〜2018年日本地質学会創立125周年を記念して〜

 

トリビア学史 12  誤りは早く直しましょう 


矢島道子(日本大学文理学部)
 

60周年記念本における北京大学の記述

『日本の地質学100年』(日本地質学会,1993)の,中国関連の記述に誤りがあると中国科学史家・武上真理子氏(元京都大学人文科学研究所)より指摘を受けた.戦前の中国での地質学研究の記述である.上記100周年記念本を所持されていたら,訂正してほしい.

周年記念本
日本地質学会は戦後,周年記念本を3冊出版している.1953年に60周年記念本,1968年に75周年記念本と,1993年に上記の100周年記念本である.海外地質調査については60周年記念本が実際に現地の機関に勤務していた地質技術者によって記述されていてくわしい.75周年記念本では特に関係の章はなく,表形式で多少の情報が記述されている.100周年記念本では岡野武雄氏(元工業技術院地質調査所)が「第4章 第二次大戦前・中の海外地質調査」を執筆している.岡野氏が緒言で述べているように,60周年記念本,75周年記念本,あるいは東京地学協会の取り組んだ『東亜地質鉱産誌』等を基にして編集したものである.

上海自然科学研究所
最初の誤りは436ページの上海自然科学研究所の記述「1926年12月に設置」として書かれているところである.1926年12月に「大綱」は出来上がったが,この時には予備研究が立ち上げられただけで,研究所の設置がされたわけではない.研究所の正式な開所は1931年4月,建物の竣工は同年6月である.60周年記念本では尾崎金右衛門が執筆しており,「1926年12月には上海自然科学研究所設置を議決した」と記述され,「研究所の建設をまたずに直ちに中国における興味ある研究を開始した」とのことである.「この予備研究時代には…研究したが,…1928年に済南事件が勃発したため,中国側委員は総辞職をなした」と記述は続いている.

北京大学
同じページに,北京大学についての項目があり,「1923年9月,北京大学理学院が再開した」と始まる.しかし,この「1923年」は全くの間違いである.60周年記念本では「1938 〜1945年の北京大学地質学教室」を冨田達が記述している.1923年という文字は一切現れない.「1938年9月初めに北京大学理学院が復開した」と記述は始まる.「院長は文元模氏(大正9年東大物理学科卒業)」,「中国地質学者は殆ど全て北京を離れて去っていたので,冨田達が地質学系主任教授に招聘せられたのであるが,学系唯一の教師であり,また理学院唯一の日本籍教授でもあった.そして名誉教授の任務を代行した」という記述が続く.その後,東大の加藤武夫が1年後に名誉教授に就任し,冨田は首席教授となる.5年後には体制が整い,地質学系には10人の教師がそろった.日本人は冨田のほかに,蔵田延男,酒井栄吾がいた.
武上氏によれば,北京大学の「正史」では,1937年以降に北京大学が日本人によって「再開」されたという事実は,完全に抹消されているそうだ.さらに,私は,2014年に北京で開かれた国際地質科学史シンポジウムに参加したが,中国の地質学史の中にアメリカ人,フランス人等は登場するのだが,日本人地質学者は誰一人登場しなかった.歴史研究において正しい事実を突き止めていくことは重要で,小さな誤謬はすみやかに修正されなければならない.
なお,これまでの周年記念本に誤りが見つかった場合には,できるだけ早くお知らせください.誤りは修正していきたいと思っています.

文 献

  • 日本地質学会,1953,『日本地質学會史:日本地質学会60周年記念』
  • 日本地質学会,1968,『日本の地質学:現状と将来への展望』
  • 日本地質学会,1993,『日本の地質学100年』