部および教養部の教育に携わったほか,国内外10以上の大学で非常勤講師として石炭地質学の講義をされた.集中講義の受講生の中には卒・修・博論で九大の石炭顕微鏡の恩恵に浴したものも少なくない.日本国内の石炭産業が縮小撤退を余儀なくされていた折,教育研究の場で石炭地質学の維持と有機地球科学への転換を担われた.これらの成果は,2006年に開催された国際堆積学会議における石炭堆積学のセッションで,日本人発表者のすべてが相原スクール出身であったことにも現れている.
国際的には,国際石炭組織・有機岩石学委員会(ICCP)で,日本の唯一のフルメンバーとして,変動帯の炭田形成から有機変成に関わる地質特性を紹介すると共に,内外情報や研究動向の交流に携わり,新たなアソシエイトメンバーの導入につとめた.遡って1960年代はじめにオーストラリアで当時未詳であったボウエン炭田の石炭資源調査に従事し,その後の炭田開発や日本への石炭安定供給の基礎を築いた.その業績が評価され,燃料協会(現 日本エネルギー学会)および鉱山地質学会(現 資源地質学会)の技術賞を受賞された.同会員の学識は石油地質学や応用地質学の領域でも遺憾なく発揮されている(例えば,相原(1979)石炭鉱床.佐々木昭ほか編,地球科学14,岩波書店など).日本地質学会が社会に向けての情報発信や普及に対する組織的な取り組みを行う前から,同会員は「『科学の公園』をつくる会」などの活動にも参画し,児童・生徒および保護者が地質学に興味や関心を持つ場の創出に尽力している.
上記の功績により相原安津夫会員を名誉会員に推薦する.

(平成29年4月30日逝去)

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原 郁夫 会員


原会員は,1955年に広島大学地学科を卒業後,同大学大学院を経て,広島大学助手,助教授,教授を歴任され,1996年の定年退職時に広島大学名誉教授となられた.この間,ダルムシュタット工業大学鉱物学教室客員研究員として4度ドイツに留学された.また,定年退職後は,2007年まで応用地質(株)で現役の地質技術者として活躍された.
原会員は,構造地質学およびテクトニクスの分野,特に石英の変形ファブリック,層状岩体褶曲作用および日本列島変成帯テクトニクスに関する研究で多大な業績を上げ,国内外で高く評価されている.石英の変形ファブリックや褶曲作用の研究は,研究者として比較的初期(1961-1977)に行われたが,当時日本に構造地質学(構造岩石学)が育っていなかった状況の中で,原会員は国際的なレベルで先端的な研究を行われた.これらの研究成果の一部は1970年代後半にシドニー,ライデン,バルセロナおよびゲッチンゲンにおいて開催されたMicrotexture Analysis Conferenceにおいて公表されたが,原会員が一連の会議に論文( 内2 編はTectonophysicsに印刷されている)を提出した唯一の日本人であったことは特筆される.当時の欧米は,プレートテクトニクスが開花した頃であるが,一方では1950年代後半に岩石・鉱物変形実験が開始され,プレートテクトニクスを可能にしている地球内部(固体)の流動を,変形物理条件の関数として解き明かそうとしていた時代にあった.この様な動きは,日本では漸く論文集「固体の流動」,上田誠也編,東海大学出版会(1974)に見てとれるが,この論文集においても,地質学者として論文を提出しているのは原郁夫と伊藤英文のみであり,当時原会員が孤軍奮闘されていた様子が窺える.
その後,原会員は研究テーマを日本列島変成帯(特に三波川変成帯)および領家帯・中央構造線の研究に転向する(1973-1996).一連の研究は,小島丈兒,秀敬らを中心とする広島学派により1950年代から開始された徹底した地質調査に基づく地域地質学的研究であるが,一方で詳細な微細構造の解析と大量の鉱物化学組成のデータに基づく変成条件および変成温度—圧力履歴の推定を行っており,まさに総合的なテクトニクスの研究である.
また,科研費の総合研究を企画し,市川浩一郎名誉会員や水谷伸冶郎名誉会員らとともに日本の中・古生界のテレイン・テクトニクスの発展にも貢献されている.三波川変成帯のテクトニクスの研究は,Hara et al.(1992)にもっと良く纏められているが,本論文は101ページを費やし,118図を用いた超大作で,引用回数の非常に多い論文となっている.上記すべての研究は,構造地質学・テクトニクスの進展に大きく貢献するものであり,1995年に原会員の功績に対して日本地質学会賞が授与された.
以上,原会員は並はずれたバイタリティーと洞察力をもって,日本の構造地質学の黎明期に次々と世界第1線の研究を成し遂げたほか,構造地質学と変成岩岩石学を結び付け変成帯のテクトニクスの研究を世界レベルで展開した功績は大きい.さらに,原会員のパイオニア的研究に刺激を受け,現在日本では第2世代,第3世代および第4世代の構造地質学研究者が育ち活躍するなど,原会員が後進に残した影響は計り知れない.応用地質(株)に移られてからもそれは全く変わることなく,熱意を持って指導力を発揮された.原会員はまた,14の国立大学で非常勤講師として集中講義を行い,後進の指導に努めてこられた.
以上,長年わたる多大なる地質学への貢献により,原郁夫会員を名誉会員に推薦する.

