「日本地方地質誌」完結と「The Geology of Japan」出版:日本地質学発展のランドマーク


石渡 明・井龍康文・ウォリス サイモン
 

地質学の研究者や学生が,日本のある地域の地質を少し詳しく知ろうと思った時,最初に手に取る書物はその地方の地質誌である.また,ある外国の地質を知ろうと思えば,まずその国の地質誌に目を通すことになる.2016年度中に日本地質学会(以下「本学会」)編,朝倉書店発行の「日本地方地質誌」が全巻完結予定,また英国地質学会(The Geological Society of London)から「The Geology of Japan」が刊行予定である.ここでは地方地質誌の歴史と現状を略述して,その意義を明らかにしたい.

日本最初の本格的な地方地質誌は,明治〜大正の1903〜1915年に博文館が刊行した山崎直方・佐藤伝蔵編著の「大日本地誌」全10巻(小林, 1981; 荒井, 1986)である.ちょうど100年前に完結したこのシリーズは,9. 北海道(千島・南樺太を含む,数字は巻番号),2. 奥羽(東北),1. 関東,3. 中部,5. 北陸(福井・石川・富山・新潟),4. 近畿,6. 中国,7. 四国,8. 九州,10. 琉球及び台湾からなり,1910年に併合された韓国(朝鮮)は含まない(日本語による朝鮮の地質誌には立岩(1976)がある).編著者両氏は本学会会長も務めた地質学者であり,各巻には必ず地質の章があって色刷り地質図が付属している.博文館の宣伝文には,「欧州における最新の体式に鑑み全く在来の地誌とその目的方針を異にし」,「彼の乾燥無趣味なる偏狭の地理書と同一視すべからざるを要す」とあり,かなり気合が入っている.数人の文学士や小説家の田山花袋が編集執筆陣に入っていた.例えば,近畿は1256ページと本シリーズ最大で,第一編地文は第一章地形,第二章海洋並に海岸線,第三章地質,第四章気象からなり,次の第二編人文は第一章沿革(歴史),第二章政治宗教,第三章産業,そして第三編地方誌は各府県別の詳細を説く.この巻の序文には「今の大阪平野の一角は,皇祖東征の日,其の御船を寄せ給ひし地なり」という一文があって,この書の雰囲気をよく示している.地質の章は一.汎論,二.始原大統(片麻岩系,晶質剥岩系(今の領家帯と三波川帯)),三.古生大統,四.中生大統,五.新生大統,六.噴出岩(深成岩を含む),七.温泉からなる.他の巻も同様の構成になっているが,奥羽は地形の章の火山の記述が詳しく,「近時における重要な地変」という項目を設けて1894年の庄内(酒田)地震,1896年の陸羽地震,そして同年の三陸海嘯(大津波)について詳しく記述している.地質の章で特に目を引くのは,阿武隈山地の変成岩類の上部(御齋所統と竹貫統)をヒューロニア系(下部原生界),下部をローレンシア系(始生界)としていることである.中部も1891年濃尾地震の記述に5ページを割き,台湾も8ページにわたって同地の地震について記述している.また,北海道にはほぼ実物大のアンモナイトの精密な銅版画が3葉付属している.明治時代後期の各都市の正確な地図や重要施設,景勝地,民俗などの写真が多数添付されていて,非常に資料価値の高い書籍である.このシリーズ各巻の価格は2.5〜3.5円(送料15銭)だった.これは,「地質学の発展を反映して自然地理を中心に詳しい研究成果が盛り込まれ」,「欧米の地誌の編纂順序を参照して自然から人文へと項目がならべられ」,「地誌の定義を地人関係の『関係の説明』と自覚している」(荒井, 1986),当時の世界水準の地誌学書であった.小林(1981)は「大正後期に高校生(旧制)であった私には本書は山歩きや旅行のための大事な参考書であった」と述べている.戦前も戦後も「地誌」と名の付く書物は何種類も刊行されたが,充実した地質の記述があるのはこのシリーズのみである.

余談であるが,さらに古い「皇国地誌」という幻の書物がある.これは明治初期の廃藩置県(1871年)直後の1872年に太政官布告288号によって各県の担当者に調査・執筆させたものであるが,結局1冊も出版されず,その原稿は1923年の関東大震災で焼失してしまったという悲劇的な書物である.しかし,いくつかの府県にその原稿の写しや草稿段階のものが残っており,当時の社会・経済を知る上で貴重な資料になっている(荒井, 1986; 長島, 2008).なお,「大日本地誌大系」というシリーズもあるが,これは江戸時代に幕府が編集した奈良・平安時代からの風土記などの書物を明治以後に活字出版したものである.

