福井県大島半島北部、台場浜の蛇紋岩について

石渡 明(東北大学東北アジア研究センター)


  私は関西電力大飯原子力発電所が完成する前の1973-74年に、横浜国立大学の卒業論文研究のために、同発電所敷地内を含む大島半島とその周辺地域の地質調査を行った(図1)。2012年秋から始まった原子力規制委員会の有識者会合による大飯原子力発電所敷地内の破砕帯調査の過程で、原子炉の裏山の北に位置する台場浜西部のトレンチ調査で出現した断層について、有識者会合の委員の間でこの地層のずれを活断層の運動によるとする見解と地すべりによるとする見解が出て、衆人環視の中で激しい議論が行われたことは記憶に新しい(「原子力規制委員会 有識者会合 大飯」でウェブ検索すれば、そのビデオと議事録が見られる。2012年11月4日の会合)。そこでは、トレンチ法面の段丘堆積物の下に露出した基盤岩が蛇紋岩だったので、「蛇紋岩は軟弱で滑動しやすい」という一般論が地すべり説の一つの補強材料になっていた。私自身はそのトレンチを観察したことがなく、隔靴掻痒の感があるが、40年前の学生時代の地表観察結果に基づき、この蛇紋岩の地質学的性格と意義についての知見を述べて有識者と地質学会会員諸氏の参考に供したい。なお、大島半島とその周辺の地質の概略については、既公表の拙著解説文を参照されたい(石渡2001, 2006, 2012, 石渡・中江2001)。

図1.大島半島北部の概略的な地質ルートマップ。1973-74年の石渡の調査に基づく。図2の位置を□で示す。①〜④は大飯原子力発電所の1号炉〜4号炉の大体の位置を示す。3・4号炉西側の破砕帯については原子力規制委員会(2012a)を参照。なお、「輝緑岩」はJISにない古い用語であり、現在は「粗粒玄武岩」、「結晶質玄武岩」などと言い換えられているが、ここではもとの調査資料に従い輝緑岩とする。


  台場浜の超苦鉄質岩は広川・黒田(1957)が「コートランダイト」と呼び、Ishiwatari (1985) が「貫入かんらん岩(intrusive peridotite)」と呼んだもので、自形かんらん石が単斜輝石、斜方輝石、角閃石に包有されるポイキリティック組織を示し、スピネルや金雲母を含む。各鉱物の分析値を表1に示す。同じ岩石は大飯原発南方の宮留の北にも分布し(図1)、Ishiwatari (1985)には標本番号210としてその鉱物分析値が掲載されている。この岩石は、宮留においても台場浜においても斑れい岩を伴い、斜長石の増加によって斑れい岩に移り変わる。台場浜では、この超苦鉄質岩・斑れい岩複合岩体は幅約100 mの北東—南西方向の岩脈状に黒色頁岩・玄武岩・輝緑岩などを貫いて分布しており、その内部では大きく見て南東部に超苦鉄質岩、北西部に斑れい岩が分布し、両者はN70゚E, 45゚Nの断層で接する(図1)。南東部の超苦鉄質岩は浜沿いに33 mにわたって露出し、その中央部は比較的新鮮で火成鉱物がよく残存するが、斑れい岩から1 mと黒色頁岩から8 mの両縁部は著しく破砕され蛇紋岩化している。斑れい岩にはN50゚E, 40゚N方向の層状構造が発達し、閃緑岩〜巨晶閃緑岩質の層も見られる。そして、北西側の頁岩との境界付近には再び厚さ3 m以下の超苦鉄質岩が見られ、超苦鉄質岩中にも斑れい岩中のものと平行な層状構造が存在する(図2)。両者の境界は、ここでは漸移的である。この北西側の超苦鉄質岩と頁岩との境界は非常に入り組んでおり、超苦鉄質岩が頁岩中に枝状に入り込んでいて、境界から数m以内の黒色頁岩は白色のホルンフェルス(接触変成岩)に変化している(図2)。これらの証拠は、超苦鉄質岩・斑れい岩複合岩体がマグマとして頁岩中に貫入したことを示している。
 

表1.台場浜の貫入かんらん岩の鉱物分析値(標本番号551a, 地点番号734)。石渡の博士論文(1981, 英文,東京大学大学院理学系研究科)より。スピネルは変質していて分析できなかった。宮留北方の同種の岩石の分析値はIshiwatari (1985)に標本番号210として掲載されているが、どの珪酸塩鉱物も551aとよく類似した化学組成である。※拡大は表をクリック


  この複合岩体の南東側の境界は台場浜トレンチやその周辺のボーリング調査によって追跡され、南東側に凸な湾曲した曲線をなして西側の海岸へ抜けるらしく、上述の海岸沿いの観察結果と同様に、境界沿いには破砕帯が発達していて蛇紋岩化が著しいようである(原子力規制委員会2012b; 前半p. 37までが台場浜関連, p. 23-24に蛇紋岩の分布推定図がある)。台場浜トレンチで下末吉相当の段丘堆積物を切る断層(N2゚W, 46゚N)は輝緑岩との境界から5 mほどの蛇紋岩中に続いている。南東側の頁岩(及び玄武岩・輝緑岩)側には接触変成帯が欠如しており、もともとの貫入境界や接触変成帯を含む幅数m以上の境界部が、現在の地表露頭やトレンチ断面では断層運動によって失われていることを示唆する。これが地すべりや活断層の運動によって失われたとすると、かなりの距離(10 m以上)のずれを考える必要があるが、古い時代の断層運動によって既に失われていた可能性が大きい。いずれにしても、台場浜の超苦鉄質岩・斑れい岩複合岩体の北西側と南東側の境界の状況が、どちらも境界に超苦鉄質岩があるにもかかわらず、北西側では火成貫入境界、火成層状構造、接触変成帯がよく保存されているのに対して、南東側は超苦鉄質岩が著しく蛇紋岩化し、蛇紋岩自体や周囲の岩石との境界が著しく破砕され、周囲の岩石には接触変成帯が欠如するというように、超苦鉄質岩・斑れい岩複合岩体の両側で状況が対照的に異なることがおわかりいただけたと思う。

