糸魚川−静岡構造線新倉露頭の断層上盤側の崩落

狩野 謙一(静岡大学理学部)

はじめに

日本を代表する逆断層露頭として有名な糸魚川−静岡構造線 (以下,糸静線)の新倉(あらくら)露頭(別称:新倉断層)の断層上盤側 が,2011年9月の台風に伴う豪雨によって崩落し,露頭状況が一変した.この露頭の2011年12月末時点での状況について報告する.図1は崩落以前,図2は崩落後の状況である.いずれも露頭の全容が把握しやすい落葉後の写真を採用した.

ジオサイトとしての新倉露頭

新倉露頭は,山梨県南巨摩郡早川町新倉北方,早川とその支流の内河内川との合流点から上流約100m,時計回りに蛇行する内河内川の左岸側,すなわち攻撃斜面側の谷壁に位置している(位置については,下記の文献等を参照).この露頭はその規模の大きさと露出の良好さなどから,日本を代表する逆断層露頭として古くから知られ,論文,中学校・高等学校の教科書,参考書, 地学案内書などに様々な形で紹介されてきた.ここは,大型バス数台が駐車可能な場所から,林道沿いに徒歩約2分というアクセスの良好な場所でもある.

この露頭を誰が何時頃に最初に紹介したのかは不明である.鮮明な写真を伴った論文としては小山(1984)がある.山下(1995)は,この露頭を「断層の露頭としては日本一と言ってよい」と評価している.最近では,日本地質学会の巡検(天野 ほか,2003),日本地方地質誌「中部地方」(狩野・河本,2006),「日本列島ジオサイト地質百選」(社団法人全国地質調査業協会 連合会/特定非営利活動法人地質情報整備・活用機構・共編, 2007),「日本の地質構造100(」狩野,2012)などで紹介されている.2010年秋には,早川町を紹介するNHKのTV全国放送でこ の露頭も取り上げられた.また,様々なレベルの地質巡検の適 地(ジオサイト)として活用され,早川流域を訪れる一般の 方々の観光スポットにもなってきた.「新倉露頭」をキーワー ドとしてインターネット検索をすれば,多数の情報がヒットす る(Yahoo,Googleともに2000件以上).

このような点から,この露頭は2001年8月に国指定の天然記念物として保護されることになった.この指定以前から,露頭についての案内看板などが設置されていた.崩落直前の2011年8月には,この露頭を含めた早川沿いに露出する糸静線についての案内看板(南アルプス東部,早川沿いの糸魚川−静岡構造線観察ガイド)が駐車場に新設され,案内パンフレット(日本列島の裂け目(糸魚川−静岡構造線):フォッサマグナを訪ねて)も作成された(いずれも早川町教育委員会,監修・狩野). 私が最初にこの露頭を見学したのは1970年代である.80年代にはほぼ毎年,90年以降の約20年間は学生巡検の案内を含めて 年数回以上は訪れている.露頭南部(図1手前側)の斜面下部 が崩落砂礫や落ち葉でおおわれたり,倒木が観察の邪魔になったりと,露頭状況は訪れるたびに異なっていた.しかしながら,少なくとも最近30年以上にわたって,この露頭の状況に大きな 変化はなかった.ちなみに狩野・河本(2006)の例(2004年撮影)では,ほとんど被覆物がなく露頭下部に新鮮な破砕帯が好露出していた.今回の断層上盤側の崩落により,30年あるいはそれ以上にわたって保持されてきた露頭状況が大改変された.

 

図1 上盤側が崩落する以前の糸魚川−静岡構造線新倉露頭(1999年初春撮影).人物2名が立つ斜面が断層面下盤側.左側人物の足部左側の凹みに断層破砕帯が好露出. 図2 崩落後の新倉露頭(2011年12月29日撮影)

新倉露頭での糸魚川−静岡構造線

以下では,主として小山(1984)と狩野・河本(2006)に基づいて新倉露頭における糸静線の概況を述べる.

ここでの糸静線は,N20°Wの走向で約45°西傾斜した平滑な断層面を有している.断層の上盤側は四万十帯の古第三系瀬戸川層群のスレート(粘板岩)から,下盤側は南部フォッサマグナに属する中部中新統巨摩層群櫛形山亜層群の安山岩質火山砕屑岩(凝灰岩ないしは凝灰角礫岩)からなる.崩落前には,露頭の北部の高さ20m以上の南向き斜面に,粘板岩と火山砕屑岩とが接している断層露頭が観察できた(写真1). 断層面に接するスレートは数10cmの幅で固結,一部半固結状態のカタクレーサイトからなる破砕帯を持ち,断層面近傍では細粒に破砕され,断層面から離れるにつれて破砕の程度が弱くなり,母岩のスレートに漸移する.母岩中のスレート劈開の走向はほぼ南北で,西に60〜80度傾斜する.下盤側の火山砕屑岩はほとんど破砕されていない.露出する断層面より南側(図1の手前側)では,火山砕屑岩が作る南北幅約10mは断層面とほぼ平行で平滑な斜面に連続する.すなわち,この平滑な斜面は,破砕された上盤側がとりはずされた断層面そのものである.

