〜2018年日本地質学会創立125周年を記念して〜

 

トリビア学史 6   女性地質研究者の嚆矢


矢島道子(日本大学文理学部)
 

写真 地質学会50周年記念式典(1943.7.25,北海道大学).前から3列目左端から井上,藤原,米満(「日本の地質学100年」 より).

はじめに
2015(平成27)年発行の日本地質学会・会員名簿では,3851名の会員中,女性は373名で1割弱である.地質学会で女性を初めて見かけるようになったのは,1943(昭和18)年のことであるが,実は,その前に日本の化石を研究した外国人女性と日本人女性がいる.概略を記したい.

マリー・ストープス  
日本の化石を最初に研究した女性はイギリス人のマリー・ストープス(Marie Stopes 1880-1958)である(矢島,2007).ストープスは,1902(明治35)年ロンドン大学(UCL)より,植物化石の研究で,女性として初めて理学博士を取得した.1903(明治36)年,さらに,ミュンヘン大学のゲーベル(KarlEberhardt von Goebel 1855-1932)教授のもとに留学して研究を続けた.ゲーベル教授は当時,裸子植物研究の第一人者であった.ここで,銀杏の研究のために日本から留学してきた藤井健次郎(1866-1952)と出会う.ストープスは1904(明治37)年にマンチェスター大学の講師となった.理科系ではマンチェスター大学初の女性講師であった.藤井はマンチェスターのストープスを訪れていたが,東京帝国大学理学部の植物学教授への就任の打診を受けて帰国した.1907(明治40)年,ロンドン王立協会の奨学金をえて,ストープスは藤井を追う形で日本にやってくる.被子植物の花の化石研究が目的であった.北海道 の炭田を地質調査し,サンプリングしている.1910(明治43)年,ストープスと藤井の共著論文『白亜紀植物の構造と類縁に関する研究』がロンドン王立協会の雑誌に発表された.ここには,日本の菌類,シダ,球果,針葉樹,被子植物果実17種が記載されている.  ストープスは,その後バースコントロールの運動家となり,欧米では有名である.

保井コノ  
日本人女性で最初に理学博士を取得した保井コノ(1880-1971)は植物学者といわれているが,彼女の学位論文のテーマは「日本産の亜炭,褐炭,瀝青炭の構造について」であり,北海道・石狩炭田地域の柱状図もたくさん書かれているなど,実際には植物化石の研究者であった.保井は香川県の生まれで,1898(明治31)年 香川県師範学校を卒業した後,女子高等師範学校理科に入学した.1902年に同校理科を卒業し,数年の女学校教諭をへて,1905(明治38)年,女子高等師範学校研究科に入学した.最初は動物学を志していたが,1906(明治39)年に 植物学とくに細胞学の研究に移り,1907年女子高等師範学校研究科を修了し,同校助教授となる.1914(大正3)年アメリカに留学し,1915(大正4)年,ハーバード大学のジェフレー(Edward Charles Jeffrey 1866-1952)教授に師事して石炭の研究を開始した.1916(大正5)年に帰国し,前掲の藤井教授のもとで石炭の研究を継続した.1927(昭和2)年,東京帝国大学より理学博士号を取得した.

日本地質学会では  
日本地質学会では,1943(昭和18)年7月25日に,北海道大学で行われた地質学会50周年記念式典の写真に,3名の女子学生が写っている.この3名が,最初の女性地質学者とされている.北海道帝国大学の地質学教室を1944(昭和19)年9月に卒業した,井上(都城)タミ(生年不明),藤原隆代(1917-1992),米満 信(生没年不明)の3名である.  井上タミは,1944年に「石綿の性質について」を発表し,東京女子高等師範学校に就職し,東京大学の地質学教室で研究を続けた.都城秋穂との共著論文も数編ある.  藤原隆代は,1936(昭和11)年に東京女子師範学校2部を卒業し,小学校教師を経た後,1940(昭和15)年に東京高等師範学校副手に任用された.その後,北海道大学理学部地質学教室の聴講生をへて,1945(昭和20)年,北海道大学理学部地質鉱物学教室の副手に採用された(大森,1992).1944年には「蛇紋岩に関するニッケル鉱床の一例について」についての発表であったが,その後化石に含まれる有機物の研究に転じ,1968(昭和43)年には「化石有機物の古生化学的研究」で日本地質学会より学会賞を受賞した.  米満 信は,東芝電気株式会社に就職したことが知られている.

まとめ  
上記3名の後,少しずつ女性研究者は増加してきた.初期の女性研究者の来歴を調べると,研究を認めてくれる組織がなかなか見つからず,所属先を転々としていることがよくわかる.大変な努力の積み重ねであったと思う.なお,それぞれの研究者の生没年等,入手できていない情報も多いので,どなたかご存知の方は一報いただければ幸いである.

文 献

  • 大森昌衛,1992.藤原隆代さんのご逝去を悼む.地質学雑誌,98(7),p711.
  • 矢島道子,2007.マリー・ストープスの2つの顔:日本の植物化石研究事始め.大学出版部協会[編],ナチュラル・ヒストリーの時間,20-23,大学出版部協会.
  • 日本地質学会編,1993,日本の地質学会100年:日本地質学会100周年記念.日本地質学会,706p