アメリカ合衆国ユタ・コロラド州境界、ダイノソー・ナショナル・モニュメントとユインタ山系の地質概略(紹介):前編

小川勇二郎(ユタ州プロヴォ、ブリガム・ヤング大学)

 

1.はじめに

図1.赤で示したルートが、ダイノソー・ダイアモンドたる周遊コース。差し渡し約150 マイル。全部を経めぐると、500マイルになろうというものだ。恐竜マークが、露頭を見学できる産地。(なお、人が手足をあげているマークは、アメリカ先住民の壁画などの遺跡)。場所によっては、化石を掘らせてもくれるところもある。このような見学個所は、茶色のボードで沿道に示してあるので、分かりやすい。起点となるユタ州のソルトレイクシティーからは、このコースの入口たるデュシェーン(と読むそうだ)へは、自動車で約3時間。そこから公園の入り口、バーナルまで、ローズベルト(と読むそうだ)を経て2時間。バーナルから、今回主として紹介する恐竜化石の壁(ダイノソー・ウォール)のジェンセンへは、約30分。また、コロラド州側のダイノソー(と呼ばれる町;現在はゴーストタウン然としている)のビジターセンターへは、1時間。なお、このダイノソ−から公園内へのルートは、シニックではあるが、恐竜化石は出ない(ので、間違えないようにと、入口に書いてある)。

ダイノソー・ダイアモンドという名称をご存じだろうか?まだあまり人口に膾炙していないかもしれないが、ユタ州とアリゾナ州にまたがる国立公園めぐりのメッカ、グランド・サークルの向こうを張った、ユタ州とコロラド州の一部を主とする、ダイノソーめぐりの新しい観光ルートのキャンペーンなのである(図1)。以下に、その北東部の、ダイノソー・ナショナル・モニュメント(Dinosaur National Monument)とユインタ山系(Uinta Mountains)の地質を中心として、若干の観察を交えて、見学の概略を紹介したい。(なお、今回、コースの大略を紹介するが、徐々にメートル法も使用されて来つつあるものの、アメリカの道路は依然としてすべてマイル表示なので、距離はあえてマイルで記した。1マイル約1.6 kmである。また、公式には使用を禁じられている第三紀なる用語も使用してある。)

この図の最北部、バーナルは、ダイノソー・ナショナル・モニュメント(アメリカで受賞経験もあるという恰好のガイドブック「地球の歩き方」シリーズ中の「アメリカの国立公園」では、ナショナル・モニュメントを国定公園と訳している。本稿では国立記念物とした。)の前線基地であり、その先のネイプルズと合わせてモーテルが20軒ほどあり、宿泊に便利である。ここには、とてもよい自然史博物館(Utah Field House of Natural History State Park Museum;但し日曜日休館)があって、恐竜を中心として、自然や文化、歴史などを色々と学べるようになっている。白眉は、建物の周辺に置かれた、さまざまな恐竜の極彩色の実物大模型である(図2)。また、周辺には、化石発見トラッキングルートなども用意されている(www.stateparks.utah.gov)。

図2.バーナルの自然史博物館の野外展示。模型とは言え、迫力満点。愛嬌もある。

この博物館には、内部にはもちろんさまざまな骨(化石)が陳列してある。このバーナルの東約15マイルには、東西幅約50マイルにおよぶダイノソー・ナショナル・モニュメントがコロラド州にかけてあり、その西端の入り口近くには、恐竜化石の壁(ダイノソー・ウォール)があって、恐竜化石愛好家のメッカでもあった。だが、2006年まで見学可能だった建物は、基盤のジュラ紀層のベントナイトの不等沈下のために、ひびが入ったり、柱が傾いたりして閉鎖。しかし、深さ最大18 mまで基礎を固め、再建なった新しい建物で、今秋、再びおびただしい化石の骨を地層に入ったままの状態で間近に観察できるようになった。

ユタ州側の最後の街ジェンセンの国道40号線に沿うウェルカムセンターの手前から、7マイル北へ州道149号線(以下、国道、州道を省略)を入った所に、黄色のビジターセンターが新しくオープンした。その裏山には、州道からは見えにくいが、恐竜ウォールが2011年10月、再開館した(なんと無料だ)。そこへは、直接自家用車で乗りつけることも可能だし、ビジターセンターに駐車して、歩いて露頭を観察しながら赴くこともできる(入館は、毎日9時15分から16時30分まで。www.nps.gov/dino)。屋外には、周囲の地層の観察ルートも整備されていて、探すと、礫岩、砂岩の中に恐竜の骨を見つけることができる(採集は禁じられている。時々、少しくらいはいいか、と考えて持ち帰る人がいるようだが、岩石一つ、植物一つでも、動かしてはいけなく、絶対に持ち帰るようなことを考えてはいけない。レインジャーが頻繁に監視をしており、万一見つかった場合は、とがめられる程度で済む問題ではないので、互いに注意しあおう。ハンマーなども、たとえスケール代わりにしようと思ったとしても、持たない方がよい。なお、ついでだが、歩行はトレイル内にとどめ、勝手にあちこちと入ってはいけない。また、立ち入り禁止とあるところ(Do not trespass. No trespassing.などと書いてある)へは、絶対に入ってはいけない)。

