2011年度名誉会員

 

小畠郁生 会員(1929-2015)


小畠郁生会員は1954年に九州大学理学部地質学科を卒業された後,1956年に九州大学大学院理学研究科博士課程を中退され,同大学地質学教室助手,西南学院大学講師を経て,1962年に国立科学博物館研究員として着任された.1962年に「日本産バキユリテス科」の研究をまとめ理学博士の学位を取得された.国立科学博物館では1982年に地学研究部部長に昇任され,1994年に退職されるまで永きにわたって古生物学・地質学に関する教育と研究に活躍され,1996年に名誉館員となられている.国立科学博物館退職後も,1994年から2年間,(財)自然史科学研究所理事,1996年から4年間,大阪学院大学国際学部教授を歴任されている.
小畠会員は,古生物学・地質学が専門で,松本達郎教授の下,アンモナイト類の個体発生の吟味とその系統的位置の推定に取り組まれ,成長解析手段である相対成長の検討を取り上げ,その意義を考察し,かつその位置づけを行われた.この他,アンモナイトの初期殻形態,連室細管壁の微細構造とその機能的意義や,現生のオウムガイ類の生態観察によって,絶滅したオウムガイ類やアンモナイト類の生活様式,生殖方法等の推定など多岐にわたる研究に取り組まれた.そして,北海道や岩手県宮古をはじめ,日本各地の白亜系の調査・研究に精力的に取り組まれ,日本国内の白亜系の対比,さらには,白亜系の国際対比に貢献された.研究の対象はアンモナイトにとどまらず,中生代の動物全般についての研究を行い,その成果を発表された.例えば,フタバスズキリュウの発掘に携わられており,『地質學雜誌』に首長竜の発見を短報として報告されている.これらの多大な業績が認められ,1966年には日本古生物学会最優秀論文賞,1977年には日本古生物学会学術奨励金(学術賞)を受賞されている.専門の研究論文に限らず,『全国大学博物館学講座協議会研究紀要』等への博物館を中心とした社会教育に関する研究論文や,『地学教育』等への学校教育に関する研究論文まで,教育分野にまで幅広い業績を残されている.また,恐竜を中心とした化石についての書籍を多数,執筆,監修,翻訳し,一般への普及活動も十分に行われた.その著作を通して,古生物学・地質学を志した者も多いことは周知のとおりである.小畠会員は現在もなお,研究や著作をとおして,古生物学・地質学の普及教育,後進の指導に貢献されている.
以上のように,古生物学・地質学の普及発展に,長年にわたり大きな貢献をされた小畠会員を日本地質学会の名誉会員として推薦する.

 

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倉沢 一 会員(1930年生まれ)


倉沢会員は1953年横浜国立大学学芸学部地学科を卒業後,1955年に東京教育大学大学院理学研究科地質学鉱物学専攻を修了,1956年には通産省工業技術院地質調査所地球化学課に入所し,同位体地質学及び地球惑星化学分野の研究に従事された.
倉沢会員は1955年に「天城火山の地質」を地質学雑誌(要旨)と大学紀要(英文)に発表されたのを皮切りに,雲仙,多良岳,金峯山,五島列島,隠岐などの火山岩の地球化学的研究を発表し,1966年には河野義礼教授を主査として「北西九州,北松浦玄武岩類の岩石学的研究」の英語論文で東北大学から理学博士の学位を取得された.1966〜67年には東京大学久野久教授の誘いで米国地質調査所同位体地質学研究所(デンバー)にてU-Th-Pb系の測定実験を行った.1970年には日本初の本格的な「同位体地質学」の教科書をラテイス社(丸善)から出版された.この本はRb-Sr法やU-Pb法の原理と実際的な測定法および同位体データの地質学的意義を詳しく解説してあり,当時の日本の研究レベルの向上と学生の教育に大きく貢献した.また,アポロが持ち帰った月の石の希土類組成に関する論文を1972〜74年に発表し,セリウム異常の可能性を示された.その後も1980年代末まで現地地質調査に基づく日本,米国,インド,南極などの火山岩やマントル物質に関する同位体地質学・地球化学の論文を発表し続け,同会員の論文のいくつかは現在も世界中で引用されている.1978年に科学技術庁在外研究員として米国地質調査所,航空宇宙局,ジョンソン宇宙センターを訪問し,その報告(地質ニュース)は当時の研究者や研究所の様子を生き生きと伝えている.一方,1975〜83年に地質調査所企画室付を務めて以来,83〜86年に同九州出張所長,86〜88年に同海外地質調査協力室長,88〜90年に同北海道支所長,そして90〜98年に工業技術院研究協力センター長を務めるなど要職を歴任され,さらに横浜国立大学,北海道大学,山形大学,ネブラスカ大学,ルイジアナ州立大学で集中講義を行い,全国の多くの学生の研究・論文指導に関与したほか,九州大学の同位体地質学講座開設にも参与された.また,日本地球化学会など日本の関連諸学会で評議員を務め,ロンドン地質学会のクラーク・メダル選考委員も務められた.そして1998年の退職後は日本七宝作家協会,日本写真家協会に所属して芸術活動に打ち込んでいる.
以上のような長年にわたる同位体地質学・地球惑星化学分野の研究・教育への多大な貢献に鑑み,倉沢会員を日本地質学会名誉会員に推薦する.