さて,現在書店で購入できる日本の地方地質誌には,共立出版と朝倉書店の2つのシリーズがある.共立の「日本の地質」シリーズは1986〜1992年に出版され,北海道から九州(九州は沖縄を含む.中部地方はI東部とII西部に2分,各巻9000円+税)の9巻(+総索引1巻,7000円+税)が完結していて,2005年に全国の新しい情報をまとめた増補版1冊(文献リストのCD-ROM付,13000円+税)も出ている.このシリーズは地質情報を網羅的に記述しており,ある地域の地質概要や地層名,主要文献等を辞書的に調べるのに便利である.増補版は,1995年兵庫県南部地震や2004年新潟県中越地震など近年の地質災害の詳しい記述がある一方,中国地方の中・古生界の新知見の記述がない等,やや不揃いがある.

朝倉の「日本地方地質誌」シリーズは,その地方の地質をある考え方で系統的,理論的に説明しようという志向が強く,過去には1冊の地方地質誌を一人の著者が執筆したものもあった.このシリーズは過去3回出版されている.一回目は戦後間もない1950年からの5年間に東北〜四国の6巻が出版され,1962年にそれらの増補版と九州が出たが,結局北海道が出版されずシリーズは完結しなかった.ただし,一回目のシリーズには小林貞一による総論(副題は「日本の起源と佐川輪廻」,この書は彼の1941年東大紀要英語論文の和訳で,欧州アルプス流のナップの水平移動を含む地向斜論を展開)がある.彼は中国と四国もそれぞれ単著で執筆していて,各巻頭に彼の恩師(小沢儀明と江原眞伍)への献辞がある.近畿の巻頭にも著者松下進の恩師中村新太郎への献辞がある.一方,槇山次郎は中部の序文で「先進国の地質誌が,鉄筋コンクリートのように堅固に構築されているのに比べて,(日本のは)危っかしい気がする」と述べている.二回目は近畿(1971),中部(1975),関東(1980),中国(1984)の改訂版が出たが,やはり完結しなかった.小林(1981)は前年の関東改訂版の出版を,同書旧版(藤本治義著,関東山地のナップ構造,長瀞(三波川・みかぶ)系ジュラ紀説など,今読んでも興味深い)の愛読者として祝い,この時点までの地方地質誌の沿革表をまとめている.三回目は本学会の編集で中部(2006, 写真や地質図等のCD-ROM付),関東(2008),近畿,中国(2009),九州・沖縄,北海道(2010)が既に出版され,2016年度中に四国と東北が出て,三回目にして初めて全8巻のシリーズが完結する見込みである.これら三回のシリーズ各巻の価格表示を見ると時代の変化がわかる.一回目は350〜520円,二回目は3500〜9800円,三回目は22000〜26000円+税である.

現時点で世界に示す日本の地質の総論としては,本学会と学術交流協定を結んでいる英国地質学会から今年4月,我々日本の地質研究者陣が執筆したThe Geology of Japanが出版される運びになっている.このシリーズは英国(北部と中南部の2冊),スペイン,チリ,中欧(ドイツとその隣接国,古生代以前と中生代以後の2冊),タイが既刊であり,これらと読み比べて論評すると面白いだろう.戦後に出版された英語で日本の地質を紹介する書物には,The Geologic Development of Japanese Islands(築地書館1965),Geology and Mineral Resources of Japan(第3版, 地質調査所1977, 第1版1956, 第2版1960),Geology of Japan(テラパブ・Kluwer, 1991, 岩波講座地球科学15「日本の地質」(1980)の英訳),Geology of Japan(東大出版会, 1991, 旧版は1962)の4種類がある.なお,最近の日本列島地質構造発達史に関するコンパクトな総論としてはIsozaki et al. (2010)やWakita (2013)がある.今世紀に出版された日本地方地質誌とThe Geology of Japanはプレート論と付加体地質学に立脚するが,1980〜1990年頃の本は地向斜論からプレート論への過渡期の学界状況を反映している.プレート論確立前の1965年のThe Geologic Development…は地殻の水平運動を認めない地向斜論など独特な考えに基づいており,海外で評判になったが(市川ほか1970序文),「あたらしい事実は,ほとんどとり入れていない」などの声もあった(地学団体研究会1966, p. 31, 94).

実際に現場で,ある地域の地質を観察しようと思えば,地質ガイドブック(地学巡検案内書)の類が必要になる.一般向けの案内書として,コロナ社(旧名森重出版)の「○○県地学のガイド」シリーズと築地書館の「日曜の地学 ○○の自然をたずねて」(旧版は「地質をめぐって」)シリーズが出ている(表1).これらが未刊の北海道は,北大図書刊行会から「○○の自然を歩く」シリーズが出ており,京都,大阪,兵庫,奈良,高知,長崎,大分などでも地元の教育界や大学の有志が案内書を出版している.この他,化石,鉱物,火山,断層・褶曲等に特化した地域別ガイドや全国の見所をまとめたものもある(表1の後半).しかし,宮沢賢治の地元の岩手県,南方熊楠や「稲むらの火」の地元の和歌山県などは,意外にもやや手薄に感じる.どの都道府県でも,20年も経てば交通事情や露頭の状況が変化し,新発見や新学説も出てくるので,定期的な書き換えが必要であろう.地元の関係者のご尽力を期待したい.これらは普及的・実用的な地方地質誌と言うべきもので,その利用価値は重厚な地質誌に勝るとも劣らない.現場に即した詳細な案内は地質研究者にも有用である.

