海野 進(金沢大学地球学教室)
第1図.母島御幸浜の含貨幣石礫岩を観察するIUCN評価委員と筆者(左端). |
小笠原諸島は東京の南1000 kmに点在する古第三紀の火山岩類と活火山を含む第四紀火山からなる島嶼群である.小笠原は「屋久島」,「白神山地」,「知床」に続く4番目の世界自然遺産候補としてユネスコの世界遺産委員会に推薦され,2010年7月に国際自然保護連合(IUCN)の専門家による現地視察が行われた.これまでの3つの世界自然遺産がいずれも生態系や動植物で登録されているのに対し,小笠原諸島は「生態系」「生物多様性」に加えて「地形・地質」が重要な遺産価値として挙げられており,もし登録されれば日本で最初の「地形・地質」の世界自然遺産が誕生することになる.
世界自然遺産登録への歩み
小笠原諸島は2003年に環境省,林野庁主催の検討会において世界遺産候補に選定され,2006年に設置された各分野の専門家による科学委員会の検討を経て,2010年1月26日に小笠原諸島を世界遺産一覧表に記載するための推薦書がユネスコの世界遺産センターに提出された.これを受けて世界遺産委員会の諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)に推薦書(日本政府, 2010)が送付され,2010年7月3日から14日にかけてIUCNによる現地調査が行われた.筆者は小笠原諸島世界自然遺産候補地科学委員会委員の一人として他分野の科学委員とともにIUCNの現地視察に同行し,小笠原諸島の世界遺産としての「地質学上の遺産価値」の紹介にあたった(第1図).IUCNの現地評価委員はシドニー大学で動植物学を専攻し,オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州国立公園におけるレンジャー,監督官を経てバンコクにあるIUCNアジア事務所のCo-ordinatorを勤めるPeter Shadie氏と,グリフィス大学環境応用科学部で学位を取得して現在Seychelles Islands FoundationのResearch Officerとして勤務するNaomi Doak氏の2名である.残念ながら地質学の専門家の派遣はなかったが,10日余りの滞在を通じて両氏には小笠原諸島がもつ地質学上の遺産価値について本質的な点はご理解いただけたものと思う.
この現地評価報告書と外部専門家による評価をもとに,2011年夏の世界遺産委員会において世界遺産一覧表への記載の可否が審議される.
世界遺産に登録されるためには
世界自然遺産に登録されるためには次の4つの評価基準のうち1つ以上に合致しなくてはならない:(vii) 自然景観,(viii) 地形・地質,(ix) 生態系,(x) 生物多様性.小笠原は自然景観を除く3つの評価基準について普遍的価値を有するものとして,ユネスコに推薦された.このうち地質学に携わる者として関心が高い地形・地質の評価基準とは次のようなものである:「生命進化の記録,重要な進行中の地質学的・地形形成過程あるいは重要な地形学的自然地理学的特徴を含む,地球の歴史の重要な段階を代表する顕著な見本であること」.では,小笠原における「現在進行中の地球史の段階を代表する顕著な見本」とはどのようなものであろうか.
「小笠原諸島」がもつ世界自然遺産としての地質学上の価値
プレートの沈み込みがどのようにして始まり,沈み込み帯が確立していくかという問題は,大陸地殻の形成やプレートテクトニクスの起源にも通じる地球科学上の第一級のテーマであり,統合深海掘削計画(Integrated Ocean Drilling Project)の第一期科学計画(2003〜2012年)にも取り上げられている(Initial Science Plan; http://www.iodp.org/about/).伊豆−小笠原−マリアナ島弧−海溝系は,その発生から現在に至るまでの島弧の成長過程を解明するのに最適のフィールドとして精力的に研究され,地球上で最も理解が進んでいる海洋性島弧といえよう.伊豆−小笠原−マリアナ弧はおよそ5,000万年前に太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に沈み込みを開始したことによって誕生した若い島弧である(Ishizuka et al., 2006).プレートの沈み込み開始とともに,海溝沿いの広範囲に無人岩をはじめとする高Mg安山岩マグマやソレアイト質マグマを生じた.無人岩は地球上で唯一クリノエンスタタイトを含有し,斜長石を含まず古銅輝石を主要構成物とするガラス質の高Mg安山岩である(第2図).沈み込みの継続とともにマグマの組成は海溝から離れた,より深いマントルで生じた玄武岩質のものとなり,それとともに噴火様式や火山の分布,生物の棲息環境等も変化していった.沈み込み開始からおよそ800万年を経て,現在あるような形の沈み込み帯が確立したと考えられる(海野ほか, 2009).