図2.台場浜西部の露頭スケッチ。超苦鉄質岩・斑れい岩複合貫入岩体の北西側の黒色頁岩との接触部の状態を示す。超苦鉄質岩が枝状に頁岩中に入り込んでおり、境界に沿って接触変成岩(白色ホルンフェルス)が形成されていて、岩体内部にはマグマ固結時に形成された層状構造がよく保存されており、それらの特徴が欠如する南東側の境界とは著しく異なる。


  超苦鉄質岩だからどれも蛇紋岩化している、超苦鉄質岩は常に軟弱な岩石だ、というわけではなく、蛇紋岩化され破砕されるにはそれなりの理由がある。地球上には、北海道の幌満かんらん岩体のように蛇紋岩化が非常に軽微で、マントル岩石がそのまま地表に露出している超苦鉄質岩体もある(解説と文献は高橋・石渡(2012)を参照)。一方、大島半島南部の大島超苦鉄質岩体では、岩体の南縁を限る衝上断層に沿って幅100 m程度にわたってかんらん岩が著しく蛇紋岩化し、岩体中央部を東西に貫く断層及び岩体北縁の断層に沿ってもかなり蛇紋岩化しているが、それ以外の部分ではかんらん岩の鉱物がよく残存している(石渡, 2006、石渡・中江2001、Ishiwatari 1985)。大飯原子力発電所から1 kmほど南東の待ちの山超苦鉄質岩体では、岩体全体が礫岩状に破砕され、特に南東縁の衝上断層沿いにこれと平行な破砕帯が発達していて蛇紋岩化が著しいが(小森・道林2011)、礫状部の中心ではもとのかんらん岩がよく残存している。台場浜の超苦鉄質岩も、一部にかんらん石などの火成鉱物が残存している。このような状況から考えると、台場浜西部の超苦鉄質岩・斑れい岩複合岩体の南東側の境界は、活断層や地すべりなどの新しい動きが生じる以前から(おそらく夜久野オフィオライトが付加体に衝上した時期の)断層境界であり、そのために蛇紋岩化が著しく、破砕帯が発達していたものと考えられる。このことは、問題の地層のずれが地すべりか活断層かということと直接の関係はないが、ずれている「蛇紋岩」がどういう起源の岩石であるかは関係者に知らせておくべきだと思い、ここに一文を草した次第である。


  ところで、この文章はもっと早く執筆すべきであったが、私の研究室が入っている建物の震災復旧工事のために、研究資料を1年間以上遠隔地の倉庫に入れたままにして避難生活をしていたため、過去の資料を参照しての準備ができなかった。最近ようやく工事が完了し、研究室が元の状態に復旧したので、ようやく自分の調査資料を参照できるようになった。その点、ご寛恕いただきたい。

 

【文献】

原子力規制委員会 (2012a) 大飯発電所敷地内破砕帯の調査に関する有識者会合 事前会合における配付資料「参考資料東北大学教授 石渡明様からの提供資料」について.2012年11月4日第1回評価会合, 参考資料1.https://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/ooi_hasaitai/data/0002_02.pdf

原子力規制委員会 (2012b) 大飯発電所敷地内F−6破砕帯の追加調査−有識者会合(11/2,11/4)を踏まえた報告(関西電力(株)).2012年11月7日配布資料 大飯・現調3-1. https://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/ooi_hasaitai/data/0003_01.pdf

広川 治・黒田和男 (1957) 5万分の1地質図幅「鋸崎」及び説明書.地質調査所.

Ishiwatari, A. (1985) Granulite-facies metacumulates of the Yakuno ophiolite, Japan: Evidence for unusually thick oceanic crust. Journal of Petrology, 26, 1-30.

石渡 明 (2001) 大飯−大島半島の夜久野オフィオライト.北陸の自然をたずねて.同書編集委員会編.p. 10-15. 築地書館.

石渡 明 (2006) 舞鶴帯・超丹波帯:古生代後期の海洋底基盤岩とそれをおおう堆積物.日本地方地質誌中部地方.日本地質学会編.p. 184-193. 朝倉書店.

石渡 明(2012) 福井県西部地域の地質について.日本地質学会ホームページ http://www.geosociety.jp/faq/content0388.html

石渡 明・中江 訓 (2001) 福井県若狭地方の夜久野オフィオライトと丹波帯緑色岩.日本地質学会第108年学術大会(金沢)見学旅行案内書, p. 67-84.

小森直昭・道林克禎 (2011) 夜久野オフィオライト待ちの山超マフィック岩体南部断層境界に発達したブロックインマトリックス構造.静岡大学地球科学研究報告, 38, 21-26. http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/6209/1/38-0021.pdf

高橋正樹・石渡 明 (2012) 火成作用.日本地質学会フィールドジオロジー8.共立出版.

 

 

(2013.12.27)