一方,地質図幅とその説明書は,地方地質誌の基礎データであるとともに,それ自身がその図幅範囲の地質誌でもある.地質図は国土基本図の1つであり,その整備は文明国として必須であるが,日本では20万分の1地質図が全国をカバーしていて,ウェブでも閲覧できるものの,5万分の1地質図の整備は遅れていて,全国1248図幅のうち648図幅(52%)程度しかカバーしていない.担当機関の皆様には図幅調査の一層の推進をお願いしたい.調査方法の現代化(客観化・数値化)も急務だと思う.各県の地質図にも詳しい説明書付きのものがあり(青森,群馬,新潟,富山,石川,福井,静岡,滋賀,香川,愛媛,鹿児島など),岐阜県地質図とその解説はウェブサイト「ジオランドぎふ」で閲覧できる.

日本地質学会創立125周年を目前に控え,本学会による「県の石」(岩石,鉱物,化石)の選定が進行中であり,国内のジオパークの飛躍的な発展,東日本大震災で返上した地学オリンピックの日本開催が実現しつつある.ここに本学会編の日本地方地質誌の完結とThe Geology of Japanの出版が加われば,現在の日本地質学の実力を国の内外に示すことになろう.これらの執筆・編集・出版に努力された方々に敬意を表する.これらによって地質学が広く国民に普及され,日本地質学のすばらしさが世界で認識され,日本地質学及び地質関連産業の更なる振興につながることを心から願う.国内全ての自治体や高校・大学の図書館が地方地質誌や巡検案内書を置くようになればよいと思う.拙稿に改善意見を寄せられた池田保夫・棚瀬充史・辻森 樹会員に感謝する.
 

引用文献

荒井由美, 1986, 日本近代地誌学の発展からみた地誌学の特性に関する一考察(短報).お茶の水地理, http://hdl.handle.net/10083/11688
地学団体研究会, 1966, 科学運動. 築地書館.
市川浩一郎・藤田至則・島津光夫編, 1970, 日本列島地質構造発達史. 築地書館.
Isozaki, Y., Aoki, K., Nakama, T. and Yanai, S., 2010, New insight into a subduction-related orogen: A reappraisal of the geotectonic framework and evolution of the Japanese Islands. Gondwana Research, 18, 82-105.
小林貞一, 1981, 関東の地質誌改訂版と日本地方地質の沿革.地学雑, 90(4), 278-282.
長島雄毅, 2008, 『皇国地誌』を通してみた明治前期の京都と周辺地域の結合関係.立命館地理学, 20, 43-56.
立岩 巌, 1976, 朝鮮―日本列島地帯地質構造論考−朝鮮地質調査研究史.東京大学出版会.654p.
Wakita, K., 2013, Geology and tectonics of Japanese islands: A review: The key to understanding the geology of Asia. Journal of Asian Earth Science, 72, 75-87.           
 

 

表1.全国各県地学巡検案内書一覧(著者名省略,コロナ・築地の出版社名は適宜省略)
 