図3.恐竜ウォール。最初に研究したEarl Douglass博士は、化石をいたずらに取り去るのではなく、あるがままに保存すべきだ、と主張したという。もともとの半分程度の高さになっているそうだが、Douglass博士の意向が実現されているのである。この上部には、そっくり一体あるという。
図4.内部の様子。生活の様が復元されている。

このウォールは、ジュラ紀最末期の広大な湿地・湖・河川などからなる広大なベイスン(ベーズンではない)に堆積した、Morrison Formationという泥岩・砂岩(しばしば礫質)互層からなり、上下の泥岩に挟まる河川成の(チャネル)堆積物である砂岩や礫岩(クロスベッドを含む)に、恐竜の部分化石の集合や、そっくり一体分の個体化石が含まれていたりする(図3)。最も多産するのは、Camarasaurus であり、Allosaurus, Diplodocus, Stegosaurusなどの有名化石も出る。個体数としては、2000個の骨、300個体分も採集されたといい、種数は12であるという(インタープリターの説明)。さらに、建物内には、様々な復元や生活の様子が、分かりやすく説明されている、立体的な博物館と言える。ここからの化石は、基本的にはカーネギー博物館(ペンシルバニア州ピッツバーグ)に多くが納められているそうだが、ロンドンやワシントンD.C.の博物館にも、ここから出た恐竜化石の実物や型が送られたのだという。

ここのモニュメント一帯は、グリーンリバーの上流に近く、先カンブリア時代の地層や岩石、後期古生代から中生代までの地層が、何回か背斜・向斜を作って、それらの内部や上部の地層を現出せしめている。その堆積から変形時のさまざまな構造をも見ることができる。以下に、特徴的な地形、地質構造を紹介しよう。

 

2.ユタ州の周辺の地形と地質

図5.2011年に90歳を迎えた、ユタ州の地質屋の大家、フィールドジオロジストの権化、リーハイ・ヒンツィー ブリガムヤング大学名誉教授。

グリーンリバーはユタ州南部のキャニオンランズ国立公園内に至って(第1図のモアブの西方)、コロラド川に合流し、そこからは、グレンキャニオンダム(パウエル湖)、グランドキャニオン、フーバーダム(ミード湖)と経て、最後に、累々たる中新世の島弧性火山岩の中を流れて、カリフォルニア湾へ注いでいる。コロラド川は、ワイオミング州に端を発し、赤い川と言われるごとく、褐色をしている。一方、グリーンリバーは、その名のごとく、緑色であり、ともに蛇行を繰り返して、穏やかな流れをなす。

ユタ州の最東北部のバーナル地方では、グリーンリバーの支流は、あるものは東へ流れ、あるものは西、さらに180度向きを変えたりなど、複雑である。後に述べるこのモニュメント内の背斜構造部分でも穿入蛇行し、平坦な高原や平地に出ても、蛇行する。こうした蛇行河川は、隆起が速くない、流れがゆるやかな場所で発達する傾向があるので、この地域は、長い間、ごくゆっくりとした沈降・上昇をしつつ、ほとんど平坦で安定していたのだろう。でも、周辺の地形・地質は、おそらく、そう遠くない過去の(文献によると、約600万年前の中新世後期以降)テクトニズムを示しているのであろう。それはこの地域の堆積盆地の沈降や、中古生層の作る背斜・向斜の上昇と関連するだろうと想像される。それらは、後で述べるユインタ山系の不思議な直交「かまし」の成長をも含むのであろう。後述するが、このユインタ山系の上昇を含む、背斜・向斜の形成は、そのまま第三紀層の堆積・変形まで影響を与えている、いわゆるララマイド(ララミー)変動によるものである。

図6.Hintze教授著、Utah’s Spectacular Geology の表紙から。ユインタ山系(遠景)にへばりつくように発達するダイノソー・ナショナル・モニュメントの主要部分を占める背斜構造。軸にほぼ直交する割れ目系も、見事である。また、スプリット・マウンテンと言われるごとく、軸近くにグリーンリバーが潜入蛇行して背斜構造を分けている。恐竜ウォールは、この画面左端すぐ外に位置する。この背斜構造の南側(画面手前側)の向斜構造を挟んで、もうひとつ背斜構造が発達する(図8、12参照のこと)。
図7.ジェンセンのウェルカムセンター内に示された、本モニュメントを南北に切る簡略断面図。この背斜の横に、もうひとつアンチクラインが並走していて、複背斜構造を作っている(図8、12、14参照)。コロラドプラトー(広義)には、翼部が急傾斜の、いわゆるモノクライン状の構造が多く、そこでは、地層が急傾斜から急激に緩傾斜に移行する場合が多い。それらが、特徴的なリーフ(障害物という意味)や、スウェル構造を作り、グランドサークルに様々な景観を作っている(キャピトルリーフ、サンラファエルスウェルなど)。そこでは、層序をまとめて提供する(いわゆるテレスコーピングな)フラットアイアンを見ることができる。

