〜2018年日本地質学会創立125周年を記念して〜

 

トリビア学史 16  東京大学の演説会


矢島道子(日本大学文理学部)
 

図.東京日日新聞,明治10年6月5日(1650号)より.

はじめに
「演説」という行為は明治時代には,大変重要だった.福澤諭吉の訳と言われている.明治15年には「演説する女」も現れた(関口,2014).特に自由民権運動における演説は有名であるが,本トリビアはそういう意味ではない.
東京大学は明治10年に創立されたが,『東京日日新聞』の記事を読んでいくと,創立当初から一般の人向けに講演会がおこなわれていたようなのだ.この講演会は演説会あるいは演舌会と言われていた.東京帝国大学五十年史(1927)には,これらの記載が一切ない.進化論を一般向けの講演会で演説したモースの『日本その日その日』にも大学の講演会は一言も触れられていないので,現在,わかり始めたことだけ記す.

邦語演説
東京日日新聞の記事はトリビア15(客死した鉱山学者ヘルマン・リットル)でもふれたが,今回引用する記事は多くが4面の広告記事である.まず,明治10年3月17日(1583号)に東京開成学校の広告が載っている.
「以来毎月第2の土曜日午後7時より講義室に於いて邦語演説,第4の土曜日同刻より英語演説を開き,外来聴聞200人余を許す.聴聞の望ある者は同日午後6時30分までに来校門衛より切手を受け取るべし但し右切手は代価を要せず」
聴講券は切手といったらしい.明治10年4月14日土曜日(1606号)には簡単に東京大学の開学が記されている.
「文部省所轄東京開成学校東京医学校を合併し東京大学と改称候状此の旨布達候事明治10年4月12日文部大輔田中不二麿.文部省所轄東京英語学校を東京大学予備門と改称東京大学に付属せしめ候状此の旨布達候事明治10年4月12日文部大輔田中不二麿」
このひと月ほどのあいだに東京開成学校の看板が変わって東京大学になったが,開成学校の頃から計画していた日本語と外国語の演説(舌)会の企画はそのまま引き継がれ,実行に移されたようだ.
第1回の邦語演説は明治10年4月14日土曜に行われた.東京日日新聞,明治10年4月13日(1605号)には
「本月第2土曜日(即14日)午後7時より邦語演説あり仍ち演説者の姓名及其演題を左に掲げ以て之を広告す.演説者は
当校教授補山岡次郎氏,『水の説』
同教授井上良一氏 『所有物の論』
同教授矢田部良吉氏,『動物変遷論』
明治10年4月 開成学校
但し聴講の望ある者は門衛より切手を請取せき段かねて広告し置き候處,今後は切手を交付せざるに因り爾来聴講を要する者は午後6時50分までに来校すべしもっとも外来聴講200余人に満つるときはたとえ右時限前といえども聴講を断るべし.」

と広告がでた.まだ開成学校の名称を使っており,切手制度ではなく先着順にしようとしている.
明治10年5月11日 (1629号)に第2回目の広告が出た.
「本月第2土曜日(即ち12日)午後7時より邦語演説あり.仍ち演説者の姓名及其演題を左に掲げ以て之を広告す
『南蛮交際始末』 当部教授補 山川健次郎氏
『法律沿革の論』 同法学中級生徒高橋健三氏
『英米仏三大革命論』 江木高遠氏
明治10年5月東京大学法理文三学部」

第2回目で学生にも講演させている.江木高遠は後に江木学校を開いて,モースの一般向け講演会を行った人物である.
第3回目は, 明治10年6月5日(1650号) と明治10年6月6日(1651号)に,同一内容の広告が2回掲載された.
「本月第2土曜日(即ち19日)午後7時より邦語演説あり.仍ち演説者の姓名及其演題を左に掲げ以て之を広告す.
『東京近傍地質略説』 本部教場助手 和田維四郎氏,
『夫婦交際像律』 同法学本科中級生本山正久氏,
『学問は淵源を深くするに在る論』 客員西周氏
明治10年6月東京大学法理文三学部」

ようやくのことで,地質学者和田維四郎が第3回講演会を飾った.
第4回目は明治10年10月19日午後7時より客員 中村正直,
(理学部教場助手)多賀章人,(法学部生徒)大原鎌三郎の講演があった(明治10年10月12日,1760号より).変則的だが10月27日午後7時より『英国ケンブリッジ大学校事情』を理学部教授菊池大麓が講演している(明治10年10月26日,1772号より).
第5回目は11月10日午後7時より.理学部教場職員 松本荘一郎『水道の話』,化学生徒 渡邊渡 『日本固有の鉱山術は全く廃すべからざるの論』(明治10年11月8日,1782号より)と続いていった.


英語演説
最初の英語演説は,演説会が始まってから半年ほど経ってからのことだった.
モースが大森貝塚を発見したことが,明治10年10月8日(1756号)に記事として報告され, 明治10年10月15日に英語演説がなされた.
明日の午後8時より東京大学の演舌館に於いて米国理学博士モース氏が前号にも記せし武州大森に於いて日本古生物発見の事を演説せらるるよし聴聞望の者は午後7時50分までに来校すべしとの事なり.( 明治10年10月15日,1762号)
広告が10月15日に掲載され,読者は10月16日に講演会があると思っただろうが,実は誤りで,演説会は15日に開催された(明治10年10月16日,1763号にお詫び広告が掲載された).記事から,東京大学に演舌館があることがわかる.
少し時をおいて明治10年12月19日に化学科の卒業式が行われ,中村正直氏とモルレー氏が講演をし,希望者200名ほどの聴講を許可した.このことは『東京帝国大学50年史』にも触れられている.
しかしこれまでの演説会はあくまでも臨時の企画で,定期的な英語演説は,明治11年4月13日から始まった.
「13日午後7時より英語演説 Natural Knowledge. Its Character, Exterior Limits and Basis Nägile and Fichte,理学部教授 スミス氏 明治11年4月11日東京大學三學部」(明治11年4月12日(1905号))
という記事が載った.スミス理学部教授はイギリスから来た機械工学の教師であった.機械工学の教師がどんなNatural Knowledgeを話したかはわからない.NägileはおそらくNägeliのまちがいと思われる.
第2回は明治11年5月11日午後8時より午後8時より理学部教授モースが『The Last Glacial period』を話した(明治11年5月10日,1928号の記事より).モースの講演はやはり進化論ではなかった.
第3回は明治11年6月8日午後8時よりにモースが『Arts of Ilustration』を講演した(明治11年6月6日,1951号).やはり進化論ではなかった.

まとめ
これらの記事の後にも講演会はあるが,地質学関係は出てこない.また,いつごろ,どんな理由で,この講演会が中止になるのかということもわかっていない.わからないことばかりなのだが,新しい知見のようなので,ここに披露した.諸賢のお知恵を拝借できれば嬉しい.

文献

  • 関口すみ子『良妻賢母主義から外れた人々湘煙・らいてう・漱石』 2014年,みすず書房.
  • 東京帝国大学『東京帝国大学五十年史』1932年.
  • エドワード・S・モース(著)石川欣一(訳)『日本その日その日』2013年,講談社学術文庫.
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