写真1 マルチプルコアの採取風景. |
写真2 グラビティーコアラーの引き揚げ風景. |
写真3 遠州灘と熊野灘で採取された試料の剥ぎ取り標本.海底タービダイトの堆積構造が明瞭に観察できた絶好の機会であった. |
平成20年11月13日から17日にかけて,淡青丸KT-08-30次航海(主席研究員は東大の白井正明博士)が行われた.本航海の主な研究目的は,遠州灘と熊野灘を調査域として,沿岸域から深海底までの砕屑物の運搬過程を明らかにすることであった. 本航海は,東京台場港を出港して遠州灘と熊野灘で試料採取を済ませた後,鹿児島港に帰港した.また,私たちは下船後に鹿児島市周辺に分布する火山灰の試料を採取した.ここでは,淡青丸航海と鹿児島における火山灰採取の様子の一部を紹介する.
1.淡青丸航海の様子
陸域で生産された砕屑物が陸棚以深の深海底まで運搬されるには,タービディティーカレントが重要な役割を担う.タービディティーカレントの発生には,嵐や洪水といった気象的なイベントや,地震による海底斜面の崩壊といったものが関係するとされる.このように形成されたタービディティーカレントは,深海底まで流れ下り,最終的にタービダイトとして海底に保存される.本航海では,熊野トラフおよび遠州トラフに流れ込む海底谷において,過去約100年間のタービダイトの堆積履歴を明らかにし,陸棚上から深海底までの砂質粒子の運搬履歴をタービダイトや陸棚堆積物の分析を通して推定すること,また可能ならばタービダイトが深海底環境に及ぼす影響を明らかにすることが目的であった.
11月13日の天候は晴天.絶好の航海日和となり,淡青丸は最初の試料採取地点のある遠州灘へと移動した.翌日14日に採取地点に到着して,朝7時から採泥が始まった.採泥には,船上から海底にパイプを突き刺して採泥する“マルチプルコアラー”と“グラビティーコアラー”と呼ばれる柱状採泥器が用いられた.マルチプルコアラーは,軟らかい海底表層の堆積物を連続的に採泥することができ,一度に最大8本の柱状試料を採泥できるという点で優れているが,採泥できる試料の長さが40cm程度と短い(写真1).一方,グラビティーコアラーは,マルチプルコアラーでは貫入が難しい砂質堆積物を採取することが可能だが,採取される柱状試料は一度に1本と限られる(写真2).このような両者の利点をうまく使い分けて採泥作業が進められた.
遠州灘では,約10cmの厚さを持ち,上方細粒化を示すタービダイトが採取された.順調に採泥作業を進め,淡青丸は次の採取地点がある熊野灘へと移動を始めた.移動中は,ひたすら採取された試料の処理に明け暮れた.柱状試料を半割して,岩相記載,色調や帯磁率といった基礎的なデータを取った後,粒度組成,有機物,元素組成,帯磁率異方性といった分析の目的に応じて試料を取り分けた.
翌日15日には,熊野灘で採泥が行われ,遠州灘と同様に試料の基礎的なデータを取り,試料を取り分けた.このような日程で,遠州灘および熊野灘で水深100m程度の陸棚から水深2000m程度の海底盆までの試料を採取することができた.
今回は,保存用の試料として剥ぎ取り標本を作製した.私自身,剥ぎ取り標本の作製は初めての経験であり,良い勉強になった.親水性樹脂で不織布に貼り付けた剥ぎ取り標本は,タービダイトの堆積構造を観察する絶好の材料となると共に,剥ぎ取った後の柱状試料の半裁面の観察・記載を容易にする.船上では剥ぎ取り標本を採取地点ごとに机上に並べて,乗船研究者皆でタービダイトの形成過程やタービダイト形成の原因となる災害イベントに関する議論を行った(写真3).
採泥日数は,14日と15日の2日間と限られていたが,天候に恵まれたこともあり,予定されていた地点で多くの採泥が成功した.熊野トラフ西縁斜面では,1度のマルチプルコア採取で得られた試料でも,柱状試料ごとに挟まれるタービダイトの枚数や層位が異なり,斜面における流路分布の複雑さを垣間見た.今後,タービダイト内の粒度組成などの解析を行い,深海底までの堆積粒子の運搬過程の解明に役立てる予定である.
2.鹿児島での火山灰採取
16日の下船後,私たちは鹿児島大学で開催されていた特別展「鹿児島の活火山」を見学した.ここには,多くの岩石標本や火山灰の剥ぎ取り標本が展示されており,鹿児島の火山の歴史や人と火山との関わりを学ぶことができた.この特別展では,翌日の火山灰採取の基礎知識を仕入れることができた.火山灰採取の際は,首都大学東京の大石雅之博士が現地案内をして下さった.