さて、ソルトレイクシティーに降り立って、レンタカーを駆ってインターステイト80号から国道40号を東へ進む。ところどころに貯水池(レザヴォア;日本ではほとんどの人や教科書までが、リザーバーとしているが、完全な発音間違いである。アクセントは、レ)を見つつ、3時間ほどでデュシェーンに着く。そこからバーナルまでの 40号線(191でもある)沿いでは、第三紀層が、ほとんど水平ないし緩傾斜をなして、ゆるやかなベイスンを作っている。(なお、すでに示したように、本稿では第三紀なる名称を使用しているが、最近のアメリカの文献では、依然としてTertiaryを使っている場合と、注意深く、Early Cenozoic, Late Cenozoic として、区別をして使用している場合とがある。問題は、両者にまたがるような事象を説明するときにどのようにするかだが、どちらかに重きを置く場合はそれを使い、全く同程度のときは、Early to Late Cenozoicまたは、たとえば、late Oligocene to early Mioceneなどと、せざるを得ないのであろう。)ここまでのルートでも、そこここに恐竜を主とする、大小さまざまな自然史博物館や岩石・化石ショップがある。

図8.スプリット・マウンテン(グリーンリバーが蛇行をしている個所)が一つの背斜構造内部で、山を分けてしまっている(左側部分;図6の場所に相当)。さらにその南の向斜構造をはさんで、もうひとつ南に背斜構造がある(中央下の部分)。約75,000分の1の地形図、Dinosaur (National Geographic)から。恐竜ウォールは矢印の場所。

バーナルを過ぎて、ジェンセンに向かうと、曲線美の山並みとごつごつした、いかつい崖が見えてくる。第三紀層が柔らかな印象を与えるのと対照的に、硬そうに見える。曲線的な構造は、背斜の曲率だということは、すぐに分かるが、いかつい崖は、裂けて割れたゴロゴロの山、ペルム紀のWeber Sandstoneだ。その間に、ちょうど背斜の軸が、二つの山稜を分けてしまったために、スプリット・マウンテン・キャニオンと呼ばれる谷が形成され、そこをグリーンリバーが流れている(図7)。地形と地質構造の因果関係が理解される瞬間である(図8)。ここの背斜の南翼部は、一部でかなり急傾斜であり、恐竜ウォールは、そこに出ている(図6,7)。この層準では、50度以上に傾いている(図9)。

図9.この礫岩層(モリソン層(図10)の一部)に、恐竜の骨が多産する。50度程度南傾斜。 図10.ジュラ紀最末期のモリソン層の堆積域(モリソン・ベイスン)の分布。モンタナ州からニューメキシコ州へと、南北長500マイル以上におよぶほど、広い。このころ、西方からは、先カンブリア時代の岩石が砕屑物を提供していた。このベイスンが、白亜紀にさらに発達して、いわゆる、Western (またはAmerican)Interior Seaway (Cretaceous Interior Seawayとも呼ばれる)となった。ともに内陸盆地を形成していた(安藤・平野、1990参照)。

図11.見かけの傾斜不整合。実は、ペルム紀のWeber Ssが、こちら向きに傾いて、背斜の外翼を構成しているのだ(図8参照)。

背斜の内部から外翼に掛けては、ペルム紀から白亜紀に至る地層が分布している。背斜の内部には、ペルム紀のMorgan Formationという赤色層が分布している。なじみのバーミリオン色のMoenkopi Formation(トリアス紀)(日本人には、なぜか覚えやすい名称だ)なども出ている。アリゾナからなんと600マイルも北へ続いているのだ。ここでは、グランド・サークル一帯に緩傾斜で展開するグランド・ステアケースに見られるほとんどの層(と同時代の層)のテレスコーピングな層序と構造が一堂に会しているのである。それは、この背斜の全貌を、空撮で見ることで理解できる(図6)。 それらを陸上で見るべく、ジェンセンからさらに40号線を東へたどると、北側に、もうひとつ南傾斜の大規模な褶曲の外翼が見えてくる。これも白色のペルム紀のWeber Sandstoneであり、あたかもその上の地層との間に、傾斜不整合があるように見えてしまうが、これは見かけである(図11)。

後編に続く