中国と日本のジオパーク

石渡 明(東北大学東北アジア研究センター)

 

図1.2011年現在の中国と日本のジオパークの分布

国際地質科学連合(IUGS)の機関誌Episodesの最新号に中国のジオパークについての記事が出た(Yang et al. 2011).これは非常に内容の濃い,示唆に富む優れたまとめであり,表と写真を交互に参照しながら読みふけってしまった.中国と日本のジオパークを比べて,感じたこと,気がついたことを述べてみたい.

まずジオパークの歴史を簡単に振り返る.1996年に北京で開催された万国地質学会議IGCでジオパークについて初めて国際的に議論され,翌1997年にユネスコ・ジオパーク計画が提唱された.当時のユネスコ地球科学部長のWolfgang Eder氏はジオパークの父と呼ばれる(佃, 2007).2000年頃に欧州と中国のジオパーク・ネットワークが成立し,ジオパークの設置と運用が始まった.2004年に第1回国際ユネスコ・ジオーパーク会議が中国で開催され,欧州と中国を立ち上げメンバーとして世界ジオパーク・ネットワークが成立した(加藤ほか編, 2010).日本では,2004年に故大矢 暁氏,岩松 暉氏,波田重熙氏らによってジオパーク設立活動が始まり,2007年に日本地質学会ジオパーク委員会が設立され,産業技術総合研究所を中心に設立運動が高まった.そして2009年に日本最初の3つの世界ジオパーク(洞爺湖有珠山,糸魚川,島原半島)が認定された.その後2011年末の現時点でジオパークの数は20となり(図1),そのうち5つ(山陰海岸と室戸が追加)が世界ジオパークである.

中国には現在139ヶ所の国立ジオパーク(地質公園)があり(Yang et al. 2011),そのうち138ヶ所は2007年までに設置された(Zhao and Zhao, 2007; この報告の表1にある44ヶ所のジオパークは,名前が違う場合もあるが,全てYang et al.に載っている).うち22ヶ所が世界ジオパークである(加藤ほか編, 2010; Zhao and Zhaoによると2007年時点では18ヶ所だった).その分布を見ると,中国東部と南部に集中していて,東北,内モンゴル,西部には少ないが,全国どの省にも最低1つは存在する(図1).それらをメインテーマ別に見ると,地形に関するジオパークが105ヶ所(76%)と圧倒的に多く,その内訳は石灰岩侵食地形(カルスト)28,砕屑岩侵食地形(丹霞Danxia地形など)23, 火山地形16,花崗岩風化侵食地形11,河川・湖水地形11, 氷河地形8, 黄土・風成地形4,海食地形4となっている.地質をメインテーマとするジオパークは34ヶ所で, 動植物化石17(うち恐竜6, 人類1),地層の模式地8, 地質構造5, 地すべりなど地質災害3,鉱物1となっている.つまり,中国のジオパークの大部分は石灰岩・砂岩・花崗岩などの侵食地形を主要なテーマとしており,これはZhao and Zhao (2007)の冒頭に述べられている「ジオパークとは特有の地形をもつ自然区域のことである」という中国独特の定義と符合する.特に広東省北部の丹霞Danxia山を模式地とする丹霞地形は,よく成層した水平ないし緩傾斜の赤色砂岩・礫岩層(主に白亜系)が鉛直方向の節理に沿って侵食され,急崖あるいは高い塔が並んだような地形になっているもので,12ヶ所のジオパークが丹霞地形をメインテーマにしている(そのうち世界ジオパークは丹霞山,江西省竜虎山,福建省泰寧の3カ所).同じような砂岩・礫岩の侵食地形には,例えばギリシャのメテオラの修道院群,日本の熊本県山鹿市の不動岩などがあるが,中国のものはこれらより大規模で分布も広い.また,石灰岩の侵食地形(カルスト,ドリーネ,鍾乳洞など)をテーマにしているジオパークには,雲南省の石林Shilinなど有名な観光地が多いが,世界に名高い広西壮族自治区の桂林Guilinはなぜかジオパークに名を連ねていない.Zhao and Zhao (2007) には,太行山脈南麓,河南省焦作市の北(山西省との境界)に位置する雲台山ジオパーク(面積556 km2)の成功例が特記されている.これは日本の長瀞や大歩危に似た渓谷美と竹林の七賢が隠棲した寺院群などをテーマにしており,2004年末時点で観光業界での雇用は3万人,間接雇用は22万人,観光客は805万人に達し,1999年(ジオパーク設立前)に比べて雇用者は8〜12倍,観光客は17倍になったそうである.ジオパーク事業は,中国の観光産業を活性化するだけでなく,地質学のステータスを向上させ,地質関係者に多くの就職先を提供しているに違いない.ただし,雲台山ジオパークは土地を囲い込んで入場料を徴収する方式であり,行くだけなら無料(ジオツアーに参加料を支払う)という日本の方式とは異なる.

