ギリシャ式地震予知に関するEOS誌上での最近の討論について

石渡 明(東北大学東北アジア研究センター)

 

地電流観測に基づくギリシャ式地震予知法は,その創始者3名(P. Varotsos, K. Alexopoulos, K. Nomicos)の頭文字をとってVAN法と呼ばれている.VAN研究グループは,1984年にその地震予知法を世界に公表して以来,現在までギリシャ国内の観測網を維持し,観測と予知を続けてきた.この方法の概要と予知の成果を紹介した長尾 (2001) によると,予知が成功したかどうかの判断基準を (1) 震央の位置の誤差100 km 以下,(2) マグニチュードの誤差0.7以下,(3)前兆検知の数時間後〜1ヶ月後に地震が発生,の3つの条件をすべて満たした場合とすると,1984年から1998年までの15年間にギリシャで発生したマグニチュード5.5以上の地震12個のうち,VAN法は8個の予知に成功し,1個は一応予知できたものの基準から大きく外れ,3個は予知できなかった.つまり地震数当たりの予知成功率は2/3であった.また,予知情報を出した回数当たりの予知成功率も2/3程度とのことである.

筆者は1995年に長尾年恭氏や河野芳輝氏とともにギリシャ国内各地のVAN観測地点を訪問し,それらの地形・地質状況を調査したことがある(石渡, 1996).我々が訪問した8ヶ所の観測点の中には,地震前兆電磁気信号(SES)に対して感度が良い地点と良くない地点があり,その違いが地形や地質と関係しているかどうかを調べるのが筆者の現地調査の目的であった.地質との対応関係ははっきりしなかったが,地形的には,特に感度がよい2つの地点はいずれも内陸の大きな湖の近くにあり,湖とその周囲の盆地下の帯水層の存在が電磁気信号を増幅する役割をしているのかもしれないと考えた.筆者は地震や地震予知の専門家ではないが,このような経験があるので,VAN法には少なからぬ興味を持っている.最近,米国地球物理連合(AGU)の連絡誌EOSでVAN法についての討論があったのでここに紹介する.

Papadopoulos et al. (2009) によると,2008年はギリシャでマグニチュード6以上の地震が6回発生し,近来になく地震活動が盛んな年だった.Uyeda and Kamogawa (2008) は,このうち2つの地震についてVAN法が予知に成功したこと,予知の時間精度が向上したと述べた.それによると,2月14日にペロポネソス半島南方のイオニア海で起きた地震については,Varotsosらが,1月14日に新しいSESを同半島西部のPirgosで観測したこと,地震の発生が予想される地域は同半島西方から南方にかけての約250km四方の地域であることを, 2月1日にデータベース上に発表した.2月10日のギリシャの新聞は,この地域で近くマグニチュード6程度の地震が発生するかもしれないという記事を第1面に載せた.そしてその4日後に予想された地域内で予想された規模の地震が発生した.このUyeda and Kamogowa (2008)の記事に対して,Papadopoulos (2010) は反論を発表し,まず,この「予知」は「ギリシャ地震災害危険度評価常設特別科学委員会」に報告されなかったので予知として認められないと述べた後,新聞記事には時間や規模についての記述がなかったこと,2月4日にペロポネソス半島北部の都市Patras付近で起きたマグニチュード5程度の2回の地震について,VANグループがこれらを予知したと新聞紙上で発表していたこと(つまり,1月14日のSESは,2月4日と14日のどちらの地震の前兆なのかわからないという疑問),2つ目の成功例が示されていないことを述べて,予知は成功しておらず,却って新聞報道による社会不安が起こったことを指摘し,最後は「警察がウワサを広めた張本人を捜索している」という脅し文句で結んでいる.これに対し,Uyeda and Kamogawa (2010) の返答は,2008年2月4日のPatras地震の前兆のSESは1月10日に記録されたていたこと,6月8日のPatras西方の地震についても,VANグループの研究者が5月29日に予知情報をデータベース上に出していたことを示して反論した.VANグループの予知情報は米国コーネル大学のデータベース上で発表されているという.