北海道 北海道大学図書刊行会「○○の自然を歩く」シリーズ:札幌(道央)(第3版)2011,道南2002,道北1995,2000,空知1986,1997,十勝2000,道東1999
青森の自然をたずねて2003(旧版 太平洋側・日本海側をめぐって各1975)
岩手県内化石めぐり(岩手県博)1987
秋田県地学のガイド(男鹿半島をめぐって)1986,1994
宮城の自然をたずねて1991,宮城県の地質案内(県地学部会,宝文堂)1975
山形の地質をめぐって1984,山形県地学のガイド2010
福島県地学のガイド1984,福島の大地の生い立ち(歴史春秋社)2004
茨城県地学のガイド1977,1982,茨城の自然をたずねて1994
栃木の自然をたずねて1997(旧版1979)
群馬の自然をたずねて1998(旧版1978,1984),群馬のおいたちをたずねて(上・下,上毛新聞1977)
千葉県地学のガイド1974,1987,2000,続1982,千葉の自然をたずねて1992,房総半島の地学散歩第1巻2008,第2巻2009
埼玉の自然をたずねて1987,2012(旧版1968),埼玉県地学のガイド2000
東京の自然をたずねて1989,1998(旧版1977),東京都地学のガイド1980,1997,東京の自然史(講談社)2011,化石採集の旅 関東(築地1964),
神奈川県地学のガイド1971,新版2003,神奈川の自然をたずねて1992,2003,自然見学ガイド神奈川県の自然(野村出版1973)
山梨の自然をめぐって1984,山梨県地学のガイド1987
新潟県地学のガイド(上1990・下1995),新潟地学ハイキング(地団研高田支部)1978
長野県地学のガイド1979,2001 信州の地質めぐり(地団研松本支部)1995,長野県地学図鑑(信州地学教育研,信濃毎日新聞社)1980
富山 北陸の自然をたずねて2001(旧版1979),大地の記憶 富山の自然史(桂書房)2000, 富山のジオロジー 富山の大地の成り立ちを探る(シー・エー・ピー)1997
石川 北陸の自然をたずねて2001,石川の地形・地質案内(東京法令出版)1985
福井 北陸の自然をたずねて2001,福井県の自然(県教育研)1976,ふくい地質景観百選(福井市自然史博)2009
静岡の自然をたずねて2005(旧版1981),えんそくの地学(県地学会,黒船出版)1983, 東海自然歩道の地学案内(県地学会, 黒船印刷)1976,静岡県地学のガイド1992,2010
愛知県地学のガイド1978,2000,東海の自然をたずねて1997
岐阜の地質をめぐって1980,東海の自然をたずねて1997
三重県地学のガイド1979,東海の自然をたずねて1997
滋賀県地学のガイド1980,改訂版(上・下)2002
京都 新京都五億年の旅(地団研京都支部,法律文化社)1990(旧版1976),京都地学ガイ
 ド1978(同社)
大阪 自然史ハイキング(地団研大阪支部)1987,大地のおいたち1999,関西地学の旅(ドライブ関西1995,街道と活断層を行く2001,化石探し2010,街道散歩2013,大阪地域地学研究会,東方出版)
兵庫 ひょうごの地形・地質・自然景観(神戸新聞)1998,大地のおいたち1999
奈良 地学ガイド奈良(地団研京都支部奈良班)1987,大地のおいたち1999
和歌山 大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類(地団研大阪支部, 築地)1999
鳥取の自然をたずねて1997,山陰地学ハイキング(築地)1976
島根の自然をたずねて1998,山陰地学ハイキング(築地)1976
岡山県地学のガイド1980,2013,原色図鑑 岡山の地学(山陽新聞)1982
広島の地質をめぐって1979,増補版1990,広島県地学のガイド1979,2000
山口県地学のガイド1984,山口県の岩石図鑑(山口地学会, 第一学習社)1991
香川県地学のガイド1979
徳島県地学のガイド2001
愛媛の自然をたずねて1988,1997,愛媛県地学のガイド1987
高知 最新・高知の地質 大地が動く物語(南の風社)2012
福岡県地学のガイド2004
佐賀の自然をたずねて1995
長崎県の地学(県地学会)1971
大分県地学の散歩(県地学部会)1983
熊本の自然をたずねて2009,人類以前の熊本 郷土の地質(熊本日日新聞)1964
宮崎県地学のガイド1979,宮崎県の地質フィールドガイド(宮崎地質研究会,コロナ)2013
鹿児島県地学のガイド(上・下)1991
沖縄の島じまをめぐって(沖縄地学会,築地)1982,沖縄の自然 その生いたちを訪ねて(平凡社)1975
全国 日本列島地学散歩,北海道・東北・北関東編1977,南関東・中部編1977,近畿・中国編1978,九州・四国編1977(平凡社カラー新書),日本列島石の旅 東日本編1979, 中部日本編1981(玉川選書,読み物として優れる),日本列島ロマンの旅 景勝・奇岩地学探訪(東洋館1998),日本列島ジオサイト地質百選(オーム社2007),日本列島―地学の旅(和英両語,愛智出版2008),新版日本列島の20億年景観50選(岩波 2009),日本の地形・地質(文一総合出版2012,本学会推薦,同題の応用地質系の本もある:鹿島出版会2001)
火山 フィールドガイド日本の火山(築地,北海道1998,東北1999,関東・甲信越I・II 1998,中部・近畿・中国2000,九州1999),日本の火山図鑑(誠文堂新光社2015)
断層・褶曲等 日本の地質構造100選(本学会構造地質部会編,朝倉2012)
鉱物採集の旅(築地, 1972〜1982頃,北海道1, 2,東北1, 2,関東周辺,信越,近畿1, 2,四国・瀬戸内,九州),日本の岩石と鉱物(和英両語,地質調査所編,東海大出版会1992)
化石 日本の化石(小学館1983),日本全国化石採集の旅(築地1994,続編1996,完結編1998)