一方,日本ジオパーク・ネットワークのホームページ(http://www.geopark.jp/)による日本のジオパーク20ヶ所の分布は,北海道3,本州12(離島含む),四国1,九州4となっている(図1).「かんらん岩」や「黒曜石」のように目玉となる岩石を前面に打ち出しているところや,「水の旅」というテーマで山地から海岸までのジオサイトを有機的に組織化しているところもあるが,テーマや目玉があまりはっきりしないジオパークもある.日本のジオパークでは,エコとジオそして人とのつながり,さらにジオダイバーシティー(地質多様性geodiversity)が重視されており,それはすばらしいことであるが,反面でテーマや目玉をわかりにくくしている.一般人や外国人がもっととっつきやすいように,キーワードをはっきりさせ,テーマやストーリーをもっと明確に示した方がよいと思う.私の主観的な印象では,日本のジオパークが目玉としている地質学的対象は火山,岩石・鉱物,変動地形などが多く,地質構造,化石,水理地質などもあるが,上述のように内陸の侵食地形を目玉にしているものが多い中国のジオパークとは,全体として内容がずいぶん異なる.外国に学び,日本のジオパークの独自性をはっきり意識して外国にアピールすることが必要だと思う.加藤ほか編(2010)は日本,中国,欧州などの主なジオパークを写真入りで解説し,ジオパークの歴史や国際・国内組織についても述べていて,この目的に有用な本であるが,地名などに間違いがあるので注意が必要である.また,私はオフィオライトの専門家であるが,「シェットランドのオフィオライトは世界で一番緻密でよく露出しており完璧な形で残っていて観察しやすい」(同書p. 156)という話は聞いたことがなく,「緻密なオフィオライト」とはどういうものかもよくわからない.ご当地自慢,手前味噌はある程度許容するとしても,ジオパークの現場の説明やパンフレットなどに,地質学者の目がよく行き届くようにすることが必要であろう.

岩松(2007)は,日本では地質学が市民権を得ておらず,市民権を得るためにジオパークは重要だとし,旭山動物園の成功例を挙げて,本当の地質のすばらしさを市民に実感させるジオパークができれば,地質学は市民にとって「どうでもいい」ものではなくなり,必要不可欠なものとなる,と言っている.そして,日本のジオパークが目指す独自の目標として,自然を人間と対置し,自然を征服しようとする西欧文明(砂漠文明)の人間中心主義とは異なる,「自然と折り合いをつけて暮らしてきた日本の祖先の知恵に学ぶ」ための,森林文明のジオパークにすべきだと述べている.彼のこの文章は,ジオパークの意義について,地学リテラシー向上などの表層レベルから文明論のレベルまで掘り下げて格調高く論じているだけでなく,地質学が置かれている現状を簡明的確に総括し,地質学に自己変革を迫る檄文であり,ジオパークをそのための重要な手段と位置づけている.東日本大震災と原発事故発生後の今日,この文章の重要性は一層増している.「『地球上に住む以上,地学は必要だ』などと密かに自負するだけではダメで,それは学問の消滅へとつながっていく」,「地質図も天気図くらいに身近なものになって欲しい.本当はカーナビにも入っているくらいに普及したいものだ」,「先年のインド洋大津波のとき,日本人が『津波だあ!』と叫んで率先して逃げていれば,どれだけ大きな国際貢献になっていたか計り知れない」,「教育における地学の比重低下の結果として,日本人の地学リテラシーは最低に近くなった.安心安全の国づくりが叫ばれている今,地学の復権と,地学の普及が喫緊の課題となってきた」などのフレーズは我々の心に突き刺さる.彼は「エコとジオの社会的認知度の違いには,それぞれの分野の努力の度合いが反映しているのである」と言っている.努力の差だけが原因ではないと思うが,ジオはもっと努力して社会的認知度を上げる必要があるのは確かだ.

今後の日本のジオパークの課題としては,各ジオパークのテーマとストーリーの明確化及びジオサイトの有機的な組織化と英文ガイドブック出版などによる国際的アピールが必要であろう.このようにして初めて,国外からのジオツーリストを多数呼び寄せることができ,今後のジオパーク事業の発展につなげることができると思う.上のホームページを見る限り,テーマやストーリーが前面に出ていないジオパークが多い.また,学界でまだ評価が定まっていない「隕石クレーター」などを目玉の一つにしているジオパークもあり,各テーマやジオサイトの学問的な吟味を行う必要がある.テーマやストーリーを明確化し,学問的な裏付けをしっかりさせることが,ジオパークを一流の観光地に引き上げ,国民の地学リテラシーを高めるとともに,地質学が生き残るための道である.実際,ジオパークを抱えるいくつかの自治体で,地学の学芸員が採用され始めている.この分野の学問と産業の大きな流れに沿って言うと,地質学は産業革命による石炭掘りの第一次産業から生まれ,資源需要の増大とともに発展したが,その後衰退し,20世紀後半からは土木・建設業などの第二次産業と組んで生きのびてきた.今後はジオパークなどの第三次産業に積極的にシフトすることによって命脈を保って行こう,ということだと思う.

拙稿を校閲して貴重なご意見をいただいた宮下純夫氏,高木秀雄氏,佃 栄吉氏,サイモン・ウォリス氏に感謝する.

 

【文献】

岩松 暉 (2007). 今なぜジオパークか.地質ニュース, 635, 8-14.

加藤碵一・渡部真人・吉川敏之・矢島道子・宮野素美子(世界のジオパーク編集委員会・日本ジオパーク・ネットワークJGN)編 (2010). 世界のジオパーク.オーム社, 193 p.

佃 栄吉 (2007). 日本にもたくさんのジオパークを! 地質ニュース, 635, 6-7.

Yang, G.F., Chen, Z.H., Tian, M.Z., Wu, F.D., Wray, R.A.L. and Ping, Y.M. (2011). On the growth of national geoparks in China: Distribution, interpretation, and regional comparison. Episodes, 34, 157-176.

Zhao, T. and Zhao, X. (2007). 中国におけるジオパークの整備と意義.地質ニュース, 635, 27-34.

(2011.12.16)