男女共同参画委員会で企画した南相馬巡検(現地見学会・研究交流集会)が2011年11月12-13日に開催されました。本委員会では今年度秋に研究・交流集会を計画していましたが、3.11東日本大震災の被害地域での開催が委員会のメール会議および9月11日の水戸大会の男女共同参画委員会ランチョンで提案され、実施することになりました。参加者は10人(女性5人,男性5人)でした.
今回は田崎和江さんと高橋正則さんに現地での案内や夜の学習会での解説等をしていただきました.また南相馬市の庄建技術株式会社および,社長の鈴木克久さんには今回の集会巡検開催に当たり、いろいろな支援をいただきました.
参加者は11月12日午後1時に福島駅に集合しました。小学生の名和桃子さんには、お母さんと別れて鈴木社長の車で放射線量の低い地域をとおり南相馬に向かっていただきました。おとなの参加者は車2台で高放射線地域を経由して、南相馬市に移動しながら空中放射線量を測定し、また所々で道路や側溝の放射線量測定等を行いました。国道399号線沿いで最も高い数値を示したのは,遠くに福島第一原発の高圧鉄塔が見えるところでした.その後,飯舘村役場や南相馬市役所に立ち寄り,放射線量の電光掲示板が設置されているのも見学しました.今回,庄建技術株式会社には参加者のために白い防塵服と積算線量計を用意していただき, 2日間の被曝量も測定しながらの巡検になりました(2日間でだいたい10μSvでしたが,なぜか私の線量計だけその6倍の値でした).
夜は、阿武隈山地での放射線量値の分布,微生物による放射性物質の除染実験および南相馬から相馬にかけての津波被害状況についての学習会を行いました。また香川淳さんに千葉県の湾岸地域の液状化現象の発表をしていただき、2時間を予定した学習会は2.5時間に延長しても終わらず,引きづつき懇親会会場でもいろいろな話題がでてきて24時近くまで交流会が続きました.学習会と懇親会には庄建技術の鈴木社長も参加いただき、3.11後の地元の状況の話を聞くことができました。 2日目は,当初予定では1日目の最後に見学予定であった南相馬市原町区馬場地内の実験田の見学をしました.この実験田は日本地質学会の「東日本大震災対応作業部会報告書に係わる調査・事業プラン応募」で採択された事業プラン「微性物による放射性物質の除染の実証実験」で、庄建技術株式会社が実施しています。その後、南相馬市原町地区から相馬市松川浦にかけての津波被害地域を見学しました。段丘の下まで押し寄せた津波で多くの方が亡くなった老人保健施設ヨッシーランドでは亡くなった方のご供養に井本香如さんがお経を唱え,参加者全員でご冥福をお祈りました.津波から9ヶ月が過ぎて、現地では大量の瓦礫がかたづけられつつあります.夏を過ぎて遠目には草原に見えるところも,近づいてみると9カ月前まで集落があったことがわかって,空中写真等で津波の広範囲な被害を理解してはいても,現地に立つと改めて何とも言えない絶望感を感じました.
最後松川浦大洲海岸では、津波で海岸道路が破壊寸断された堤防沿いを歩きながら、現在復旧状況を見学し,また相馬港に近い原釜地区で1階部分がほとんど全壊した高橋さんのいとこの方の家を見学させていただき,巡検を終了しました.今回は少ない人数だったため,現地では行動しやすい規模ではありましたが,もっと多くの方に現地を見ていただければと思いました.
(山形大学地域教育文化学部 大友幸子)
南相馬巡検に参加して
東北地方太平洋沖地震の日,私はつくばの研究室にいました.揺れはじめの頃は「ああ,ついに大きな地震が来ちゃったね」などど同室の同僚と話をしながらマグカップを押さえたり,崩れそうなものを押さえたりしていました.しかし,揺れは治まらないどころか,本棚からは本や飾ってあった岩石等が降り注ぎ,パソコンやディスプレイもことごとく「飛ぶ」という大揺れに見舞われました.実験仕様の頑丈な机の下に避難しながら,研究所の建物が崩壊するのでは?と,はじめて死を意識しました.その後の原発事故についても,県内におなじ原発を持ち,子どもを放射線量の低くない地域で育てていかなければならない者の一人として,苦慮する日々が続いています.
南相馬巡検には,当事者意識を持って参加させていただきました.1日目午後は,福島駅から川俣町,飯館村を経て南相馬市まで放射線量を計りながら移動するという,まさに体験型の巡検でした.とくに国道114号線から399号線に入ったとたん,それまでの値より二桁急上昇する線量計の数値を見た時には衝撃を受けました.また,犬や猫しか残されていない数々の集落を見るにつけ,目に見えない,匂いもしない,人間の五感で感知できない放射能に対しての恐ろしさを実感せざるを得ませんでした.夜はホテルで学習会が行われ,案内者の田崎さんと高橋さんから巡検コースと除染実験の解説がありました.千葉県環境研究センターの香川さんからは,浦安市内での液状化被害についての研究結果の紹介がありました.
2日目朝は,放射線量の計測と除染実験をされている庄建技術株式会社の実験室を見学した後,除染実験農場を見学しました.まさに試行錯誤を繰り返し,粘り強く実験を続けておられる実験グループの方々の姿に感銘を受けるとともに,科学者としての原点を見る思いでした.午後は相馬市の海岸沿いの津波被害状況を見ました.これまで新聞やテレビ報道,学会等で浸水被害図等を見てはいましたが,現地に行ってみてはじめて,「こんなに海から離れていて,海岸線も見えないほどに街が出来上がっていたら,津波がここまで来るとは思わないのではないか」と思える箇所も多々ありました.また,一緒に参加していた娘と,「ここにいる時に津波が来るとしたら,どちらにどういうふうに逃げるか」と,その場学習することもできました.
他にも天然の岩石のもつ放射線量についての話や福島県北部沿岸域に広く露出している大年寺層についての話,地質コンサルタント会社や海外勤務での経験談等,案内者のみならず,参加者各人からの深く幅広い話題それぞれがとても興味深く,有意義な2日間を過ごすことができました.今回の巡検の企画・運営をして下さった山形大学の大友幸子さん,案内者の田崎和江さん,高橋正則さん,参加者の皆様に厚く篤く御礼申し上げます.また,一人しかいない小学生参加者である娘のために,わざわざ別コースを準備・案内して下さった庄建技術株式会社の鈴木社長に記してお礼申し上げます.最後に,本巡検・研究交流集会と同様の巡検会を再度企画することを提案し,より多くの方々がそれに参加されることをお勧め致します.
(産総研 活断層・地震研究センター 宮下由香里)
飯舘村長泥地区で、道路や路肩の放射線量を測定。 | 南相馬市原町区の実験田の説明看板 |
実験田の中の水路を見学中 | 空中写真を見ながら2日目に見学する津波被害地の説明を聞く |
津波で表土がはがされてできた鮮新統大年寺層の露頭と、津波で運ばれてきた瓦礫の一部が下の車道から10mくらいの高さのところに散乱している。道路の向こうは、津波前は相馬市磯部地区の集落だったところ。 | 津波で破壊された松川浦大洲海岸沿いの道路。写真右側が堤防。道路は左側で、半分以上なくなっている。 |