崩落の概要

私は糸静線を調査中の千葉大学大学院の風戸良仁氏とともに,2011年8月29日に早川町教育委員会主催の糸静線巡検の案内時に,以前と変わらぬ露頭状況を確認している.崩落を知ったのは10月20日の風戸氏からのメールであった.正確な日時は特定できないが,崩落は9月4日の12号台風または同22日の15号台風,あるいはその両者に伴う豪雨が誘因であったことに疑いはない.実際,両台風ともに早川町内に土砂災害をもたらし,その規模は30年ぶりということであった.12月末での露頭状況(図2)は,10月中旬に撮影された状況と大きな変化はない.図3は図2にもとづく露頭のスケッチで,崩落の解釈を加えた情報を含んでいる.図4は崩落主部の拡大写真である.図1を 含む崩落以前の撮影時期の異なる数枚の写真と,図2,4を含む崩落後の写真とを比較しながら,以下に崩落の概要を記す.崩落は大別すると南北2つの部分にわかれる.一つは露頭南部(手前側)での崩落砂礫による断層下盤側を構成していた平滑斜面の埋積である.斜面上部にあった上盤側の風化したスレートが分離・崩壊しながら,砂礫として落下し,斜面下部の大部分を覆ったものである.崖錘状に堆積した崩壊砂礫の厚さは斜面底部で最大1m程度,南北幅は10m前後と見積もられる.この露頭ではこのタイプの崩落による斜面下部の埋積は,過去にも度々認められたが,これほどの規模の崩落を見た覚えはない.

もう一つは,露頭北部(後方側)で生じた上盤側岩塊の斜面下部すなわち西方への滑落である.ここはもともと断層上盤側 の破砕帯を底部に持つスレートが露出していた場所で,露頭上部のスレートは風化していた.滑落岩塊の厚さは最大5〜6m程度,斜面に沿って残存する長さは約8〜10m,斜面にそう移動距離は10〜12m程度と見積もられる.滑り面は,露頭手前側では地表に露出していた断層破砕帯を利用し,奥に向かってスレートを斜めに切りながら,数m北側(後方側)で地表に到達したものと推定される.図4上部の灰色部分は滑落崖の上部と推定され,滑落崖下部および滑り面の大部分は崩落砂礫によっ て被覆されている.この滑落にともない,岩塊中のスレートは破壊されたが,完全に分離はせず,斜面にそっての長径数10cmの劈開面を破断面とする板状岩片の集合体からなる部分を作っている(図4).もともと断層面よりも高角に傾斜していたスレート劈開は,断層面と平行になるように回転し,劈開と直交する開口した破断面を軸面とする緩く開いた折れ曲がり状の褶曲を呈している.

滑落岩塊上部の露頭状況,滑落岩塊および滑落崖の規模と形態から判断して,図3中の矢印付き曲線で示すように,滑落は 岩塊が手前側斜め下にせり出すようにしてはじまった,そして,下方からの支持を失った後に,岩塊は斜面に沿って下方に滑落したものと推定される.

 

図3 図2にもとづく崩落の概要を示すスケッチ.四角枠内は図4の位置,矢印付き曲線は滑落岩塊の推定移動方向. 図4 滑落岩塊の拡大写真(2011年12月29日撮影).位置は図3参照

おわりに

早川流域を含む赤石山地(南アルプス)は,年間数mmの日 本有数の隆起度をもち,年間降雨量は3000mm前後に達している.急激に隆起する山地は豊富な降雨の影響を受けて急に浸食・崩壊し,生産された大量の砂礫は急流河川によって平野側 に運搬されていく(たとえば,南アルプス世界自然遺産登録推進協議会・総合学術検討委員会・編,2010).

今回の崩落は,山地全体に分布する崩壊地の規模と比較するとごく小規模なものではあるが,重要なジオサイトに大きな影響をもたらした.現在の新倉露頭の断層面の大部分を覆うのは 崩落物質であって,崩落以前のように本来の糸静線の断層面を観察するのは難しい.この状況を自然に回復させるためには,露頭を覆っている崩壊砂礫・滑落岩塊が豪雨によって洗い流される必要がある.崩落以前に露出していた断層面に規制された南側の断層下盤側平滑斜面は,このような数10年以上の間隔で起こるかもしれない今回と同様な断層上盤側の崩落によって露出したものと考えられる.今回の崩落は,平滑斜面を作ったのと同様な自然のサイクルの一環として発生したものであろうが,重要なジオサイトの保全についての困難さを感じさせる一例となった.

 

【文献】

天野一男・Martin, A.・依田直樹, 2003, 南部フォッサマグナにおける衝突地塊. 日本地質学会第110年学術大会, 見学旅行案内書, 95-106.

狩野謙一, 2012, 早川流域の糸魚川−静岡構造線露頭. 高木秀雄ほか・編, 日本の地質構造100. 朝倉書店, 印刷中.

狩野謙一・河本和朗, 2006, 19. 9 : 糸魚川−静岡構造線新倉露頭:西南日本と南部フォッサマグナの境界断層の代表露頭. 新妻信明・ほか(編), 2006 : 日本地方地質誌4「中部地方」, 朝倉書店, 444-445.

小山 彰, 1984, 山梨県早川沿いの糸魚川−静岡構造線―特に断層帯の形成について. 地質学雑誌, 90, 1-16.

南アルプス世界自然遺産登録推進協議会・総合学術検討委員会(編), 2010, 南アルプス学術総論. 南アルプス世界自然遺産登録推進協議会, 134p. (http://www.minamialps-wh.jp/pdf/library/015.pdf)

社団法人全国地質調査業協会連合会/特定非営利活動法人地質情報整備・活用機構・共編, 2007, 日本列島ジオサイト地質百選. オーム社, 200p.

山下 昇・編著, 1995, フォッサマグナ. 東海大学出版会, 311p.

(2012.1.20)