第2図.聟島のクリノエンスタタイト(白色結晶)を含有する無人岩(左)と偏光顕微鏡写真(右).Cen: clinoenstatite, Brz: bronzite, Ol: olivine |
島弧形成初期の無人岩類からなる海底火山噴出物は伊豆−小笠原−マリアナ前弧に沿って広く分布するが,これらの大部分は水深3,000 mを越える海底下にあり,容易に目にすることはできない.しかし,小笠原海台とそれに先行する海山群の衝突によって伊豆−小笠原前弧の一部は持ち上げられ,本来深海にあるべき始新世の海底火山噴出物を陸上で観察することが可能となった.これが父島,母島をはじめとする小笠原群島である(海野・石渡, 2006; 海野ほか, 2007, 2009).小笠原群島では発達した海食崖が露出する地層の記録から,無人岩の海底噴火に始まり母島の火山島形成に至る,島弧マグマと火山活動の変遷を一望することができる.とりわけ高さ300 mの断崖が連なる父島の千尋岩は圧巻である(第3図).父島や母島では大規模な崩壊と浸食によって火山体の中心部が広く露出し,多くの側火口跡や火山体の内部構造を覗かせている.高粘性の溶岩としては珍しいデイサイトや流紋岩の枕状溶岩が火口縁を越えて流下する様子や,火口直上の塊状硫化鉱床などの海底熱水活動の生々しい痕跡が見られる.また,火山活動終息後の浅瀬にはサンゴや底生有孔虫などが棲息するリーフが発達した(Matsumaru, 1996).最終氷期にカルスト台地を造った石灰岩は後氷期に冠水し,沈水カルストとなって父島南崎〜南島一帯に広がり,日本最大のカタツムリであるニュウドウカタマイマイの化石などを産出する.マイマイ属は著しい種分化を遂げ,適応放散の代表例として世界自然遺産の価値のひとつに挙げられている(日本政府, 2010).
このように小笠原諸島は,プレートの沈み込み開始から沈み込み帯の確立に至る,海洋性島弧の進化過程を記録した地層が大規模に陸上に露出し,火山活動の様子や生物を取り巻く環境の変化を目の当たりにできる世界でも類い希な価値を有するものとして,世界遺産に推薦された.
第3図.父島南岸の千尋岩の断崖.無人岩枕状溶岩(下位)とデイサイト枕状溶岩及びハイアロクラスタイト(上位)に挟在される凝灰角礫岩を鍵層として,100 mを越える断層の落差がわかる. |
世界遺産登録と地質学
小笠原諸島は開発の歴史が浅く,固有の生態系等が比較的よく残されてはいるものの,外来種や開発による擾乱を受けている.そこで,小笠原本来の生態系をどのようにして守り,あるいは再生していくかなどの課題について,管理計画と具体的なアクションプランをもとに関係行政機関と島民等が連携・協力した取り組みが進められている.また,東京都が実施する自然ガイド認定講習その他のプログラムを通じて,小笠原の動植物や生態系,地形地質等についての教育・普及活動も実施されている.筆者も数年来現地で地質解説等を行っているが,世界遺産登録へ向けた活動もあることから “郷土の地質”に対する受講者の関心も高く,毎回聴講される熱心なリピーターもいる.地質学は一般になじみが薄く,高校の理科教育においても疎外された感がある.小笠原諸島が日本初の「地形・地質」の世界自然遺産として登録されることをきっかけとして,地質学に対する一般社会の認知度と関心が高まり,理解が深まらんことを切に願う.
なお,小笠原諸島の世界自然遺産登録へ向けた動きと自然環境の保全・再生への取り組みについては,環境省の小笠原自然情報センターのホームページに詳しい説明がある: (http://ogasawara-info.jp/index.html)
【文献】
Ishizuka, O., Kimura, J., Li, Y.B., Stern, R.J., Reagan, M.K., Taylor, R.N., Ohara, Y., Bloomer, S.H., Ishii, T., Hargrove, U.S.III and Haraguchi, S.(2006) Early stages in the evolution of Izu.Bonin arc volcanism: New age, chemical, and isotopic constraints. Earth Planet. Sci. Lett., 250, 385 - 401.
Matsumaru, K. (1996) Tertiary Larger Foraminifera (Foraminiferida) from the Ogasawara Islands, Japan. Paleontological Soc. Japan Spec. Papers, 36, 239 p.
日本政府 (2010) 世界遺産一覧表記載推薦書「小笠原諸島」.http://ogasawara-info.jp/isan_value.html
海野 進・石渡 明 (2006) 日本地質学会(編)中部地方,第11章.日本地方地質誌, 4, 朝倉書店(株),東京,564p.
海野 進・中野 俊 (2007) 父島列島地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)小笠原諸島(20) No. 2 NG-54-8-13・14. 産業技術総合研究所地質調査総合センター,71p.
海野 進・中野 俊・石塚 治・駒澤正夫 (2009) 20万分の1地質図幅「小笠原諸島」.産業技術総合研究所地質調査総合センター.