 

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石崎 国煕 会員


石崎会員は昭和32年に徳島大学学芸学部を卒業した後,東北大学大学院理学研究科地学専攻に進学し,修士課程では高知市近郊に分布する古生界の地質学的研究に従事した.同課程修了後は博士課程に進み, 昭和37年に「Stratigraphical and paleontological studies of the Onogahara and its neighbouring area, Kochi and Ehime Prefectures, southwest Japan」の研究で理学博士の学位を授与された.博士課程修了後は,日本学術振興会の特別研究生を経て,昭和37年東北大学理学部地質学古生物学教室に助手として就任されて以来,同大学の助教授,教授として,35年間の永きにわたって地質学・古生物学に関する教育と研究に活躍され,平成9年3月末に退官された.
石崎会員は主として四国に分布する秩父帯の地質および紡錘虫の生層序学的研究に精力的に取り組んだ後,当時の将来的研究の発展をいち早く展望し,微化石の一種である,節足動物甲殻類の貝形虫化石に関する古生物学的・古生態学的研究へと転じ,我が国のこの分野のパイオニアかつ第一人者として長年活躍された.
石崎会員の貝形虫に関する研究は,それまでほとんど手を付けられていなかった古生代の貝形虫化石の分類学的研究に始まった.その後,日本各地の現世堆積物中の貝形虫の生態や分布様式,貝形虫群集とそれをとりまく環境との因果関係の解明,および詳細な分類学的研究に基づいて多くの新種記載を行い,今日のこの分野の礎を築かれた.さらに,このような現世貝形虫に関する知見に基づいて,地質学的イベントと群集形成や種の移動・消滅との関連性,鮮新−更新世における海洋環境の変動の解明など数多くの成果を挙げられた.特に,当時は十分に汎用化されていなかったコンピューターを用いて微化石群集の検討にいち早く多変量解析の手法を導入し,古環境変動を定量的に復元することに成功した.当時の古生物学における先駆的なこの試みは,この分野における嚆矢となり,数多くの研究論文として公表されただけでなく,「微古生物学」(朝倉書店,1976共著)「微化石研究マニュアル」(朝倉書店,1978共著)や「古生物学各論」(築地書館,1980共著)などの解説書の中でもまとめられた.これらは現在でも古生物学者の重要な参考書であり,国内外の数多くの研究者に研究手法が引き継がれ,地質学・古生物学の発展に多大なる貢献となっている.このような石崎会員の一連の業績に対して,昭和54年に日本古生物学会から学術賞が授与された.石崎会員は東北大学はもちろんのこと,非常勤講師を勤めた大学でも後進の指導にも熱心にあたられ,ご自身の研究分野のみならず,堪能な英語能力を生かし,東北大学で学生の学術論文の英文添削や,博士論文作成のための英語指導等を一手に引き受けた.このおかげで数多くの指導学生が国際誌への成果の公表や博士号の取得を行うことができ,現在,大学,研究所,および企業の第一線で活躍している.
また,国内外の関連学会や社会貢献活動にも多大な功績を残しており,文部省の科研費審議会のメンバー,国際古生物協会(IPA)のもとでの国際研究グループのメンバー,英国のBritish Micropalaeontological Societyが発行していたStereo-Atlas of Ostracod Shellの編集委員,日本古生物学会が発行する学術誌の編集委員や編集委員長を歴任された.さらに,日本で開催された3つの国際会議,第9回貝形虫国際シンポジウム,第3回テチス浅海域に関する国際シンポジウム,第4回底生有孔虫国際シンポジウムにおいて,幹事や組織委員を務められ,会議を成功へと導かれたほか,フランス・エジプトなどの研究者を受入れるなど,国際共同研究・国際交流活動を活発に行われている.
以上,石崎会員の長年に渡る古生物学分野の研究業績と日本の地質学に対する多大な貢献により石崎会員を名誉会員として推薦する.

 

(以上5名)