今回の討論から判断すると,既に25年以上の伝統があるギリシャのVAN地震予知法も,まだギリシャの学界や政府が広く認めるところとはなっていないようである.地震から2年後の今年になって,予知情報が事前に出されていたか,いなかったかについて,国際的な学会誌で討論が行われるということ自体,予知情報の配信システムがきちんとしていないことを示している.VANの予知情報は「必要があれば政府機関および地方の出先機関,軍隊,地方自治体の防災関係者に伝えられ,情報が一般大衆に公表されることはほとんどない」(長尾, 2001)はずなのに,今回はいきなり新聞の第1面で公表されてしまったことは,予知が「成功」だったとしても,VAN法のシステムの危うさを示している.VAN法に関するこのような混乱はこれが初めてではなく,初期に外国の研究者にも予知情報を流していたところ,当時のフランスの防災大臣(有名な火山学者,故人)が「ギリシャで地震が発生するかもしれない」と発言し,ギリシャ国内が大騒ぎになったことや,1995年の地震の予知情報を政府が受け取っていたか,いなかったかで大問題となり,防災担当大臣は当初「受け取っていない」と言っていたのに,後で「秘書が止めていた」と訂正し,これを野党は倒閣の材料に使ったこと,などがある(長尾, 2001).

日本では,地震予知に関して,まだ予知情報を出すところまで研究が進んでいないが,火山噴火予知に関しては,有珠山の2000年噴火の際に,噴火が切迫しているという情報を火山研究者が公表し,それに応じて自治体の判断で噴火開始前に住民が避難し,人的被害を出さずに済んだ例があるが,デマの流布や避難拒否など多少の問題は発生した(北海道新聞社編, 2002).また,同じ2000年の三宅島噴火による全島避難は,解除が2005年まで持ち越され,避難者の苦労と不安が長期間続いたことは記憶に新しい.一方,昨2009年4月6日にイタリア中部のラクィラ(L’Aquila)で発生したマグニチュード6.3の地震では, 6万人以上が被災し300人以上の死者が出たが,この地震の3ヶ月前から顕著な群発地震活動があったにも関わらず,地震学者も参加していた災害対策委員会や防災当局が有効な地震情報を出せなかったことに対して,過失致死罪または殺人罪を視野に入れた刑事事件として捜査が行われており,これに対して世界の関連学会が抗議するという事態になっている.この背景には,現地のある技師がラドン観測データから本震の1ヶ月前に大地震の発生を予知してインターネットで発表したが,「市民の不安を煽る」という理由で地震発生前に当局によって発表を削除され,警察に告発されたという事件がある.この技師は昨年12月にAGUの学術大会で研究発表を行ったが,帰国後イタリア政府は彼に予知情報の公表を禁じたという(以上L’Aquila地震関連の話はWikipedia英語版に基づく).群発地震は大地震につながることもあるが,そのまま終息してしまうこともあり,予知は難しい.

ギリシャでは,上述のように,既に四半世紀にわたるVAN法の実践の中で,地震予知の成功と失敗,予知情報のリークと混乱などの社会的な経験が蓄積されており,今後はギリシャの地震予知法を理学的に研究するだけでなく,社会科学的に研究することも重要になると思う.法人化された地質学会が社会との関わりを深めて行けば,当然このような問題に直面することになるので,他人事ではない.例えば,日本の緊急地震速報システムは,減災効果は少ないかもしれないが,科学に対する市民や行政の信頼を獲得する上で大きな心理的効果を挙げていると思う.地震予知に限らず,斜面災害,地層処分,地質汚染,地球温暖化など,本学会が関わる様々な問題について,専門の人はあきらめずに粘り強く研究を進め,専門外の人も関心を持ち,基礎知識を社会に普及し,研究成果を社会に還元する活動を,学会全体として地道に行っていくことが求められている.

【文献】

北海道新聞社編 (2002) 2000年有珠山噴火.北海道新聞社.

石渡 明 (1996) ギリシャ,VAN観測地域の地質.平成6〜7年度科学研究費補助金国際学術研究(共同研究)研究成果報告書(河野芳輝:自然電位観測によるギリシャ式地震予知法の基礎と日本への適用.No. 06044085),35-62.

長尾年恭 (2001) 地震予知研究の新展開.近未来社.209 p.

Papadopoulos, G.A. 2010: Comment on "The prediction of two large earthquakes in Greece". EOS Trans. AGU, 91(18), 162.

Papadopoulos, G.A., Karastathis, V., Charalampakis, M., Fokaefs, A. 2009: A storm of strong earthquakes in Greece during 2008. EOS tans. AGU, 90(46), 425-426.

Uyeda, S., Kamogawa, M. 2008: The prediction on two large earthquakes in Greece. EOS. Trans. AGU, 89(39), 363.

Uyeda, S., Kamogawa, M. 2010: Reply to comment on “the prediction of two large earthquakes in Greece”. EOS trans. AGU, 91(18), 163.

 

(2010年8月17日)