桜島は,北岳・南岳火口を中心とする成層火山であり,山腹に側火山を配する.桜島誕生時から約5000年前までは主に北岳を中心に活動し,その後,南岳の活動が主になった.現在,南岳火口とその側火山の昭和火口が主に噴煙を上げる.鹿児島湾は,約29000年前の巨大噴火により形成された姶良カルデラの名残であり,姶良カルデラ南部に約26000年前に後カルデラ火山として形成されたのが桜島である.約29000年前の巨大噴火は,見かけの体積で500km3以上の火砕流や降下軽石を産み,南九州全域を埋め尽くし,シラス台地を形成したらしい.桜島は,過去に少なくとも17回の噴火を繰り返しており,記録に残る噴火は,764年の天平宝字噴火,1471年の文明噴火,1779年の安永噴火,1914年の大正噴火,1946年の昭和噴火がある.
18日は,午前中は桜島で活火山の様子と1914年の大正噴火の噴出物を見学した.午後は姶良火砕噴火の噴出物を見学し試料採取を行った.最初に立ち寄った袴腰では,大正噴火で流出した溶岩流が鹿児島湾に流入した場所を見学した.熱い溶岩流が海水に突入し,冷却されてできた黒色でガラス質の表面が認められた.また,冷却節理の発達した枕状溶岩のような形態を示すものもあった.烏島は,大正噴火前までは海に浮かぶ島であったが,噴火時に溶岩流がこの島を埋め立てたという歴史がある場所である.このように海を隔てた島が埋め立てられる噴火は,火山史上でも珍しいことらしく,かつての烏島上に記念碑が建立されていた.また,この噴火は,桜島と大隅半島は陸続きにした.この噴火の噴出物の総量は,約0.8km3と見積もられている.大正噴火の威力を肌で知ることができる場所であった.
写真4 赤生原の露頭で観察できる降下軽石(下位)と溶岩流(上位)との層位関係. |
写真5 鹿児島県指定文化財に指定されている埋没鳥居.自然の猛威を後世に伝えるために保存されている. |
写真6 大隅降下軽石(下位)と妻屋火砕流(上位)の境界. |
写真7 入戸火砕流堆積物. |
赤生原(あこうばい)にある露頭は,大正噴火の降下軽石と溶岩流との層位関係を知る上で重要であり,降下軽石が溶岩流に覆われる様子が観察できた(写真4).湯之平展望所では,現在は活動していない北岳火口,大正の割れ目噴火の谷地形を望めた.黒神にある鹿児島県指定文化財となっている埋没鳥居も,大正噴火の噴出物によるもので,かつて高さが3mもあった鳥居が今はわずかに地表に顔を出すに過ぎない(写真5).
桜島の見学を終えた午後には,シラス台地を形づくる姶良火砕噴火における一連の噴出物の露頭を観察した.それらは,春山原(はるやまばい)に向かう林道沿いの露頭で観察することができた.下位から大隅降下軽石,妻屋火砕流,亀割坂角礫層,入戸火砕流堆積物という層位関係にある.大隅降下軽石と妻屋火砕流の境界を見ることができた(写真6).入戸火砕流の下位に濃集する亀割坂角礫層は,入戸火砕流噴出初期に岩盤が吹き飛ばされて形成されたものらしい.入戸火砕流(写真7)のco-ignimbrite ashとして,姶良丹沢テフラ(AT火山灰)が噴出したとされている.この露頭の大きさや,角礫の大きさを見て,巨大な噴火であったことやAT火山灰層が日本全国に広く分布しており鍵層の1つとなったのも納得できる.AT火山灰層は,陸域や海域で重要な年代面を提供する.日本全域に分布するAT火山灰層を生んだ入戸火砕流を観察でき,試料採取ができたことは,海底柱状試料でATを認識し年代面を挿入する上で重要なことである.入戸火砕流の試料採取が成功し,今回の鹿児島で火山灰を採取するという目的は充分に果たされた.
鹿児島での火山灰採取の巡検は,火山噴出物の観察や試料採取のみならず,火山と人々の生活の関わりについても学ぶことができた.桜島は日本でも有数の活火山であり,土石流の発生頻度が日本一と伺った.土石流は山麓に扇状地を作り出す.扇状地は,水はけが良く果樹園や畑に適した土地として住民に利用される.ここで作られる桜島大根や桜島小みかんといった地方名産物は,火山と深く関わっている.先人達は,火山のもつ二面性と上手く付き合ってきた.鹿児島は,火山と上手く共生している町であるといえる.
3.乗船研究者
淡青丸には,地質学,地理学や生物学を専門とする研究者が乗船した.乗船研究者(敬称略)は,主席の白井正明(東大),亀尾桂(東大),大村亜希子(東大),川村喜一郎(深田地質研究所),大石雅之(首都大),若林徹(東大),南雲直子(東大),丹羽雄一(東大),嶋永元裕(熊本大),北橋倫(熊本大),吉田和弘(マリンワークジャパン),清野船長を始めとする淡青丸乗組員の皆様,そして筆者の伊藤拓馬(信州大)であった.
白井正明さん,大村亜希子さん,大石雅之さん,川村喜一郎さんには,原稿を読んで頂き,多くのご意見を頂いた.淡青丸では多くのことを学んだ.ここで学んだこと糧として,今後の研究に生かしていきたい.お世話になった方々,本当にありがとうございました.