正会員 石渡 明
2011年3月11日の東日本大震災からしばらくの間,AC ジャパン(公共広告機構)が金子みすゞの「こだまでしょうか」という詩をラジオやテレビで流し続けたので,仙台で被災者生活を送った私などは,その詩が未だに耳に残って離れない.この詩人の哲学的,宗教的側面については既に論じられているが(後述),小論ではその地学的側面について述べる.
金子みすゞ(本名テル)の略歴は次の通りである(矢崎, 1984, 2005; 松本, 2022).明治36(1903)年に山口県大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれ,父母と祖母・兄・弟の6人家族だったが,父はみすゞが3歳の時に死去した.大正9(1920)年大津郡立大津高等女学校を卒業し,大正12(1923)年に母の再婚先の下関の書店に移り,その書店を手伝いながら作詩し,雑誌へ童謡の投稿を始めた.大正15(1926)年書店の店員と結婚し,同年娘が誕生したが,昭和5(1930)年に離婚,その年に自死した.26年の短い生涯だった.
作家・翻訳家の松本(2022, p. 118*)は次のように述べる.「みすゞは,人や田園や花鳥風月を遥かに超えて,もっと深遠なものを詠っている.草を生やす大地の力,人や生きものを生かしている自然と宇宙,そのすべてを成り立たせている目に見えない偉大なものを描いているのだ.そこにあるものは,小さな蟻や雀の短い命から,昼間の青空のむこうで億光年の光を放っている星まで永遠はなく,いつかは終わる限りある命を生きている.石ころといった命なきものたちにも永遠はない.そのものたちの宿命と一瞬の輝きを,虫や花や汚れた雪の気持ちにまで寄り添って書いている.甘く愛らしいだけの詩ではない.もっと深く哲学的なものを見通している」.また,浄土真宗僧侶の中川(2003, p. 186)は次のように述べた.「だれもがさびしく,だれもが悲しく,だれもがあたたかさや,優しさをもとめているそのこころの中へ,おなじさびしさや,悲しみをもってそっとよりそってくれるみすゞさんの作品の一つ一つ….それは,金子みすゞさんをすっぽりとつつみこんだ,お念仏があったからだと思うのです.金子みすゞさんは,生涯,仙崎と下関を出ることはありませんでした.そこで生きとし生けるもののいのちを思い,そのいのちはすべて一繋がりであることを見つめ,生かされてある自分をみつめ,地球という大きな織物のタテ糸の一本にしかすぎない人間の,驕り,たかぶりにこころをいため,そして,どうしようもない人間の根源に自分の姿を重ね,そのなかで,哀しくも短い一つのいのちを終えていったのです」.
仙崎の北に約100mの狭い海峡を挟んで青海(おうみ)島がある.この島は白亜紀の火山岩類を主とする関門(かんもん)層群と阿武(あぶ)層群及びそれらを貫く花崗岩類からなっていて,海岸の急崖にそれらがよく露出する地学巡検の好適地であり(松里, 1980),山口地学会(1991)には青海島の絶景露頭の大判写真が5枚掲載されている.島の南西部,仙崎の近くに「波の橋立」という名所がある.尾崎ほか(2006, p. 106)は,「全長約1kmの湾口礫州で,その山側には青海湖と低地が分布する.なお,波の橋立を構成する堆積物は主に円礫層からなる」と記す**.金子みすゞの「波(なみ)の橋立(はしだて)」という詩(全集III, p. 186, 「仙崎八景」の1編)を見てみよう.
波の橋立よいところ,
右はみづうみ,もぐっちょがもぐる,
左ゃ外海,白帆が通る,
なかの松原,小松原,
さらりさらりと風が吹く.
海のかもめは
みづうみの
鴨とあそんで
日をくらし,
あをい月出りゃ
みづうみの,
ぬしは海辺で
貝ひろふ.
波の橋立,よいところ,
右はみづうみ,ちょろろの波よ,
左ゃ外海,どんどの波よ,
なかの石原,小石原,
からりころりと通りゃんせ
この詩には,この湾口礫州の地形,地質,植生や州の両側の生物と波の違いが手際よく的確に詠みこまれ,松風や波の音,円礫を踏む感触までが伝わってくるようである.「もぐっちょ」はカイツブリの愛称で,川や沼に潜ってよく魚を獲る小型の鳥である.
「濱の石」(全集I, p. 168; 名詩集, p. 156)は次のように唄う(濱は浜,/は空行を表す).
濱辺の石は玉のやう,
みんなまるくてすべっこい./
濱辺の石は飛(と)び魚か,
投げればさっと波を切る./
浜辺の石は唄うたひ,
波といちにち唄ってる./
ひとつびとつの濱の石,
みんなかはいい石だけど,/
浜辺の石は偉(えら)い石,
皆(みんな)して海をかかへてる.
かわいい小石が皆で海をかかえているという認識は非凡だが,地学的には正しく,岩石圏と水圏の空間的,物理的関係を的確に捉えている.また,浜辺の石はただ「まるくてすべっこい」だけではなく,「投げればさっと波を切る」,つまり扁平な形であることを示していて,海岸礫の形の特徴(石渡, 2022)をよく捉えている.そして,そのような形になる原因は「波といちにち唄ってる」からである.この他に「けろりかん」とした「石ころ」の詩(全集I, p. 134; 名詩集, p.178)も有名である.
「赤土山」(全集II, p. 223)は次のように吟ずる(賣は売).
赤土山の赤土は,
賣られて町へゆきました./
赤土山の赤松は,
足のしたから崩(くづ)れてて,
かたむきながら,泣きながら,
お馬車のあとを見送った./
ぎらぎら青い空のした,
しづかに白いみちの上./
町へ賣られた赤土の,
お馬車は遠くなりました.
赤い土,緑の松(幹は赤),青い空,白い道とカラフルな詩材の中で,足元の赤土を持ち去られて傾いた赤松の悲しみが際立っている.岩石圏と生物圏の関係,そして人為的な自然改変の無情を痛切に表現している.土と松の赤は地球の血流を象徴しているようだ.この採土場は仙崎南方の風化した白亜紀火山岩類の小山にあったのだろう***.
以上のように金子みすゞの詩は,「童謡」でありながら的確な自然認識と深い洞察に基づいており,地学の普及・教育に役立つものが多い.