 

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松島信幸 会員(1931年生まれ)


松島信幸会員は1955年に信州大学教育学部理科地学専攻を卒業され,その後伊那里小学校を皮切りに,小・中学校で理科教師を37年間勤められた.1992年に定年退職後,飯田市美術博物館の客員研究員になられ,現在飯田市美術博物館の顧問をなされている.
松島会員は中学生時代から地元の山々に登り始め,大学に入学後,赤石山地の高山域である南アルプスの地質の探求を開始された.当時,この山域の大部分の地層は“時代未詳層群”として一括され,詳細は不明のままであったが,大学での卒業研究以来,80年代に至るまでの一連の研究によって,大部分が四万十帯の中生界であることが明らかにされた.また,その内部に大規模な屈曲構造(逆くの字型ねじり曲がり反転屈曲)が存在することを明確にされた.さらに,中部地方の中央構造線,赤石構造帯などの位置づけを再検討され,それらが中新世に活動したことを明らかにされた.これらの成果は,日本列島中部のテクトニクス,特に赤石-関東山地の基盤岩のハの字型屈曲,伊豆-小笠原弧の衝突,フォッサマグナの形成を考察する上で多大な影響を与えている.また松島会員が中心となって作成された地質図には,1972年の「下伊那地質図」,1984年の「天竜川上流域地質図」などがある.
このほかに60年代から伊那谷の段丘に関する研究を開始されている.これにより,従来は天竜川が作った河岸段丘と信じられてきた地形が,活断層による変動地形であることを明確にしたことは,日本での活断層研究における最重要な成果の一つといえる.この成果は,伊那谷とその周辺の構造発達史論文「伊那谷の造地形史」にまとめられ,九州大学から理学博士の学位を授与された.
以上を通じての調査研究活動は,小・中学校での多忙な教職生活の中でなされたものであり,初等中等教育に携わる全国の会員を元気づけるものである.松島会員の研究で培われた多くの経験と成果は,地質学の教育と普及においても大いに生かされてきている.
1985年には有志と伊那谷自然友の会を結成し,また1988年には飯田市美術博物館の設立,1993年には大鹿村中央構造線博物館の設立に関わられた.これらの教育・普及活動は,豊富な野外調査による地質と自然への理解をベースにした,常に現場を見て判断するという現場主義によるものである. 以上のように,地域地質学の究明,およびその普及発展に長年にわたり大きな貢献をされた松島会員を名誉会員として推薦する.

 

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猪郷久義 会員(1932年生まれ)


