〜2018年日本地質学会創立125周年を記念して〜

 

トリビア学史 2   日本にライエルの孫が来た?ビーグル号が来た?

 
正会員 矢島道子(日本大学文理学部)
 
 

 

ニュース誌8月号の「トリビア学史1」は明治の初めの日本人の奮闘を記したものだが,今回は洋物(カタカナの名前)の話である.なお,これはと思われる珍しい記録・情報などあったら,「トリビア学史」にどしどし投稿されることを歓迎します.

ライエル
チャールズ・ライエル(Charles Lyell 1797-1875)は『地質学原理』の著者として,(『地質学原理』を読んだことがなくても)地質学を志した人ならば誰でも知っている.その孫が日本に来たという話がある.谷沢・渡部(2008)は,その著『日本人とは何か‐「和の心」が見つかる名著』の61ページでトマス・ライエル(1950)の著『一英國人の見たる日本及日本人』を紹介している.写真は佐藤正氏の所蔵されていたものである.古本屋で購入するとかなり高価である.谷沢・渡部は「トマス・ライエルは…チャールズ・ライエルの孫です.ケンブリッジ大学を出て,詩人でもある.戦前から日本のいろんな学校で教えたりして,戦前も30年
近く日本にいた.敵性外国人として一時日本を離れざるをえませんでしたが,戦後いちばん最初に民間イギリス人の先生として日本に来た人です」と書いている.また渡部は「ライエルが上智大学で教授になった年に僕は入学しました」と書き,その授業および,その著書を紹介している.

ほんとうだろうか.私は早速,ライエルの研究家であるミネソタ大学のLeonard G. Wilsonに連絡した.返事は以下のようで,どうやら一族であることは間違いなさそうだが,チャールズの孫ではあり得ないむねが書いてあった.

From: Leonard Wilson,
To: Michiko Yajima
Sent: Saturday, March 29
Subject: Re: Thomas Lyell in Japan

Dear Michiko Yajima,

It is a pleasure to hear from you. With regard to your
question, Sir Charles Lyell had no children. His brother
Colonel Henry Lyell had three sons and a daughter. One of
his sons, Francis Horner Lyell, had two sons, one of whom
Thomas Reginal Guise Lyell, born 3 April 1886, may have
been the Thomas Lyell who taught English at a university in
Japan in the 1930's. in 1930 he would have been forty-four. He
is said to have died abroad, but otherwise I know nothing of
his fate. He was a great nephew of Sir Charles Lyell, but not
a grandson.

With best wishes
Sincerely,

Leonard Wilson


渡部は直接トマス・ライエルに接しながら,どうして勘違いしたのか不明である.

ビーグル号
1970年代,地質学教室の学生だった頃,「ダーウィンの乗ったビーグル号は日本に来たらしい」という話を聞きこんだ.その時にもビーグル号はビーグル号だが違うビーグル号だとも聞いた.出典はどこだか調べてもみなかった.明治以来,いくつもの説があったようだ.ダーウィン生誕200年,『種の起原』刊行150年を記念して刊行出版された松永(2009)によくまとめられている.

イギリス海軍にはビーグル号という名の艦船がいくつも登場する.日本に来たビーグル号は日本名を乾行という.1854年に建造された,元イギリス海軍の機帆船523t,177feetのビーグル(HMS Beagle)は,民間に売却され,薩摩藩が1864年に購入,長崎で受領し「乾行丸」と命名された.戊辰戦争で活躍し,1870年には新政府へ献納され,兵部省所管となり,「乾行」と改名された.その後,練習艦として使用されたり,浦賀に係留されたりしていたが,1889年に売却された.1911年に動物学者の渡瀬庄三郎がダーウィンのビーグル号ではないことをすでに明らかにしている.

ダーウィンの乗船したビーグル号のほうは,イギリス海軍の10門の砲を搭載した純然たる帆船で235t,90feetである.1820年に建造され,ジョージ4世の戴冠式を祝う観艦式に参加し,新しいロンドン橋の下をくぐった最初の船となった.その後3度の探検に参加した.2度目の航海1831年から1836年ではチャールズ・ダーウィンが乗船した.3度目の航海を終えて,1870年に売却され,解体された.今では,ビーグル号の情報はかなり流布し,wikipediaや各種科学史の本にほぼ常識として掲載されている.

文 献
谷沢永一・渡部昇一,2008,日本人とは何か‐「和の心」が見つかる名著,PHP選書.201p.
ライエル,トマス,1950,一英國人の見たる日本及日本人,創元社.349p.
松永俊男,2009,チャールズ・ダーウィンの生涯‐進化論を生んだジェントルマンの社会,朝日選書.321p.