猪郷久義会員は1955年に東京教育大学理学部地学科を卒業された後,1960年に東京教育大学大学院理学研究科博士課程を修了され,理学博士を取得された.その後,米国イリノイ州立地質調査所特別副地質技師,目白学園女子短期大学助教授・教授を経て,1968年に東京教育大学助手に着任された.さらに筑波大学助教授,教授を歴任され,1996年筑波大学を定年退職された後,筑波大学名誉教授となられた.筑波大学退職後も,国立科学博物館客員研究員,(財)自然史科学研究所理事長として古生物学・地質学に関する教育と研究に従事されている.
猪郷久義会員は,古生代のフズリナ,コノドント,サンゴ等および中・古生代放散虫の化石層序学的ならびに古生物学的研究を専門とし,国内・外のこの分野における指導的役割を果たされてきた.たとえば,同会員が行ったフズリナやサンゴに基づく飛騨山地の中・上部古生界の地質学的・層序学的研究の成果は,当該地帯の地質解明にとどまらず,同様な非変成古生層が含まれる南部北上帯や黒瀬川構造帯との対比や起源の推定を行う上で,きわめて重要な意義を持っている.また,わが国のコノドントの生層序学的・古生物学的研究におけるパイオニア的役割を果たし,とくにその生層序学的研究によって,従来古生層として一括されていた基盤堆積岩類中に三畳系が広く存在することを初めて明らかにした.その結果,その後急速に進展した日本列島の地史的再検討や新たなテクトニクス構築の基礎となった.いっぽう,タイを中心とする東南アジア諸地域でのフズリナ,コノドント等の化石層序学・古生物地理学的研究も国際的に高い評価を受けている.これらの研究成果は,約120編の論文としてまとめられ,学術誌に公表されている.
教育の面では,筑波大学はもとより,他の多くの大学に非常勤講師として招かれ,広く学部・大学院の研究指導にあたっている.さらに,中国,タイ,インドネシア等から留学生,研究者を数多く受け入れ,留学生教育や国際共同研究を促進した.また,多数の専門書の執筆や,さらにはNHKの教育放送を通じて幅広い社会教育活動にも積極的に尽力された.学会活動としては,同会員は日本古生物学会会長,評議員,学会誌編集委員長を歴任された.
以上のような猪郷会員の長年に及ぶ地質学ならびにこれと深く関わる古生物学の研究・教育に対する多大な貢献により,日本地質学会名誉会員に推薦する.

 

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籾倉克幹 会員(1935–2015)


籾倉克幹会員は,1957年に広島大学理学部地学科を卒業され,1958年農林省の地質技術者に採用された.その後北陸,中国四国,東海,九州,関東の各農政局と農林本省を歴任され,国土庁へも出向されている.この間の籾倉会員の地質学的技術成果は極めて多い.
籾倉会員は地質学の生産現場への貢献の必要性を自覚され,学生時代から所属されていた「日本地質学会」に加えて「農業土木学会」,「土質工学」に入会するとともに,「応用地質学会」や「日本地下水学会」の創立に参画され,地質学の社会的貢献の理論と実践を貫徹された方である.1961年から勤められた中国四国と東海では旱魃緊急対策のため連日電気探査と井戸掘りに終始され筆舌に尽くしがたい苦労をしておられる.これらの労苦が10ha以上の開田に結びつくと,地元から感謝されるとともに,多くの無灌漑農地の改良事業へのパイロットの役割りを果たしてきた.1968年農林本省では,全国規模の長期農業政策立案や大蔵折衝といった多忙の中,韓国の朴大統領からの要請に応えて旱魃対策調査団を組織し前羅・慶尚4道の水文地質踏査,井戸掘削と揚水試験に従事し旧河道の資源評価の重要性を報告し,国際灌漑排水会議には,「阿蘇火山西麓台地の地下水開発(1975年英文)」と「宮古島ダムに貯蔵された地下水の管理と抑制(1989年英文)」を公刊し,内外の専門家から引用されるなど国際的貢献も多い.
各地で繰り広げられていた灌漑事業においては調査計画だけでなく設計施工から管理にも関わられ,1986年には「ダム建設における地質調査と基礎処理(51p)」や「日本の地下水(1043p)」を刊行されるなど著書も多い.特に,国土庁から発行した各県版の環境地質図と環境シンポジウム論集に都市地質論文を連続5編投稿されるなどの実践が特筆に値する.1991年農林水産省環境保全室長で退官され,基礎地盤コンサルタンツ(株)の技師長として,技術研鑽を通して後進を指導されている.また籾倉会員が携わられた100%を地下水で供給している熊本市上水道事業が先年日本水大賞を受賞された.日本地質学会では評議員を3期6年間勤め,2007年には瑞宝小綬賞を授かっている.籾倉会員は,社会に貢献する日本地質学会の名誉会員にふさわしいものとして推薦する.

 

(以上5名)